私の昭和歌謡65 銀座の恋の物語 1961
思い出はホントの恋の物語り記憶の中のサックスの音
若い恋は美しいww
歳とって、ますます、そう思う。
私の記憶は、「銀座の恋の物語」がテレビで上映されたのを観たときのもの。
私は生まれてから小学校6年生まで城下町の駅前商店街のど真ん中で育った。20人ぐらいで暮らしていたと思う。
父方の祖父母を中心に。父が長男で7人のきょうだいがいた。母方の祖母と叔父も同居していて、さらに住み込みの従業員もいた。
叔母3人と私と妹が、夕方の2回のテレビを独占できる。
全員女なのだw 好みは同じ。
8時過ぎると布団を敷いて、もぐって見ていた。視力が落ちるのは当たり前だ。そのうち寝てしまう。テレビは、父と母が上がってくるまでつけっぱなし。あーーあ。
その時、この純愛の物語を見た記憶がある。
若い恋人たち。女性が交通事故で記憶を失って行方がわからない。発見して、やっと記憶が戻る。ハッピーエンド。
俳優が、なんてったって、若くて可愛い浅丘ルリ子だ。
そして我らが石原裕次郎。
昭和の人間じゃなければ、いや昭和だって東京五輪を知っている年齢じゃなきゃ、このコンビの若い瑞々しい姿は知らない。
私なんか、バリバリ日本人の“しょう油顔”だから、テレビ画面のルリ子さんの全てが輝いて見えた。
うちの周辺に存在しない、魅力あふれる裕次郎さんにドキドキした。ハンパない胸のときめきだったね。
この映画は同名の「銀座の恋の物語」から生まれた。
裕次郎の歌声は、粋なハンサムな、裕次郎の見た目そのものだった。
🎵心の底まで しびれる様な 吐息が切ない 囁きだから🎵
わお。こんな深い歌詞を小学生の私は低めの声で歌った。
🎵やさしく抱かれて 瞼を閉じて サックスの嘆きを 聴こうじゃないか🎵
サックスという言葉を子供の私は初めて知った。
どんなものかはわからなかった。楽器だともわからなかった。
でも、それらしく私はカッコつけて歌った。
🎵東京で一つ 銀座で一つ
若い二人が誓った夜の
真実の 恋の物語🎵
最後の盛り上がりをオペラみたいに歌った。
伴奏もないから、きっと、そうしたんだと思う。
今でもお風呂で歌う時とか、盛り上げて歌ってしまう。
純愛の歌謡曲と映画。
韓流なんかよりよっぽどいい。なんせ、銀座だぜ。
【参考資料】
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