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私の昭和歌謡108 絹の靴下 1973

いい女。20歳でセクシー。70歳、もちろんセクシー。マリちゃんの場合


ふーん、セクシー路線の歌手ね。
ぐらいで、この曲「絹の靴下」を好きになるほど17歳じゃ燃えないw

だけど、テレビで夏木マリの歌っている姿を見るたびに、いやいや歌っているように感じた。絶対そう。

それを確信したのは、2002年の映画「ピンポン」だった。そこでマリちゃんは、マリおばちゃんとして、生き生きと演技していた。

いやあ、驚いた。

そりゃあ、私も40代、子育て真っ最中だったから、なんか、ふわふわした気持ちを一回捨てて、自分自身の人生を考え直そうか、って思ったほどだ。

17歳で聞いた頃から、40代はあっという間だった。その、あっという間の中に、人生で1番多くの初めての体験がたくさんあった。

まあ、どんな人間も生きていれば体験する平凡なものだけど、自分にとっては、そうもいかない。

父親が亡くなったり、妹が亡くなったり。
就職して社会人になったり、結婚したり、はじめて家族以外と暮らしたり。
仕事がブラックだったり、流産したり、出産したり。

ぎゅっと詰め込まれた20年。

それが「ピンポン」の夏木マリを見た途端、人生の節目を感じて、襟を正したww 

かっこいいじゃん。彼女。

私は「ピンポン」を映画館では観ていない。2、3年経ってからホームシアターで観た。


2001年の夏に「千と千尋の神隠し」を観た。これは映画館で観た。

職場の若い同僚が入院していて、主任とお見舞いに行った時のこと。

私が家族と一緒でなく映画館に行くなんて考えられないけれど、この主任は女性同士でとても仲が良かった。見舞いの相手は、職場のいじめが原因で病んでいた。行かなきゃ良かったと思った。

静かに自分の調子を説明してくれたが、それだけで疲れてしまう様子だった。数ヶ月の入院で心が死んでいた。

次の年の3月に免疫不全が原因で亡くなった。

院内感染だろうとか噂もあった。でも、私は、見舞いに行った時、「話す死人」を見ているから、自分を否定されること、攻撃されることが、体に及ぼす影響だと思った。

なんか気分転換が必要だったから、帰りに二人で映画を観ることにした。そうすれば、彼女のことをあれこれ話さなくて済む。

これって賢明な判断だった。

ずっとあとになって、もういちど、ホームシアターでジブリ作品を見る機会があった。このホームシアターの上映は、ダンナが仕切っているので、私にとっては、何を見せられるかわからないし、楽しみなんだ。

湯婆婆の声を夏木マリがやっていたのを知って、(これは「ピンポン」をっ観た後だった)さらに驚いて、彼女を尊敬してしまった。

年齢に相応しい仕事。これを意識するきっかけになった。

それより、湯婆婆がとても好きになっていたからだ。

「絹の靴下」のヒット時の思い出は、なーんにもない。
夏木マリのつまらなそうな歌い方だけ。

私は、40代から仕事がやりやすくなったし、面白くなったし、気持ちを込めるようになったし、それが夏木マリの仕事にダブっている。

今71歳のマリちゃんは、どんな仕事するんだろう。

私は定年、再任用、非常勤。そして来年からはずっと続けた教職からさって、さっぱりと新しい人生を歩もうと決心している。

楽しみだ。



【参考資料】




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