私の昭和歌謡111 J.BOY 1986
ラジオから聞こえる曲に恋をして昭和平成令和が過ぎる
昭和の終わり。
地方のホールで呼びたいミュージシャンの一人に浜田省吾がいた。
イベント会社の知人は「いくつか必ず入るミュージシャンがいて、浜省は必ず1000人は売れる。」と言っていた。
私は尾崎豊がブレイクしてから、彼が影響を受けたという浜田省吾を知った。でも知っただけ。
なぜなら私は30歳。教員になってゆっくり音楽を聴く暇なんかなかったから。昭和も、続く平成も、教師はブラックだった。
定年退職後、この昭和歌謡を書き始めて、自分が聞きそびれた曲を聴き始めることになる。
もちろんYouTubeがあるからできることだ。便利になったものだ。
つくづく残念だ。
彼の曲には、私が生きた青春時代が、それこそ等身大の若者の生き様が描かれている。それを若い時代に聞き逃したことに悔しさを感じる。
この夏、江田島に行った。
32歳の息子と68歳の私のふたり旅。
瀬戸内は限りなく穏やかな海だった。
18歳までに20回近くの引っ越しを経験した浜田省吾は、小学4年から中学1年までこの島に住んだ。図書館に展示もある。
彼は江田島で、ビートルズの音楽と出会った。
2005年の「初恋」はこんな歌詞で始まる。
🎵 海辺の田舎町 10歳の頃ラジオから
流れてきた“The Beatles” 一瞬で恋に落ちた 🎵
そして、この音楽への恋は、ボブ・ディランやビーチボーイズ、ブルース・スプリングスティーンへと広がっていく。
🎵 アメリカ生まれの Rock'n' Roll やってるオレは誰だ?
自分を探した 「J.BOY 」in 1986 🎵
この自伝のような明るい曲は、私の音楽体験と重なる。
ただ、彼は私のように歌謡曲を聴いたのだろうか?
10歳でロックンロールに恋をしてから、ひとすじだったのだろう。それは彼のリズムや言葉や、コードに歌詞を自由に歌い回すメロディーでわかる。
「J.BOY」も、欧米のミュージシャンのように、アルバムで発表するかたちだった。今では、アルバムが当たり前だろうが、それまで昭和時代のヒット曲は、AB面のシングルレコードだった。
そして、ロックもフォークも、本場アメリカで録音するのが流行っていた。このアルバムも、アメリカでトラックダウンを行っている。
しかも、LP(レコード)、CT(カセットテープ)、CD(コンパクトディスク)の3つが同時にリリースという、それだけでも面白い時代だった。
浜省のトレードマークはサングラス。
誰が「とってみて。」と言ってもとらなかった。でも、尾崎豊が言ったら、すぐにサングラスを外したという。ホント?
しかも、「(「J.BOY」は)僕のことを歌っているみたいだ。」と尾崎が言うと、浜省は「そうだよ。」と言ったとか。フン!
昭和の終わり。
バブル真っ最中にリリースされた「J.BOY」を令和に聴けば、予言書のようだ。こう生きなくちゃ、男は、若者は。
【参考資料】
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