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私の昭和歌謡30  夢の中へ1973

さがしものずっとさがして歳をとりまだ見つからぬ人生の意味


🎵 探しものは何ですか? 🎵
と私が歌い始めると、息子がハモる。
息子が歌い始めると、私がハモる。

で、🎵 さーあー 🎵を二人一緒に高音部を歌っちゃったりすると、すぐに顔を見合わせて微笑んで「あーあ、もう。気が・・・合っちゃったー」となる。

親子だから、二人の声の質はぴったりと合う。

息子が30歳になってもハモる。息子の仕事の話は全くわからないし、私の高齢の悩みを聞いてもつまらないので、母と息子は、歌で会話する。その一曲がこれ。

私がこの曲を知ったのは16歳。女子高生。B面の「いつのまにか少女は」が気に入って、ギターで弾き語りをした。

弦の響きを手で止めるのがカッコよくて、人前でやってみたくて練習した。自分の文化祭ではなく、それを同じ日に文化祭をやっている高校まで行って歌った。昔は、なんか、うるさいことは言われなかった。

何でそんなことをしたんだろう?
きっと、女子校なんかに来る女子に、この曲は、ヒットしないと思ったのかな。

当時、井上陽水の曲は、冴えていた。光っていた。人生で作品を産み出す時期があるんだと思う。これ以後の陽水の曲で、同じような感動はない。

「夢の中へ」は、まじめに一生懸命働く、勉強する、私たちに、「もういいじゃん。たまには休も。踊ろ。いったんやめて、眠っちゃお。」と誘っていた。

でも、実際、昭和の私は、🎵 まだまだ探す気ですか?🎵と、歌いながら、探すのを決してやめなかった。競争の時代だったから。歯を食いしばって、涙を流して、この歌を口ずさんでww がんばった。ばかみたいに。

亡母は「ゴンドラの歌」を歌って、青春を思い出していた。
🎵いのち短し 恋せよ乙女 朱き唇 褪せぬ間に 🎵 アンデルセンの即興詩人だ。格式あるなぁ、昔の歌は。

私は陽水を歌う。
🎵 だけど春の短さを 誰も知らない 🎵
🎵 君の笑顔は悲しいくらい 大人になった 🎵

恋をしている妹と、大学生の私は喫茶店に座っている。
妹は私に微笑んでいた。その後すぐ彼女はインドに旅立った。

高校に勤めた私と、東京で就職した妹は喫茶店で会っている。
妹は私に微笑んでいた。その後すぐ彼女は命を絶って死んでしまった。

今でも思うのは、人生が長くても短くても、辛くても楽しくても、そういうことより、自分が恋をしたかどうかは、何より重要なことだってことだ。

妹は恋をした。私も。
それは人生の中で意味のあることなんだ。
だから「それより僕と踊りませんか?」と言われたら、踊るんだ。

ゼッタイね。



【参考資料】



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