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私の昭和歌謡113 松田聖子LOVE 1980

夏が終え裸足の季節珊瑚礁思い出にして風は秋色


裸足の季節。青い珊瑚礁。風は秋色。
1980年のリアルタイムでは、全く興味がなかった。嫌ってた。

この曲はCMでサビを聴くくらい。
この年は採用試験に落ち続けていた就職浪人だったから。

高校の非常勤、喫茶店や洋品店のアルバイト、飲み屋の緊急バイト。色々やって、疲れ果て、もう採用試験もあきらめて、適当なところに勤めよう、なんて気弱だった。

だから、聖子ちゃんが売り出して、明るいヒット曲が流れても、かえって気に障った。なんでそんなに元気なんだか、明るいんだか、人気なんだか、すっごく気に入らない。

でも、この曲を思い出す時、一緒に思い出すのは・・・
今のダンナ、当時の彼氏(きゃーー)の言葉だ。

ダンナ
「音大なんか出たって、
一生かけてちゃんと働けるのは学校の先生しかないでしょ。」


(なんで、結婚するのに働かなきゃなんないんだよー、
専業主婦でいいじゃん。)

その私は、定年まで勤めて、再任用を終えて、非常勤で教えている!
今の私から考えると、「かなりのバカ」だったと思う。

こう言う非常識の私に、普通の口調で、彼氏は、言った。たいしたもんだ。

心の中で、子供っぽい反抗をした。


(歌手になろうと思ってるのに・・・
え?本当に?なれると思ってたの?
そんな根性ないくせに。
だったら、音大なんか出なくてもよかったじゃん。
なんで先生なんだよー。)

そうやって、頭の悪い私は、くさって勉強もしなくて、
結局なんかの偶然で合格した。4回目だった。
だから28歳の新採用教員。

その時お世話になったのは非常勤で勤めてた高校の大先輩の教員だった。
「なったらさぁ、6年は辞めるなよ。失礼だから、な。」

wwwよっぽど、当時の私は、辞めそうで失礼だったんだ。
立派に勤めたよ、って亡くなったこの先輩にも言いたい。

聖子ちゃんの3曲は、タイムマシンだ。
今聴くと、そういう時代の私を「しょうがねーやつだ」と思い出す。

この3曲は、「松田聖子といえば松本隆」っていう時代の前のヒット曲。
作詞が三浦徳子(よしこ)と、作曲が小田裕一郎のコンビ。

松田聖子は福岡で平尾昌晃のボーカルスクールに通っていたという。

この3曲も、当時の実力派の平尾昌晃調のヒット曲だと思う。でも、サビが強烈に印象に残るところに、歌謡曲の進化を実感する。

🎵 エクボのー秘密あげたいわー 🎵 (裸足の季節)

🎵 あーー私の恋は南の風に乗って走るのー🎵 (青い珊瑚礁)

🎵 ラーラーラ ラーラー おー ミルキースマイル🎵 (風は秋色)

このフレーズを聴けばすぐ聖子ちゃん!ってわかる。しかも、当時は気に入ってなかったというのに、すぐに歌えてしまうんだ。

この後、聖子ちゃんの持ち歌は、ニューミュージック系の作曲家と、松本隆の作詞に移る。

売り出し始めの、三浦徳子&小田裕一郎コンビの曲は、昭和歌謡アイドルの集大成だ。

私が聖子ちゃんファンになったのは、サントリービールCMの第2弾「Sweet Memories」。21世紀になってから。ずいぶん遅い。

62歳の松田聖子を応援はしているけれど、「このアイドル歌手、どれだけ声が出ちゃうの?すごい。」という、新人の聖子ちゃんの歌が好きだ。


【参考資料】
ヒット1曲目

ヒット2曲目

ヒット3曲目


平尾昌晃が提供した1曲


当時のCM


私が聖子ちゃんファンになったCM



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