私の昭和歌謡36 虹色の湖 1967
幸せを探し求めて人生を無駄に過ごしたあの若い日々
中村晃子の歌はG&S歌謡曲である。「虹色の湖」もそう。しかもジャガーズと共演したりして、女性ボーカルのバンドのようなイメージを作っていた。
思い出といえば「夜のヒットスタジオ」
1968年から22年間も生放送でがんばった歌番組だ。最後の方はもう観ていなかったけれど、月曜日だけは夜更かし。小学生が11時に寝るなんてイケナイ時代だった。
でも家族は私の歌謡曲好きをとことん知ってるから、この番組だけは観せてくれたんだ。
さて、その番組の中で、「コンピューター恋人選び」というのがあった。相性ピッタリの男性にマエタケ(前田武彦)と出たとたん、中村晃子が泣き出した。
当時は小学生だから、ヤラセなんか知らない。
えっ?えっ?そうなのー?中村晃子ってホントにマエタケ好きだったのー?!と、びっくりした。
時が経って「夜のヒットスタジオ」の記憶はこれしか残っていない。その記憶も、今では、こんなのが好きだったなんて恥ずかしい。
まるでミーハーじゃないか!ww そうです。私はミーハーだった。
「虹色の湖」は”幸せが住む”という”虹色の湖”をさがしに故郷を捨てて旅に出る”私”の後悔の歌。
いまさらに、バカな娘だ、と思う。だから歌になるんだろう。
虹色というのが予感のような気がする。SDGsもLGBTも虹色の旗を振る。この虹色は、若い娘を誘惑するアイテムなんだ。
その湖を探すために、本当に素晴らしいもの、ふるさとの風景やお祭りや、自然や恋人や友人や、そんな思い出を全て捨てることになる。
結局。”帰るには遅すぎて””あの人も遠くて”湖はまぼろしだった。
欧米では、多くのミュージシャンが、なんか予言的な歌詞を歌うことがある。今思えば、この「虹色」も56年前の予言かもしれない。
な、わけないか。
萩原健一も、GSブームを振り返り「自分のやってることが何かこうウソくさく映ってきたわけね。どっぷり酔わなかったんですよ。何か間違って、まぐれで当たっちゃった感じがあった」と言っている。
この時代、すっかり騙されて幸せだった子供の私は、よっぽどいい気で歌った。
🎵 帰るには遅すぎて あの人も遠くて
泣きながら呼んでいる まぼろしの湖🎵
【参考資料】
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