1984年にニューヨークに行きました
ジョージ・オーウェルの「1984年」はこの頃はまだ予言でした。
この年、私は同僚の音楽科教師と2人でニューヨークへ向かいました。
目的は、クリスマスのニューヨークを歩くこと。ブロードウェイでミュージカルを観ることでした。
当時は1ドル225円ぐらい。米国旅行は、薄給の身には「いざ、ゆかん。」という感じでした。
当時人気の「地球の歩き方」に触発されての海外旅行。新採用は月給16万円です。安い航空券は大韓航空で、ソウル経由。ニューヨークには夜の到着です。若い女性には少し危険でした。
でも、大韓航空が夜到着のおかげで、”ジュエリーアイランド”を見ることができたんです。空から見たニューヨークは30カラットのダイヤモンドにルビーやエメラルドをまぶしたような島でした。
タクシーに、YWCAと告げたのですが・・・まさかのハプニング!つぶれてました。そこで、同じくらいの料金のホテルに連れてって!と嘘泣きするとYMCAに送ってくれましたが、ぼられました。
YMCAのフロントは、フツーにクリスマスツリーと電飾で迎えてくれました。比較的質素でした。でも・・・
驚いたのは次の日の朝食。食堂は広くて、パンケーキやパン各種、焼き方豊富に注文できる卵とベーコンのメニューのいい匂い。
何より気に入ったのがシリアル。ガラスの容器にずらっと並んだプレーン、砂糖、木の実、ドライフルーツ・・・
シリアルが好きな私は(当時は)絶対毎朝飽きないー、と感動しました。
着いた時は深夜。本当に、どこの安宿?っていう二段ベッドの部屋。テレビでは、今さっき歩いた横丁で”殺人事件がありました”というニュースも見ました。
主人が餞別にくれたSONYのカセットウォークマンで子守唄を聴きながら眠りにつきました。曲はなぜか「ペニーレイン」♪
中華街にも行き、刑事物のドラマと同じだーと感動し、ウエストサイドストーリーの非常階段だーと感動して歩きました。
暖冬。寒いのも嫌ですが、雪の静けさも風景の美しさもない、雨でぐちゃぐちゃの街でした。でも観光はしなくちゃ。
メトロポリタン美術館。近代美術館。自然史博物館ではプラネタリウムも見ました。グッケンハイム美術館。
グッケンハイムではお土産に、アンディー・ウォーホールの絵葉書を買いました。
その頃のヒット曲は・・・
マドンナの「ライク ア ヴァージン」
スプリングスティーンの「ボーン イン ザ USA」
レコード店にも行きました。レコード店です!ww
まだ古風な英国風の本屋があって、この街で、立ち寄るような暮らしをしたいなぁ、と思わせるような本屋です。
ショッピングでは、店員のおばちゃんにBoxの発音がBookに聞こえると言って、何度も練習させられましたw
地下鉄は、さすがに乗りませんでした。もっと長く滞在するならなぁ〜と、名残惜しく入口を眺めました。
ティファニーだって行きました。母の髪留めをカードで購入しました。バックパッカーのみすぼらしい日本人のカードは、Telexで照会するので時間がかかること。しかも対応の店員さんは黒人でした。店の中に入れてくれないわけじゃないですが、そこは金持ちと貧乏人のフロアがあることがわかりました。
母の遺品の中に、この髪留めを見つけた時、店員さんの言葉を思い出しました。私がサインした漢字の文字に"Beautiful"とお世辞を言ってくれました。
まぁ、サンキュw
ミュージカルは「キャッツ」と「ラ カージュ オ フォル」のチケットを日本で申し込んでおきました。これはボケの私のために主人がしてくれたこと。
「キャッツ」は今までのミュージカルとは全くコンセプトが違いました。エリオットの詩に触発されて、ここまでの新作に挑んだ力作でした。小屋もキャッツ用に作ってありました。終演後方々の扉が開くと、すぐそこに車の走る通りがあるのにも驚きました。
親子連れは一緒に「メモリー」を歌いながら帰っていきます。最高の夜でした。
新採用の3年間は夏も冬も海外へ行きました。できる限り安く、無鉄砲な旅でした。周囲への迷惑も考えず無責任でした。
でも、こうしたわがままが、きっといつか教師としての仕事に生きるだろうと(思ったかどうかは私が勝手に考えているだけですが)先輩たちは苦言を呑み込んでくれたのが、昔の職員室でした。
スレスレの昭和の鷹揚さに甘えて、私は貴重な体験をすることができたのです。
60歳で定年退職し、再任用を5年間勤め、今年は非常勤講師として働いています。私の先輩たちは見る目があったということです!えへんw
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