青木真也が虚構だった?虚構と幻想は紙一重
青木真也の言った「虚構野郎」について少し考えてみました。
【虚構】
《名・ス他》実際にはない、作り上げたこと。作り事を仕組むこと。フィクション。
世界的ベストセラー・サピエンス全史では今日の人類の発展は「虚構」無しではあり得なかったとしています。
著によれば動物が徒党を組んで生活できる規模は猿山程度の人数で、それを超えると瓦解するそうで、
秋山に負けた青木真也自身が「虚構」だったなどと揶揄されがちですが、よくよく考えると青木真也ってそもそも
虚構を紡ぐ人だよね
と気づきます。
作り事を仕組む…という意味に着目すると、彼がよく言う「物語」というのも「虚構」に置き換えられます。
遡れば青木真也が作ったDREAMの前身PRIDEはプロレスラー高田延彦の「虚構」から始まったものですから、どこまで計算していたかは知りませんが偶然にせよ青木真也の言葉選びは流石です。
彼は、作り事を仕組む→実力で証明→説得力を増す→また事を仕組む…という紡ぎを繰り返し、ファンの感情を揺さぶってきた人です。
桜井マッハ戦、メレンデス戦、アルバレス戦と説得力が落ちる瞬間はあれど、積み重ねた実績と言葉の力で都度持ち直して来ました。
が、
今回は過去の敗北よりもダメージがデカいと見ています。
マッハ、メレンデス、アルバレス戦時は
「青木真也は勝てるのか?」
という見立てが土台にありましたが、秋山戦に関しては
「青木真也が勝って当然!」
というような空気に包まれていました。
水抜き無しの過酷な減量に挑むという秋山成勲のストーリーに焦点が当たってしまった為です。
本来階級が違う上に、普段から通常体重を抑えてあまり減量をしない青木真也と、試合に向けてしっかりと減量をする秋山成勲との「フィジカル差」に加え、上の階級の外国人にも通用する秋山の「打撃力」があるにも関わらず、その事はすっかり忘れ去られているようでした。
青木がマイクで秋山に「虚構野郎!」と煽るところまではいつもの青木劇場でしたが…
一方の青木は勝って当たり前と思われてしまった時点で美味しくありません。
どっちに転んでも称賛されることが決まった秋山との対戦…運命がどちらに味方したかは自明でした。
「水抜き無し」という減量規定が、UFC的世界観(世界)を諦めた青木真也が選んだ舞台ONE特有のものであるというのも皮肉な話です。
まさかとは思いますが、この空気感を計算で作ったのだとしたら
秋山は本当に魔王です。
そんな魔王という虚構を背負っていた秋山ですが、よくよく考えてみると彼ほど「勝利というリアル」を求めた人は居ないかもしれません。
在日韓国人として居場所を求めた韓国でも学閥の壁に阻まれオリンピック代表は叶わず、結局は日本に戻ることに。完全な勝利という形以外は認められない境遇で、どんな事をしても勝たなければならない!という思考に至るのは合理的です。
例のヌルヌルや柔道時代の数多の不正疑惑も共感や賛同は出来ませんが合理的思考として理解は出来ます。
かつて勝利というリアルの為に、使えるものは何でも使うという姿勢が日本中から嫌われたヒールが、今回減量一発で空気を一変させた事も紛れもないリアルで、それが出来たのも過酷な減量を成功させた取り組みそのものに
虚構が無い事がファンに伝わったからだと思います。
試合で虚構を暴こうとした青木真也に対して試合前に虚構を解いてしまった秋山成勲…勝負あり。
一方の青木真也はこれからどうするのでしょう?
本人の言うところの「青木真也を貫く」に尽きるのだと思いますが、いかんせん
ダメージが過去のものとは比べ物にならないと感じています。
これまでは負けても主語が青木真也だった訳ですが、今回は秋山に全てを持っていかれました。
どうやって説得力を持ち直すのでしょうか?
文筆家・青木真也
の進化が問われる場面だと思います。
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