「思想が喋っている」街頭演説を思想の実体とみる。

街頭演説を思想の実体と見る。なんだ当たり前のことじゃないか、と思われるかもしれません。

しかし、僕は街頭演説を見ると思想が拡声器を持って突っ立っているように見えるのです。なぜか政治的な演説は特にそう見えてしまいます。

これは、批判でも擁護でも、街頭演説が必要かどうかを問うものでもなく、ただそう見えるというだけの話なのであまり繊細にならないでください。


大勢が居る中で、ある種極まった発言をする。僕自身が知らない大勢の前で発言をほとんどしたことがないからかもしれませんが、何がそうさせているのかわからないのです。
街頭演説をしている方々が普段どのような生活を送っているかは知ることはできませんが、人前で雄弁に語ることだけでご飯を食べている人は少ないと思います。
そう仮定すると、デモを行う彼らにとっても、街頭演説というものは非日常に分類されるものであると思います。つまり、異常なこと、普通ではないこと、生理現象や労働以外でエネルギーが必要なことになります。


あえて素直にいうと、なぜわざわざそんなことをしているのか。

この疑問に対する答えが一向に導出できないので、人が喋っているのじゃなくて思想が喋っているんだ、と考えるようになりました。

じゃあ思想ってなんなん?という疑問が新たに生まれましたが、そのように考えた方が自分にとって妙に納得感がありました。

くだらないことですが、「人が自己として行動することと、人がある規範のようなものから得た思想を体現するために行動すること」、

この辺を分けて考えると何か見えてきそうな気がしたので、言語化してみました。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

こぺ

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こぺ
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