児発管からエリアマネージャーへ。対話を通して「最高の療育」を子どもたちに届けたい。
保育士のキャリアを活かし、2018年に児童発達支援管理責任者(以下、児発管)として旧コペルへ入社した山本さん。恩師とともに立ち上げから携わったコペルプラス新大阪教室は、「東の西日暮里、西の新大阪」と言われるほどの療育数を抱え、教室には子ども達の笑顔があふれています。
2024年4月。山本さんは半年に一度の講師研修会の準備に追われる中、6月からお父様の経営する会社の清算手続きの為、休職を決定しました。そして「あと2日で6月」という夕方、旧コペルの民事再生手続きが発表されます。
すぐに関西全教室の児発管を集め、リーダーとして「不安だろうけれど、踏ん張って欲しい。明日から休職するけれど、必ず戻る。」と呼び掛けた山本さんは、7月に大阪エリアマネージャーとして旧コペルへ復帰しました。現在、大阪は全国エリア内で療育稼働率No1となっています。
今回のnoteでは、山本さんに「人と深く対話すること」「良い療育を届けること」「教室運営を安定させること」の三位一体の根底にある想い・人との出会いについて伺います。
#児童発達支援は、「究極の対話」の連続
◎コペルプラスの「児童発達支援」をひと言で表すと、どんなお仕事ですか?
児童発達支援は、発達に凸凹のあるお子さまに対する福祉サービスを提供する仕事です。教室に通うお子さまは発達障害による何らかの「生きづらさ」を抱え、保護者様も真剣にお子さまの将来を考え、通室を決断されています。
そういったお子さま・保護者様に児発管や指導員がマンツーマンで向き合い、アセスメントを行ったり療育指導を行っていく、いわば「究極の対話仕事」と言えるかもしれませんね。
◎だからこそ、「指導側の在り方」が大切なのですね?
はい。「指導する側のマインド」が、満足度や成長成果に直結します。そして、指導員は通常保育ではなく、あえて「児童発達支援」を、その中でも「コペルプラス」を選んで来てくれているのだから、皆の中に「なぜ自分はこの仕事に携わっているのか?」という、モチベーションの種がきっとあるはずなんです。
そこを信じて、指導員と地道に向き合って。誰かの自発的なやる気がその先の相手に伝播することが、クチコミの紹介や療育増にも結び付く。これが結局、遠回りのようで教室運営の近道なんだなと、実感します。
#子どもとの関わりで大切なのは「信じて待つ」こと
◎ご自身の「育児」に対する考え方を教えてください。
私は育児は「育自」だと思います。親は、子どもを通して人としての在り方を教わっている気がしますね。
私自身も本当にのんびりした子どもで、靴を履くにも5分、10分とかかる自分を、母は急かさず待ってくれたようです。自分が保育士になり、母親になり、「待つことのしんどさと尊さ」を知りました。
相手を信じているから「待つ」ことが出来るのだと思います。まさに「出来る時期は、子ども自身が決めて大きくなる」そのものだと感じました。これは、コペルメソッドの中で一番大好きな教えでもあります。
◎ご両親からは、どういったことを学びましたか?
経営者だった父からは「人の想いなど目に見えないものが一番大切であり、それが世の中を創っている」ことを、母からは「常に本物に触れなさい」ということを学びました。両親ともに忙しい中、山ほどの良質な絵本を父が選び、母が日々読み聞かせてくれたことは、心の糧になっています。
「誰もが好きなことをして、誰かの役に立てる世の中になるといいな。そのために、人の為に今出来る事を、今精一杯しなさい」というのも父の教えですね。偶然にもクラ・ゼミの理念「誰にだって輝ける舞台がある」との共通項を感じ、後々鳥肌が立ったものです。
#40代で旧コペルへ入社し、新大阪教室を立ち上げる
◎少し話を戻します。なぜ、旧コペルに入社したのですか?
きっかけは旧コペル創業者の著書でした。40代となり、児童発達支援を志すタイミングで出会ったその本には、子どもたちが幸せな人生を歩む哲学が書かれており、私が保育現場で感じてきた「ありのままの姿を認め、好奇心を育む」想いと一致したのです。
「子どもと親の存在を丸ごと肯定し、自尊感情を育む」ことを大切な土台として、「多種多量の良質な教材で子どもの好奇心を刺激し、個性を伸ばす」メソッドにも惹かれました。
著書をきっかけに、2018年8月に児発管として旧コペルへ入社。新大阪教室の立ち上げを任されました。
◎新大阪教室では、どういった出会いと学びがありましたか?
教室オーナー兼SVだった「もう一人の母」と慕う恩師から、多くのことを教わりました。言葉にまとめると「人との対話を大切にし、とことん向き合い、中庸で物を見る」ことだと実感します。
新規開校の為、営業活動にも皆で注力しました。私は「営業」とは、自分を磨き「信じるものの魅力を伝え、ファンになっていただくこと」だと思います。たくさんの子どもが教室に通ってくれることを思い描き、職員と一丸となって、とにかくコペルプラスを知っていただく為の「行動」を重ねました。
もちろん営業の他にも児発管として、お子さまの支援の軸となる個別支援計画を作ること、地域や関連機関との連携、教室運営などやる事は多岐に渡りましたが、教室全体がエネルギーに満ちていました。徐々に療育数も上向きになり、気付いたら関西のモデル教室と言われるようになったんです。
#「安定した教室運営」にかける強い覚悟
◎民事再生と休職が重なり、複雑な想いだったのではないでしょうか。
新大阪の教室運営は順調でしたが、父の突然の他界により、父の会社の清算の為やむなく民事再生直後の6月から休職。その期間、懸命に関西の教室を守ってくれた信頼する職員たちには、現場に出られない申し訳なさと感謝でいっぱいでした。
父が他界し、民事再生になり、恩師の元で学び続けるのか、これから先どうすべきか真剣に考えました。その時聴こえてきたのは「必ず戻る」と現場に伝えた自分自身の言葉でした。みんなの顔が浮かび「約束を守りたい」と、旧コペルに戻ることを決意しました。
◎その後、旧コペルは幾つかの教室を閉所。無念の想いが、新たな決意につながったのですね。
はい。民事再生によりエリア内の教室を閉所した際の、お子さまや保護者様への対応は、職員にとって身を切られる思いでした。現場は自責の念にかられ、当時の想いが「もう二度と、閉所を出さない」という皆の決意につながっています。
また、私には「育ててくれた恩師の分まで、大阪エリア全教室を守る」という覚悟があります。閉所を出さず、持続可能な運営をするための療育数確保へのこだわりは、関西のコペルを創ってきた皆の想いですね。
#クラ・ゼミの「人との対話」×コペルの「メソッド」は、最強の発達支援
◎2024年7月。クラ・ゼミによる新体制となり、何が印象的でしたか?
倉橋社長や阿部本部長が現場に頻繁に足を運び、職員と対話をされる姿が非常に印象深く、勇気づけられました。
そして復職と同時に大阪エリアマネージャーの打診を受け、プレッシャーもありましたが、引き受けました。これまでも児発管からリーダー・児発管ガイドラインの監修等、ハードルが上がる度に「任されることに感謝し、全力で取り組む」ことで、視座が上がり成長できたと思います。
現場においても、目の前のお子さま・保護者様に真摯に向き合う姿勢はそのままに、揺るぎないコペルメソッドにクラ・ゼミの「人との対話」文化が加われば、子どもたちに最高の療育を届けられる。そう信じています。何より職員にとっての“輝ける舞台“が、コペルプラスなのですから。
◎エリアマネージャーとして、これから何を成し遂げたいですか?
大阪エリアは、お客様の目が非常にシビアです。そんな中、培ってきた人間関係のおかげで高い稼働率を保っていますが、そこには上の立場の方が現場に顔を出し、職員との対話が当たり前だった文化があります。
これまでの人生を通して、自分の志は「働く仲間がそれぞれの生きがい・働きがいに気付き、能動的に世の中に貢献できる組織を創ること」だと気付かされました。
現場の職員がやりがいをもって幸せに働くことが、その先のお子さま・保護者様の幸せへと繋がっていきます。だからこそ、まず大阪で志を実現し、それを全国へと広げ、仲間とともにより良い療育を届けていきたいです。
【インタビュー後記】
エリアマネージャーとして猛烈に忙しい中、重ねた質問に対して、どこまでも深く・真っ直ぐに・想いを込めて語られた山本さん。思えば、私自身の転機を後押ししてくれた方は皆、「どんなに忙しくても、責任が大きくても、だからこそ人との対話を惜しまない」山本さんのような方でした。
山本さんの根底には、「相手を信じて待つ」大きな愛情があるのだと思います。それは、ご自身がひとつひとつの人との出会いや別れを全うしてきたからこそ培われた、人間性と言えるのかもしれません。
人と向き合うことの奥深さとともに、志を持つことの尊さ、笑顔の奥の痛みと優しさが心に残るインタビューでした。(広報N)