朝
──PiPiPiPiPiPiPi……
目覚まし時計のアラーム音が静かな部屋に響き、急速に意識が浮かび上がります。
たとえ心地よい眠りの底にいてもお構いなし、なんとも無慈悲に引き剥がしてきやがるのです。
しかし、憤っている暇はありません。
なぜなら早いところスイッチを切らないと、「さっさと起きれー!!」と言わんばかりに、どんどん賑やかになってしまうからです。
もしうっかりして上面のスイッチを押しようものなら、鳴り止んだと油断させておいて5分後に再び騒ぎ出すという、なかなかの知能犯ぶり。
確実に止めるためには右側面にあるスイッチを切る必要がありますが、起き抜けの頭ではこれがなかなか難しいのです。
そんなこんなでいつも睡眠を妨げられるので、つい疎ましく思ってしまいます。
でもよくよく考えてみれば、目覚まし時計とはそういうものでしたね。
これが逆の立場なら、設定された時間に起こしてあげているのだけなのに、それで毎回鬱陶しがられるなんて理不尽極まりないです。
本来ならば感謝して然るべきなのに、お門違いもいいところ。
しかしながらそこはたった今起きたばかり、まだ寝ていたいという心の声がちらと聞こえただけなのです。
だから見逃していただきたく思います。
そんなわけで脳もまだ営業を始めていないらしく、頭の中には雑念など殆どありません。
なるほどこれは“朝活”なるものが流行るのも納得できます。
僕はやっていないですけれど。
だって4時20分ですよ、これ以上の早起きなどしたくありません。
もっと寝させてほしいのです。
仕事の日はともかく、休日ならなおさら。
それはそれとして、眠い目をこすりながら洗面所へ。
のろのろと顔を洗っていると、『アマリリス』が聞こえてきました。
ごはんが炊けましたよ、との炊飯器からのお知らせです。
はっ! これはいけない、たらたらしている場合ではありません。
さっさと顔を拭いてキッチンへ向かい、しゃもじ片手に炊飯器の前へ。
そしていざ蓋を開けると──熱々でつやつや、炊きたてごはん様のお目見えです。
誰ですか。
立ち上る湯気が炊きたてであることを誇示しているかのようですが、間違っても手や顔を近づけてはいけません。
ごはんが熱々ということは、当然ながら湯気だって熱いのですから。
そんなわけで火傷に気をつけながら、しゃもじでごはんに十字の切れ込みを入れて、1/4ずつひっくり返しながらほぐしていきます。
余計な水分を飛ばしたり、釜の中で火の通り方が違うのを均したりして、ごはんをおいしくするための大切な一手間です。
炊飯器の添付書類にもしっかりと書いてありますから、やらない理由がありません。
さらには、炊き上がってから10分以内に行うべしとも何かで読んだので、一刻を争うのです。
このとき僕はいつも頭の中で、「天地返し!」などと何かの技名のように唱えながらやっています。変な人です。
それでも一応は美味しくなります。
ところで今さらかもしれませんが、炊きたてのごはんはなんて素晴らしいのでしょう。
食べる前から絶対おいしいと分かっているのに、味見と称してつまみ食いをしたくなるほどです。
もちろん冷めてもおいしいですが、“炊きたて”というだけで何だか嬉しくて小躍りしたくなります。
実際にはしませんよ。
でも。
蓋の開いた炊飯器の前でしゃもじ片手に変な舞を踊る輩、の図。
想像するまでもなく怖いです。
呪われそう。コメタケタ~イッパイクエ~。
閑話休題。
保存容器にごはんを詰めて、お弁当箱にもごはんを詰めて、残りは朝食用として飯椀にこんもりと。
お弁当と朝食の分には、市販品ですが昆布の佃煮ものせておきます。
生姜入りのものが最近のお気に入りです。
生姜ばかり多くて昆布がちょっとしか入ってない、なんて言ってはいけません。
“昆布生姜”ではなく『しょうが昆布』ですから、昆布が少なくても多分間違いではないはず。
たっぷりの生姜がぴりりと効いて文字通り甘辛いので、ごはんが進むこと請け合いです。
同時進行で作り置きのお味噌汁を温めれば、それで朝食の支度は整います。
おかず? 納豆ですが何か。
白米が雑穀米になったり、毎日お味噌汁の具が変わったりはしますが、だいたいいつも同じ献立です。
ひとり暮らしを始めて3年半と少し、自宅での朝食はそのような感じで落ち着きました。
どうでもいいですか、そうですか。
僕は朝ごはんが食べられると思えば、早起きするのもそこまで苦ではありません。
きっと食い意地が張っているのでしょうね。
もともと寝起きがいい方な気はしていますけれど、どちらにせよ寝坊しないで済んでいるのでありがたいです。
しかしながら、起きられはしても夜寝るのが早いわけではないので、万年寝不足気味。
今後の課題ではあります。
でも今より早く起きたくはないですし、だからといって朝ごはん抜きは絶対に嫌なのです。
ではどうすれば……。
あっ、そうか!
早く寝れば良いのですね。よし。
それはさておき。
朝食を終えたら片付けて、諸々の支度を整えた後に、例のウォークマンで一曲聴いてから出勤です。
会社には持って行きませんので悪しからず。
しかしその一方で、カメラと文庫本は持って行くという謎。
会社へ何しに行っているのかと言われそうです。
もちろん仕事ですよ。
当たり前じゃないですか。
そんな余計なものも入れたリュックを背負い、靴を履いてドアを開け、外へ一歩踏み出します。
そこに広がっているのは、果たしてどんな世界でしょうか。
窓の外を眺めながら想像したよりも、
暑かったり、寒かったり
晴れていたり、曇っていたり
風が吹いたり、何かが香ったり。
温度や湿度に空気の流れ、さらには空模様から道端の植物に至るまで、見て感じて確かめるのです。
まるで答え合わせをするみたいに。
そうしていると、季節の移ろいや気候の変化をなんとなく実感できます。
歩く人の姿や走っている車が少ないのは、まだ朝も早い時間ならではでしょうか。
街は半分くらい眠っているような雰囲気で、時間の流れも緩やかに感じられるのが何とも新鮮です。
今日はどんなことがあるでしょうか。
期待と予感と、少しの不安を抱きながら、思いを巡らせます。
何か楽しいことがありますようにと。