失敗の振り返り
※わけの分からないことが書いてあります
最初は自分が悪いだなんて思っていなくて
むしろ
それなりにしっかり対応できてえらいし
すごいと自画自賛してみたり
でも時間が経つにつれて詳細が分かってきて
ついでに自分でも冷静になって考えてみて
そしてどうやら真実は違ったようだと
間違っていたのは
他でもない、僕自身らしいと
その答えに抗うように
本当はこうなんじゃないかとか
あの状況では仕方ないとか
自己弁護を試みたり
まだ心の中では
僅かな希望にしがみついているけれど
それが証明されることはこの先きっと無くて
それなのに
受け入れることをどこかで拒んでいる自分がとても醜くて
間違っていたのは僕で
駄目なのも僕で
やっぱり向いていないらしくて
今まで
誰々が駄目だとか、何々が出来てないとか
心の中で非難していた自分が滑稽に思えます
たまたま
そこまで大きな事象を起こさなかったから
基本にしっかり忠実なつもりでいたから
天狗になっていたのですね
何様のつもりですか
阿呆ですか。馬鹿ですか
“失敗すると他人に寛容になれる”
そんな言葉を何かで見たけれど
なるほどこういうことなのですね
自分を責めるのに忙しくて
失敗した自分が恥ずかしくて惨めで
何より落ち込んでいて
他人がどうこうなんて
考える余裕がありません
考えたくもありません
ここにいてごめんなさい
余計なことしてごめんなさい
何もできなくてごめんなさい
ただただ
心の中で謝ることしかできなくて
謝ったってその事実は無くならないけれど
その代わりに僕がいなくなれば良いのではないかと思ったり
「帰りたい」
つまりは、ここにいたくない
というかここにいてはいけない
まるで冗談のように声に出して言い
その倍くらい心の中で思っていたけれど
「二度と帰りたくない」の方が正確なのかなとも思ったり
“誰だって失敗はするよ”
“失敗して成長するんだよ”
“誰も気にしてないよ”
“ちゃんと対応できてた”
そんな優しい言葉をかけてくれる先輩や同期が少しだけでもいる僕はきっと恵まれていて
でもそんな優しい方々と一緒にいるのには
僕はきっと分不相応に違いなくて
気を遣わせてしまうのは申し訳ないけれど
それを少し嬉しく思っているのも確かで
そんな卑しい僕はやっぱりろくでもない
失敗して謙虚に振る舞うことを学び
さらに別の失敗をして優しさが身について
もしそれで人間として少しでも成長できたとしたら
あのとき失敗しておいてよかったなって
いつか思えるのでしょうか
もしそうなら
今のつらい気持ちも少しだけ救われる気がします
将来のことは分からないし
一晩経ってもまだ落ち込んでいるし
ずっと落ち込んだままでいたい自分と
元気を取り戻したい自分とが両方いて
どうしたいかは自分でも分からず
とりあえず
時間が癒やしてくれるのを待つばかりです
なんのはなしですか?
(自分用メモ)
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