生きるとか死ぬとかそういう話から

職場の近くの廃墟が自殺者が多い場所と知った

いつも出勤の時に駐車場に車を停めて

目の前にその廃墟が見えて、その時はまだそんな自殺者のいた廃墟なんて知らず

なんとなくその廃墟だけ気になっていたけれど、

自殺者がいるって知ってから見方がまた変わり

今絵を描いてる題材にその建物も含まれていて

なんか生きるとか死ぬとか改めて真面目にそういう事を考えるようになった

身内の葬式に行ったけど

大勢いる葬式が昔は立派だと思っていたが

ある程度色々知ると

葬式に来た人達

良い年した大人がお焼香が回ってくるまで
喋っている

葬式ってしんみりやるもんじゃなかったのかとか

まぁ少人数だろうと大人数でだろうと

人の生き死にに礼儀なんて関係無いのかもしれないのかとか

結局はその人がもうこの世に存在しなくなる事の
肉体が存在してる最後の時間を共にする為の儀式?なわけで

死人に口なしだから

その現場でシャ乱Qの歌の歌詞で俺が死んだら誰が泣くかなみたいな

誰が私を看取ってくれるんだろうとか色々考えたけど

自分の死ぬ時に誰がそばに居てくれるかとかの事なんて
よく昔から考えていた事だから

そういう理由だけで子供を作るのもなとか

でも最後困るのは自分なんだよなとか

自分の終わりを考えるきっかけを結局は毎度葬式とか人の生き死にに思い出させてもらう感じだなと思う


それ以外でも

自分が生きた証みたいなものをどう残せるのかとか

子供もいない自分がやるとしたら

絵を描くくらいなのかなとか

いや写真でも良いだろう

でも自分の生きた証って

自分が誰かに何か教えた事も生きた証になるんだよなっていうのを

前に思った事があったから

私はそれで充分だなと考えた事もある

結局は

その人達がそれを覚えていてくれるかにもよるけれど

だから本当は何の邪魔もなく迷いもなく

心から良い行いをしたい本当は

昔コンビニで泣いてた女性に声をかけたのを見てた後輩が

私はそれを全く覚えていなかったけれど

それをした私を凄い人だと褒めてくれたけど

嬉しかったけど

そういうことじゃなくて

その私の良かったと思った行動を

その子も同じような事をすることが

1番自分が生きた証になるんじゃないかと思えた

きっと子供がいたらそういう事なのだろう

他人でも変わらない

また変な事が起こっているかはわからないけれど

親切の押し売りの、良いことしてるアピールみたいなそういう事じゃなく

ちなみに親切ってなんで親を切るって書くのかと
恐ろしい怖い漢字だなと思ったけど

話が脱線したが

私はそんな性格が良いわけでも無いし

きっと意外とガメツイ

それこそ大それた力を持っているわけでも無いし
本当は異能なんか無い

シンクロニシティも誰かの仕業だろう

そういうの全部取っ払って

やっと解放された時

改めて本当の素の自分と向き合えて

それこそ

この世界の誰もが私を忘れたとしてもになった時が

本当の自分として
素直な行動がとれる時なんだろうなと思う

色んな呪いが私を苦しめていたけど

未だ続いてるいるような

その時はもう目を瞑って諦めとこう


いいなと思ったら応援しよう!