P1160008_のコピー

鮨屋にて ①

街の中心部へ向かう南北の道に大きな一本の古い楠がある。
緑は若々しく、広く生い茂った枝葉の傘の下は心地の良い日陰を作っていた。
日陰には誰かが植えた紫陽花が浅葱色にやさしく咲き、また他の誰かに優しく育てられている顔をしていた。

その大きな楠を西へ曲がると古い団地が立ち並ぶ。5階建ての公団だ。ここらあたりは戦前軍需工場があった場所のはずだから、戦後何年かののちにかそれとも高度成長期に建てられたのか。当時はハイソな「夢の住宅」だったのかもしれない。華美ではなく几帳面に作られた直線と直角が、今では可愛らしく映る団地だ。碁盤の目に立ち並んだ団地は、少なくなった住人と共に静かに几帳面に歳をとっていた。

その中の何棟かは5階建ての1階部に商店が入っている。入っていると言っても今は酒屋と米屋がなんとか店の明かりをつけている程度で他はシャターが閉じたまま折れ曲がっている所もある。
小型スーパーが昔出店していた形跡の処には「ケアホーム◯◯」とガラスにステッカーみたいなものが張られている。

几帳面に歳をとった団地は今も静かに生き続けてはいた。

ただある一角だけにはこの付近には似つかわしくない人やサラリーマンなどが歩道からガードレールの内側に沿い几帳面に並んでいた。賑やかしくも、せわしくも感じさせないがここだけ生に満ちた人間がいるのが不思議な構図を写した。

私が大きな楠を曲がったのもそこに行くため。
午前の11時半頃、几帳面に並んでいる店の前に私も到着した。

それは鮨屋だ。

初めて行った人は、この店の入り口はどこか分からないだろう。正確に言えば「どれだか分からない」だろう。

古い木枠の磨りガラス格子引き違い戸は店の北東面と両横に2枚そして3枚そして2枚と、果物皿のような形をしてした。
暖簾はなぜか店の中に短く切られて掛っているように磨りガラスごしに見えるのだ。

さて、入り口の正解というと両横の2枚。北東面3枚のうちの両端2枚。

そういう私も結局よく分からないのだ。
しかし私の中で勝手に決めているのは、正午まえにここにやってきて人が並んでいれば店はやっている。行儀よく静かに並んで店外の行列の先頭にたった時、人が木枠戸を引いて出て来た戸へ私も入って行けばよい。そういう「暗黙ルール」が多分あるんだと言う事。

入れば直に丸椅子があり、座るためにその丸椅子を手前に引こうものなら自分ごと店外(みせそと)に出てしまいそうになるくらいな狭い幅員である。

この日は10分程並んで引き開かれた戸からまるで何かの業務を交代するかの様に先客と入れ違って私は丸椅子に座りカウンターに向かった。

白髪を短く刈り上げ、白い綿の和帽子を被った年老いた大将と
奥さんが「いらっしゃい」と小さくだが、ゆっくりとシャンとした声で連呼した。

座るといつもなぜかこみ上げてくる(やっぱりいい店だな)というホッとした安堵が食前に起きる。

掃き、そして拭き清められている店内は古さがかえって清潔感を信頼感にかえている。

毎日忙しく準備し店をあけ僅かな営業時間のなかひと時も客は途絶えることなく閉店すれば掃除して一日がおわる。
それを物語る様にこの店には余分なものが一つも置いていない。新聞もなければ額も無い。「店主の趣味で」みたいな余計な置物やおもちゃかガラクタみたいなものが何も無い。

直角と直線で出来ている団地と同じ様に、几帳面になにも不必要なものがない。

そうしているうちに、私の面前にはいつもの様に勝手に1貫が置かれた。

小振りで鮮やかな鮨がわたしを几帳面に出迎えた。


(つづく)

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