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お見舞いには行かないよ

その男、信也という。

中学の同級生である。

プロ野球選手からとった名前だと聞いた気がする。
その選手が現役を引退した後も、信也の父親が野球ファンなのは変わらず、彼の兄はそのおかげで立教大学に通っているとも聞いた。
信也自身も兄を追って立教大学にいきたい、と中学時代は言っていた。

第一志望の高校に入り、入学後はラグビー部に入ったことは同窓生の誰かに聞いた。
かたや、ぼくは志望校にいけず、高校に入ってからは何の目標を持たない子だった。
これといった夢を見つけられないまま、高校を卒業し、漠然と大学進学を目指した。

図書館で顔を合わせたときに、信也が早稲田大学のラグビー部に入りたい、入るのだと言っていたことは覚えている。

そうして、信也は早稲田大学に入学した。

すごい人だな、と思わずにはいられなかった。
ぼくとは違う種類の人なのだと思ったりもした。

身体が大きいほうではない。
ラグビーをやるには小さいほうといってさしつかえない。
大学在籍中に会った記憶がないが、2年生か4年生のとき、古豪早稲田ラグビー部がトップになる場面がテレビ中継されたさいに、スタンドに座っている姿を見つけた。
ぼくはラグビーに興味がないが、隣りで観ていた兄が、監督の隣に座っているということは有力選手か役職者のはずだ、と教えてくれた。

信也ならありうるだろう、ぼくはそう思った。
ぼくはそのときすでに、大学のアメフト部をやめ、卒業することを目標に大学に在籍しているだけの人だった。
アメフトをやりたいと思って門を叩いたものの、身体の小ささを理由に逃げだした。

信也は逃げなかった。
一浪のギャップも、身体が小さいことも、ラグビーをやるのにプラスがあったとは思えない。
けれど、信也はチームが日本一になる場面にいた。

もちろん、信也も日本一だ。

大学を卒業する間際に、偶然出くわした。
大井町だったか戸越銀座だったかのファミレスだった。
彼女と、できちゃったかもどうしようの相談をしているときに、信也は、偶然現れて快活に名刺を差し出した。
入社日がきていないのに名刺を持たされるんだぜ、と嬉しいような哀しいような顔をして言った。

平時なら同席して彼女とも話してもらうところだった。
けれど、あまりにもタイミングが悪かった。
信也とその5年間くらいの紆余曲折を話したかったし、おそらく彼もそう思っていたであろう。
けれど、信也は彼女の顔色を見て察し、遠慮して去っていった。

信也と会ったのは、そのときが最後である。

何度か自分の持っている名刺を整理したとき、未だ在籍しているのだろうかと考えることはあったけれど、連絡をとってみようとは思わなかった。
信也だから、ではなく、ぼくは自分の身を守ることが精一杯で、あたためるべき旧交などはないと考えていた。

おせっかいな人物が同窓生にはいるもので、中学の同級生と年に一度は会うんだと言う人物から連絡があった。
どうして、ぼくに連絡がついたのかは忘れた。
追及するつもりもなかった、インターネットとはそういうものだから。

信也の名を久しぶりに見たのは、SNS上だった。
自分の名を冠した会社の社長になっていた。
社長だから偉い、とはぼくは思わない。
ただ、信也の人となりを知っているぼくからみると、社長らしい人格者であることは想像に難くない。
アイツらしいな、と。
といって、どこに住んでいるだの、子どもが何人いるだのと、とくべつ興味がわかなかったのも確かである。

信也がぼくよりも上級なのはわかっている。
そうだろうか?
ぼくが棲んでいるところも、信也がいるところもそれほどは変わらなくて、この先どうする、とそれを考え続けなければならないのは同じであろう。
と、意見を交わすこともなく、短い文章であいさつしたていどで、密に連絡するようには展開しなかったし、日々の些細な身の上話しや写真を載せるようなこともなかった、お互いに。
ネットを介した人のつながりに、ぼくは懐疑的だし、信也もまた似たような感覚なのだろうと想像した。

その彼が動画をSNSにあげた、と通知がきた。
こういうことを虫の知らせというのであろう。
日ごろはそのような通知は、右から左へ捨てているが、リンク先を開いた。
古い友人が訪ねてきた、のようなタイトルがつけられている。
それはラグビー界では有名な人で、ラグビーに興味のないぼくでも名前くらいは知っている人物であった。

画面上の信也は、自社のホームページに載せている様子とは、まったく異なり、痩せて小さく、かなりやつれている。
おそらく、病院内の面会室であろう、背景はそんなふうにみえる。
音声は録音状態が悪くて聞きとりづらい。
が、こうして会うのはこれが最後かもしれない、のようなことを彼が口走ったのは聞き取れた。
ラグビーOB氏は、そんなことはないだろう、と返している。

画面からみても、体調がかなり悪いのが明らかだ。
高校入学時からのラグビー選手だった人物とは思えない、小ささである。
2分足らずの短い動画の中に、具体的な病名や症状は語られていない。
けれど、明らかに彼は小さい。
もともと背丈は大きいほうではないのに、さらに小さい。

足跡をたどったのか、本人からメッセージがきた。

久しぶり、退院したら会おうな。

待っているよ。

ぼくはそれだけ返した。
待っている、君が自分の足で歩いてそこから出ていくることを。
そうであってほしい。
ではなくて、そうでなくてはならない。

君がこんなに早く終わってしまう人であってはならない。
ぼくと違って、いなくなってしまう影響が大きすぎる。
君を慕い、君と共にし、君と歩き、走り、跳ぶ、人、集団、組織、社会、世界がある。
みんなが君を待っている。
君の静かに穏やかに抗う姿を、追いかけ、真似て、身に付けようとする人が山ほどいる。
君の為したことを讃えているのではない。
君が立ち向かい続けていることに共感し、待ち望んでいる。

つべこべ言わずに出てこい。
再た君と顔を合わすのは病院じゃない、ぼくはそう思っている。

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