「一宮生協から能登半島へ」ボランティア報告【後編】
2024年10月12・13日。
石川県穴水町での能登半島地震災害復興ボランティア【後編】です。少し長くなりますが、最後までお読みいただけると嬉しいです。
愛知県の5生協や諸団体で結成した17名のボランティア部隊。NPO法人レスキューストックヤードさん協力のもと、①いざという時に「たすけあい」と「協同」の組織である生協間の連携強化 ②能登半島地震で大切なものを失い、困難な避難生活を強いられている被災者の皆さんに「ほんのひと時でも穏やかな時間を過ごしてほしい」、との想いで仮設住宅の由比ヶ丘団地を訪れ、一宮生協からは組合員活動推進部の職員2名が参加しました。
名古屋市を出発し、渋滞を挟んで片道8時間。被災地に近づくに連れ、車窓からは全壊・半壊した住居や、撤去が進んでいないガレキが次々と見られ「ここで本当に震災が起こったのだ」という被害の大きさを目の当たりにします。
穴水町は比較的被害が少ない地域と言われていますが、それでも「何事もなく無傷で済んだ!」という世帯はありません。震災直後は、64ヶ所の避難所で4,000人の住民が避難所生活を強いられました。すべての避難所が閉鎖したのはごく最近の2024年6月。以降は、仮設住宅(532戸)や自宅での暮らしを送っています。今回はそんな人たちの希望となり、今なお生活を支え続けている人たちの現地での生の声・体験談を聞くことが出来ました。
①NPO法人レスキューストックヤードさんの話
愛知県に拠点を置くNPO法人レスキューストックヤード。
震災が起こってレスキューストックヤードが行ったのはまず、①トイレの整備(被災者を対象に災害用トイレや凝固剤の使い方指導)や②寝床の確保(段ボールベッド導入)。③最後にようやく「食」の支援だったそう。
現在では【前編】でもご紹介した「ボラまち亭」にて、心身ともに疲弊した被災者の中から「災害関連死を発生させない」ことを目的として、支援物資の提供や大人も子どもも気軽に集え、交流の場ともなるような居場所を作りのための活動を行っています。
今回はレスキューストックヤードが主催する「ボラまち亭」のサロンスペースをお借りして、生協のボランティア隊も「あったかごはん食堂㏌穴水」を開催。被災者とのおしゃべりやお花のプレゼント・一輪挿し作り・ベジチェック測定・手作りパエリアの提供等を通して交流を深めました。
②食で被災地を支えたい-西村さんの話
・穴水在住で元料理人・農家でもある西村さん。被災時は京都におり、そのまま京都に残ることも考えましたが「穴水のために自分ができることは何か?」を考えた結果、『セントラルキッチン』を立ち上げ、安全な食の提供に取り組んできたそう。
・震災直後の1月下旬、西村さんは穴水での炊き出しにボランティアとして参加。そこでは、穴水の被災者自らが調理をして炊き出しを行っている姿が。しかし無償での炊き出しのため収入が発生せず、当然生活が苦しくなり、県外に働きに出る人が増え続けていました。本来、能登の働き手であるはずなのに、職を求めて県外に出さないようにしたいと思い、西村さんはそこで飲食店組合と共同して「食の提供」を通して雇用を生み出す体制づくりを整えます。その後、セントラルキッチンが完成すると、雇用者に給料を発生させることもでき、そうした面でも被災地を支えています。
・避難所の食事といえばレトルトがメインになりがちなので、野菜や魚を使った食事の提供は喜ばれます。高齢者が多い為、野菜は小さく切って提供。特にぶりの照り焼きは好評でした。一時期は1日最大1,500食(朝昼晩)提供したことも。今でもおにぎりなどを20か所の住居・施設等に400〜500食提供しています。
②自らも被災し、被災者リーダーを経験-橋爪さんの話
・家が全壊し避難所に入った橋爪さん。自らも被災者でありながら、避難所のリーダーとして尽力します。「震災直後に自分が避難した、避難所では300人が避難生活を行っていたが、パンが10個しか届かなかった時は、腹が立ちました」。その後、朝昼晩3食カップうどんを食べたり、のちにコンビニ弁当が届けられたが、毎食唐揚げだと脂っこく食べづらく、栄養バランスが取れないメニューの為に食べきれず残す人もたくさんいたり、健康状態が悪くなる人も。そんな中、レスキューストックヤードボランティアさんに出会い、助けを求め、「胃腸が疲れているだろうから」と作ってくれた「おじや」は温かく、涙が出るほどおいしかった。と言います。
・橋爪さんは震災直後、セントラルキッチンに食事を取りに行き、自宅が全壊・半壊し、避難生活を送る高齢者のもとに運ぶ役割を任されます。訪問は健康観察にも役立ったと言います。震災1か月後の2月には被災者に自立してもらう為、避難所からあえて炊き出し場へ出向いてもらうことに。外に出かけないという事は心にしこりがまだある証拠。食に対してどんな反応をするかでその人の心の具合が確認できたそう。
・3月は自立の月とし、自分で食事をよそってもらう役、食事を取りに行く役、など、食べる事に対して役割を持つように促しました。「役割」がある事で存在価値を見いだせた方もいた様子。この頃になると、今まで家から出てこなかった方も、「お肉が欲しい」と出て来るように。「生きる=食」おなかを満たすだけでなく、心も満たすのだ、ということを身を持って実感した、と語ります。
・さまざまな形で支援をしてくださる方々には感謝する一方で、賞味期限が切れたものが届く事があり、「バカにするな!」と憤ったり、支援団体の中には夜中にどんちゃん騒ぎをする人もおり、「被災地にイベントで来るな!」と怒ったことも。ある時、炊き出し場でカレーが提供された際、「自分が他の被災者におかわりを許してしまったせいで、我が子の分がなくなってしまったことを思い返すと申し訳なくて涙が出ます」とも。周囲の大人や親の言動、置かれた環境により、我慢している事を声に出さない子どもも大勢います。
「震災が起こってからずっと何かと闘ってばかりだった」と振り返る橋爪さんですが、セントラルキッチンで提供される温かく、バランスのよい食事や、支援物資に添えられた「頑張って!応援してます!」や段ボールに直に書かれた「絶対見捨てません!」などのメッセージが力になったそう。
今回、生まれて初めて被災地への支援活動に参加した一宮生協職員の2名。まず感じた事は「震災から10ヶ月経った今でも現地はまだまだ復興の途中」という現実と「現地に行かなければ空気感は伝わらない」ということでした。
変わりゆく被災地のために何ができるか?一宮生協ではまずは現状を伝え、少しづつ復興に向かう能登半島に目を向け、できることがあえば支援していきたいと考えています。
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