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【公演を終えて】産声

COoMOoNO『産声』の公演を終えて
                                                宮本尚和


2024年11月8日~10日、アトリエ第Q藝術にて、COoMOoNO『産声』の上演が行われました。上演時間80分の音楽劇。難聴の姉を持つ僕が、過去の夢を振り返りながら自分と向き合う物語。私は今回、初めてCOoMOoNOの公演に役者として参加しました。
こいつ誰だろう、と思われそうなので軽く自己紹介です。
私は現在大学2年生です。どこに行っても「20歳か、若いねぇ」と言われます。若いと言われますが、たぶん精神年齢はちっとばかし周りに比べて高めで、時折道を歩く大学生のまぶしさに目をくらませながら、どうにか恥を捨て若さの特権を存分に振りかざさねばと日々考えています。演劇の大学に行っているわけではないのですが、高校時代から演劇を始め、その魅力に惹かれ、WSに参加するなどして今でも学生生活の合間を縫って活動を続けている、普通の大学生です。名前ははじめに書きました。あだ名はもっちゃんです。
色々なご縁があって、今回COoMOoNOの公演に参加させてもらえることになりました。きっかけは何度かWSに参加していたことなのですが、実は大学卒業後に「出させてください」と言いに行こうと密かに思いを寄せていた団体だったので、主宰のもこさん(伊集院もと子師匠)から「出てみない?」と声をかけていただけたときは文字通り心臓が飛び上がりました。
今回の公演を経て、自分が感じたことの色々を書き留めていこうと思います。

稽古場にて


稽古が始まったのは本番一か月前。4年と少しの短い演劇人生の中でも、それなりに稽古場というものを経験して、その都度座組の雰囲気も稽古の感じも異なることばかりだから、今回はどんな感じなのだろうと、若干の不安を抱きながら稽古場に向かいました(もしかしたらとんでもなくスパルタなんじゃないかとか)。しかし、いざ稽古が始まると、その内実の(いい意味での)あっけなさにびっくりしたのです。
ただひたすら、座って台本を読むんです。そして、それだけなんです。
こんな稽古場他にはない。本番の1週間前くらいからようやく立ち稽古が始まるという感じで、それも基本的にはただ動線を決めるだけ。こうして書くと確かにあっけない。
ですが、こんなにあっけないのに、ものすごく難しいんです。言葉をお腹で指しながら喋れているか、同じものを同じように指してしゃべっているか。相手のセリフのどこに言葉を返しているのか。いつの間にか、同じセリフを同じようにしか喋れなくなっていないか。毎回、ジグソーパズルを組み立てるみたいに、言葉を扱えているか。セリフを文章としてではなく、単体の、言葉として、道具として扱えているのか。などなど…。
稽古場では、とにかく台本を読み合せて、会話が成立しているかどうか、ということを
繰り返し試していきます。そして雑談もいっぱいします。普段人が喋っている、その行為を演技として行うということを、もこさんの指摘から考え、ケントさん(畑中研人師匠)やゆーみんさん(松本優美師匠)の演技から肌で感じる日々でした。
稽古を通して率直に感じたのは、演劇なるものの難しさの自覚です。他の稽古場ではこんなに台本を読む難しさ、会話を成立させる難しさを感じたことはありませんでした。いや、正確には難しいことはわかるけど何が難しいのかがわからないといった感じでした。会話の成立云々の、その先のことをやるのが稽古場、という常識のようなものと、そもそも会話成立の云々を問題にしていない現状が、演劇界にはあるのかもしれません。もっと根本的に、人と話すことについて考え続ける、そういう場がもっと増えてもいいのにと思いました。そして、会話が成立するということの、具体的な基準を持てるようにならないと、もっと楽しい地平には行けないことに気づきました。と同時に、もっと楽しい世界があるぞと、その入り口の存在を今までより明確に感じることができて、今回の一番の収穫だと感じました。

本番にて


小田急小田原線成城学園前駅から徒歩3分にあるアトリエ第Q藝術。初めて来るアートスペースでしたが、入り口の前に立ったとき、そのどこか控え目でおしゃれな佇まいに「あ、かわいい」という言葉が口からこぼれ出てました。小屋入り期間、この場所に出入りしながら「また来たいな」という気持ちが心のすみっこで生まれました(来年の6月で一旦閉館してしまうそうで悲しい)。
会場はベニヤ張りのこじんまりとしたところで、お客さんが30人ほど入るとほぼ満席、というような感じでした。お客さんとの距離がとても近く、楽器隊の生演奏がとんでもなく贅沢でした。舞台上で音楽を聴くシーンもあって、劇中で一番の特等席で聴くことができて幸せでした。
今回の劇のプレイリストがとても好きです。稽古期間中も、Spotifyで原曲のプレイリストを毎日聴いてました。音楽を聴きながら、台本を読みながら、物語が音楽に導かれていることがわかって、噛みしめるのが楽しくて。いい作品と、そしていい音楽に出会えてすごく嬉しいです。
ですが、小屋入り期間中は準備の時間も含めて、稽古で言われたことを常に意識せねばと、頭の中はそればっかりで作品を味わう余裕があまりありませんでした。そんな中で行った公演ですが、自分の知り合いで見に来てくれたお客さんのうち二人、印象に残ることを観劇後に言ってくれたのでそれについて書きます。
一人は同じサークルの同い年の子です(ちなみにサークルは軽音)。終演後のアンケートを見返していたら、「本当にやりたいこと」ができていない自分に刺さった、と書いてくれてました。今回の劇の中核に、自分が「本当にやりたいこと」は何か、という問いがあ
って、アンケートを見て、その子の普段の明るく気さくな人柄も相まって、話を聞きたいと思ったんです。それでそのあと一緒にご飯を食べる機会があって、色々話を聞いていたら、自分にも似たような悩みがあると改めて気づきました。「本当にやりたいこと」の話について、吸い込まれるように「聞かせてほしい」と思ったのは、自分の「本当にやりたいこと」について聞きたかったのだと気づいて、はっとさせられました。
もう一人は、年上の俳優さんです。終演後に感想を聞いたとき、「普段のもっちゃんじゃないみたいだった(別人に見えた)」と言われて、「あれ?」と思いました。というのも、その回の直前にもこさんから頂いたアドバイスで、「普段の自分の声で喋るように」と言われ、要するに演技をするな(演技なんてしないで演技しなさい)という指摘だと解釈し、その回はそのことに終始取り組んでいたから、「もしや的外れなことをしていたのか?」と少し不安になりました(でも不思議な手ごたえのようなものはあった)。
しかし、その回の演技はもこさんからもケントさんからも良かったと言ってもらえたので、これはどういうことなのだろうと。はっきりとわかることはないけど、あの回でやっていたことは「普段の自分の声と同じ声で言葉を話すこと」と「そのために上半身の力の一切を抜いて、空っぽになること」でした。そして、振り返って気づくのは、あの時の感覚はデトックスに近くて、喩えるなら森の中や河川敷でぼーっとするみたいな感じでした。マインドフルネスみたいな。とりあえず今のところは、それが一つの指標です。

おわりに


稽古初めの日に手渡された詩がありました。長田弘氏の「最初の質問」です。ここに全てが書いてあるともこさんは言いました。
詩をまじまじと見つめるのは初めてだったので、その豊かな時間に驚いたことを覚えています。読むというよりも、まじまじと、言葉の一つ一つを見つめる。生活の中にある景色の一つ一つを、透き通るように見渡した詩だと感じました。
もこさんの作品に関わりながら、稽古場で話を聞きながら、感じたことは、孤独です。どうあがいても、私たちは一人なんだと言われているような気がしました。それは哀愁みたいな暗いものというより、体の奥の方にある悲喜こもごもをじっと見つめているような感じです。そして、きちんと一つ一つのことに自分で線引きをする、大人の態度みたいなものを感得しました。うぬぼれるなよ、みたいな。だからこそ生まれる静かなグルーヴが肌に合うと感じました。
思ったよりもあっという間に過ぎ去った一か月でした。演技について考えさせられたことはもちろんですが、何よりも、COoMOoNOの皆さんが素敵でチャーミングな人ばかりで楽しい一か月でした。本当に出演できてよかったです。改めて、ありがとうございました!

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