第2回THE NEW COOL NOTER賞~1/16講評その4(ちゃこさん)
第2回THE NEW COOL NOTER賞へご参加いただいている皆様。
本日までに応募された作品のうち、審査委員のみくりや佐代子さんに講評をいただいた作品について、掲載させていただきます。
ちゃこさん講評文
本noteは映画「千と千尋の神隠し」を娘さんと見ていて現れたひとつの「疑問」と、別の一冊の書籍「世界は贈与でできている」によって導き出した「答え」について書かれています。
>千尋は、物語の終盤でハクの正体がコハク川だったことに気付く。
幼少の時、ハクから”既に受け取っていた”贈与に気付く。贈与に気付くことで、千尋は湯婆婆が支配する不思議な世界から現実世界に帰ることができた。ハクも湯婆婆の支配から逃れることができた。
「既に受け取っていた贈与」に気づかぬままに過ごしてしまうことは、決して珍しいことではありません。
日ごろから「当たり前」に感謝すべきと頭では分かっていても、それを実際に行える人はなかなかいないのではないでしょうか。
わたしにも、あなたにも、未だに気づけていない「既に受け取っていた贈与」があるはずです。
筆者は、映画と書籍を通して自らの「当たり前」を切り崩し、メタ的に自分の家庭を見つめ直しました。そして娘さんと映画を観るという幸せな日常を、自分も享受していたことを的確に表現しています。
>娘と「千と千尋の物語」を見ている幸せな時間は、きっと僕ら夫婦から娘への贈与であり、娘から僕たちへの贈与である。
では「誰から」贈与を受けたのか?と考えた時、それは「神様」だとか「運命」だとか、安易に耳障り良く理論づけることはとても容易いでしょう。
けれどこの筆者はそうはしません。「僕ら夫婦から娘への贈与」であり「娘から僕たちへの贈与」であると、あくまで現実世界の在り物として「目の前の一番近しい人」を尊重しています。
現実を逃避することを目的に文章を書く人は多くいます。勿論悪いことではありませんが、私個人としては「ありふれた現実を書く人」が本当の文章を書き続けられる人だと思っています。
感動的に演出した文章を書く人は、はっきり言って長続きしないでしょう。
なぜなら人々の生活はそのほとんどが「なんてことない当たり前」の連続で営まれているから。
ドラマティックでもない、変わり映えもしない、ただ目の前の生活を丁寧に書ける人。目の前のたった一人に対して愛を持って書ける人が一番強い。わたしはそう思うのです。
そして本noteの筆者は、まさにそのように書き続けられる人なのだろうと印象を持ちました。
>将来いつかこの構造に娘が気付くことがあれば、娘はきっと僕らの手を離れていく時だと思う。
そして、同時に僕たち夫婦は子離れが出来て親としての役割の1つを終えるのかもしれない。
それまでは、「何も起こらないこと」が1つの「達成」であると認識し、宛先がある幸せを噛みしめて子育てをしていくのだろう。
自分自身、子育てをする者として、「何も起こらないこと」にどれだけの価値があるかを身に沁みて感じる毎日です。
今日も、危険がおよばず無事に学校から帰宅してほしい。
今日も、病魔に襲われることなく、すこやかでいてほしい。
「何も起こらないこと」がひとつの達成であると、わたしもそう認識して、毎日を丁寧に過ごしていこうと思います。
そしてこの日常が、どれほどの幸せの贈与でできていたか、私も子供もいつか思い知ることになる。
その時にこのnoteのことを思い返すでしょう。そしてその時は筆者に改めて、そっと感謝を贈ろうと思います。大切なことに気づかさせてもらったことに、心からお礼を届けようと思います。
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第2回THE NEW COOL NOTER賞の応募期間は終了しました。
みなさま、たくさんの応募、ほんとうにありがとうございました。
引き続き、応募作品への講評と、授賞に向けた審査をお楽しみください。
よろしくお願いいたします。
参加者同士の交流の場所を設けてございます。
お気軽にご参加ください。
*なお講評は分担制にしているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。