THE NEW COOL NOTER賞9月部門に向けて~ゆうのうえんさん寄稿:私にできることなんてちっぽけで、ちっぽけを拾ってくれる人のために役に立ちたい
THE NEW COOL NOTERコンテストにご参加、ご応援をいただいている皆様。
8月のエッセイ部門もいよいよ本日で募集が終わり、9月度「食育・子育て・おいしいもの」部門へと移っていきます。
(現在、先行募集期間中!)
それにあたり、私達THE NEW COOL NOTERで考える「食育・子育て・おいしいもの」に関するエッセイとはどのようなものであるか、審査委員をつとめてくださっている3名より、それぞれ寄稿をいただきました。
この記事は、ゆうのうえんさんからいただいた寄稿を掲載させていただいています。
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と、思っているちっぽけな私が
第三回『THE NEW COOLNORTER賞』 食育・子育て・おいしいもの部門
審査員を務めさせていただくことになりました。
この部門の趣旨が皆様にお伝えできるよう、
前記事を再編いたしましたので、ぜひ読み進めていただければと思います。
🥬
「街を歩いてたら、たまたま見つけたよ!」
親しい人から久しぶりにLINEが届きました。
皆さんにも先日の記事でお伝えした
ウィンドウアート(実物!!)を見て連絡をくれたのです。
偶然の発見を喜んでくれた友人の言葉が踊ってみえるのは
私の心が小躍りしているからですね。
画中に映える
ピンク色のキャッチコピー
「商業施設や無機質な物質から、人の温かな気持ちが伝わる」
実は、この方からの頂き物なのです。
以前、ゆうのうえんを通じて
農について素晴らしい言葉を尽くしてくださった
HIROkuTSUgeru/文化アディックさん。
人匙の砂つぶを
万華鏡の筒に入れ
無限の輝きに変えてくれたヒロさん。
紡いでくれたツイートを
読めば読むほど
私のウィンドウアートが
社会にとって
素晴らしい役割を持っているんじゃないかと
思わせてくれるのです。
商業施設や無機質な物質から 人の温かな気持ちが伝わる
これだ。
私一人では言語化できなかった価値を表現してくれる言葉。
自分で書いたら単なる ウィンドウアート。
これも
アートがつくから何だかかっこよかろう、という
めちゃめちゃ短絡的な発想で、
カタカナに甘えている部分が多大になるのですが
ゆうのうえんとしての活動が
どんなふうに社会に役立ちたいかというと
まさに
無機質 ➡️ 有機 ➡️ 人に温かな気持ちを伝える
なのです。
ちなみに
植物が栄養を吸収するとき、
有機物は無機質になっています。
無機質になるまでの間
夥しい数の生物が
有機物を有機物が食べて排泄して死んで、また誰かが食べて、、、
を繰り返し、
最後のバトンとして野菜が
手を伸ばせる状態ができ上がる。
そこには
誰かのため
とか
見返り
とか
そんな情は存在しない。
ただ、
一生懸命生きて死んでいくことが
次の命に繋がっているだけなのです。
一方で
私たち人間は?
いくら私が一生懸命生きて(自分ではそう生きたと仮定させてください)
死んでいくとき
その体は
誰の栄養にもなりません。
誰も分解せず
ただ
サラサラの灰になるだけ。
どう転んだって
自然の循環には則れないのです。
大きな自然の法則の中での
人間の生き方は
どうしたって矛盾を抱えてしまうんですよね。
その末にあるものって、どんな社会だろう。
日本で言えば
1300年ほど前まで成されていた
自然とともに生き、
税に基づく農耕に縛られない社会に戻すのか?
いや無理だろう。
私たちの体を
この環境で土に戻すなんて絶対にできませんよね。
多分
少なからず抗生物質やワクチンで犯されてる
私たちの体を食べてくれる分解者がしんどい笑
この体を作っている食べ物自体
ムリヤリ作られて疲れちゃってるモノたちなんじゃないの?
たくさんの生き物が
関わり合ってできた食べ物こそ
命を繋いでいくために必要なんじゃないの?
そう考えたとき
豊かだと思っていた食の見え方が
変わってきました。
私は第2回『THE NEW COOLNORTER賞』でこちらの記事を
2位にノミネートしていただきました。
とても光栄でしたし、投稿しておきながらも
自分が取り沙汰されるなんて
想像もしませんでした。
しかし、これをきっかけに
今まで「いい」と思っていた料理について
疑問が膨らんでいったのです。
ありとあらゆる食材が「カンタン」に手に入るけれど
何でもカンタンに揃うことに違和感が拭いきれない。
私自身が農園をやっていることもあり
農薬や化学肥料を使わず
あらゆる有機物の力を借りて作る農法で作るのは
カンタンじゃない上に時間がかかると実感しています。
自然の循環を壊さずに
かつ
次の代に役立つものを継いでいく。
それはこれまで示されてきた
トンカツのお肉の厚みとか
3食きちんと食べるとかという
既存の食卓を超えていくものという気がしています。
この地球で
自然の一部である人間が
人間がもつ
情を奮い立たせながら
誰かの役に立つ生き方を見つけ、繋いでいく。
って
ゆうのうえん、大それたことを。。。。
ゆうのうえん、
これまで公教育の場に勤めておりながら
国の方針にアンチを抱え、アンチを掲げた末に
職を退いたような人間が
なおも語るか?
語ります。
だってあなたと語りたい。
食ってこれからも私たちをつなぐ
なくてはならないものだから。
ひどい時代だ
もう死にたい
なんて思っている人間がいるこの世界に
今日も新しい命が生まれている。
食育・子育て・おいしいもの部門 では、
あなたの考える食
あなたの考える子どもの育ち
そして
おいしいもの
の記事を募集します。
こんなちっぽけな私ですが、
あなたの記事に出会い、
あなたの記事にまた新たな気づきをいただくことを
楽しみにしています。
たくさんのご応募、お待ちしております。
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