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第3回THE NEW COOL NOTER賞始まる世界部門~10/11講評

第3回THE NEW COOL NOTER賞「始まる世界」部門へご参加いただいている皆様。

本日までで、約30作品を超える応募をいただいています。
7月の小説部門と8月のエッセイ部門で、表現していただきたいものを表現してもらい。
9月部門で、今の生活に根ざしたものを振り返ってもらい。
そして、10月部門で己の過去や、抱えてきたもの、深い部分と向き合ってもらい。

11月部門で、自分自身を広く打ち出して、そして知ってもらう。
そんな流れのもと、第3回コンテストは展開させていただいています。

9月以前の部門に参加いただいた方にこそ、特に、10月、11月部門にご参加いただきたく思います。

応募期間、残り4日となりました。
どうか、ふるってご参加いただければ幸いです。

なお、本日は3つの応募記事へ審査委員それぞれからの講評を掲載させていただきます。どうぞ、楽しんでいってください。

(本日の講評者)

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<講評(Norikoさん)>

いじめは糞です。
いや、それ以下で
私には値する言葉すら見つけることが出来ません。
語尾が強くなってしまう私です。
ご了承頂けましたら幸いです。


みこちゃんも書かれていますが、
いじめる人は理由なんて必要ありません。
冗談だよと
からかっただけだと
逃げ道を作っておいて
集団となって
じわじわとターゲットを蝕んでいく。

大人も子どもも年齢なんか関係なく
学校って場所も
noteって場所も
それは場所も人も選ぶ事なく巣食っている。

喧嘩するならどうどうと、しようや。


本当ですよ、それ。
もうね、胸ぐら掴みあって
頭突きしあって
爪で引っ掻き回して
思い切りやるだけやって
お互いの肉体が『痛い』って
悲鳴をあげて
赤い血を流して、どうどうとやったら良い。

どちらか片一方だけが『痛い』を味わい
赤い血を流し
肉体が傷付くような
今のいじめは本当に糞でしか無いと思います。

学校も
会社も
示し合わせたかのように
『知らなかった』
『気がつかなかった』って
それって
『私たちは個人の言動まで見ていないです。
そんな余裕持ち合わせていませんし
そんな能力も統括力もありません』と
違う恥を晒している様なものなのに
よくよく調べもせずに
誰かを生贄のように
人柱の様に突き出して
何もなかった事にしているように見えて仕方ありません。


私は知っています。
語ることさえも阻まれるような
凄惨ないじめ、
もうこれは傷害だと思うし
人権問題にもひっかかる
それくらいの事ですが
その過去のせいで
前に進む時に限って
怖くなってしまって動けなくなる。
やっと仕事が決まって
大切な人からプロポーズもされていたけれど
夜中に急に不安になって
母親に手紙を書いて
衝動的に5階から飛び降りてしまった人を。

奇跡的に彼女は発見が早く
命は取り止め
脊髄損傷しながらも
生きることが出来ています。

いじめの過去は10代の頃。
10年以上経っても残酷に
彼女を蝕んでいた。
そんな事実を私は決して赦さない。

私は聖人じゃないし
出来た人でもない。
彼女をいじめた人達を私は知らない。
でも私は彼女を知っている。
笑う彼女を知っている。
前を向きたいと思っていた
彼女を知っているんだ。

責任を持って、信念を持って何かをするなら、相手も責任と信念を明らかにできる。それを闇の中にうやむやにする風潮はよくない。大人も子供も。自分が対処できないとなると、友だちを見捨ててけつまくって逃げる人間ばかりだ。それも、責任の欠如。そしてけつまくった安全地帯からなんかエラソーなことを終わった後に言う。


自分のケツは自分で拭こう。
いじめって糞なんだから。

私はこの世の中から
ポイ捨てする奴がいなくならないように
いじめをする人もいなくならないと
残念だけれど思っています。

けれど
1人でも多く自分の行動に
責任を持って
信念を持つならばどうだろうか。
ミリ単位でも良いから
変わって欲しいというムーブメントが
さざなみの様に
波紋の様に広がっていく事を
切に願っています。


残念な世の中だけれど
希望はあると私は思っています。

喧嘩するなら責任持ってやりなさい。堂々とあたしを刺しなさい。ただし、刺されれることも覚悟してね。あたしは喧嘩が強いよ。でも、それがフェアってものよ。


これはみこちゃんだけではないと
私は声を大にして言いたい。

きっと喧嘩上等なのは、
みこちゃんだけじゃないはず。

自分より弱いものを見つけて
傷付けるだけ傷付けて
自分は安全地帯に逃げたつもりだろうけど
そこは本当に
安全かしら?


社会的病理には一定の法則性がある。

人と関わる時、
言葉を発信する時、
私も責任を持ち
肝に銘じたいと思います。

ご応募ありがとうございました。

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<講評(ゼロの紙さん)>

心がぱたりと止まりたいと言っている
その時。
その声に耳を傾けられるのかどうか
瀬戸際での心の葛藤を綴られている
みつまめさん。

驚きを隠せないのは、このnoteが
明日職場復帰しますという前日に
書かれているところです。

適応障害という診断をうけて、休職
生活に入った、若葉繁る4月の半ば
頃を静かに振り返るみつまめさん。

辛かった過去の日々をじぶんに宛てて
贈る、<あなたへの手紙>として、
したためられています。

この作品は休職してから復帰するまでの
ドキュメンタリーをご自分の手と身体と
心で綴られた自己を修復するまでの
エッセイだと思いました。

自分の感情に溺れることなく、どう大丈夫で
どういう時に揺らいでいたのか。

自己を俯瞰しながら直視できるって、
休職されている間に、心がしなるような
強さを手に入れられたんだなって思いました。

そして、そのお休みするという日々を終えた
生活の中ですべてが解決したわけじゃないことを
記しながら、
「扱いづらい、矛盾した私が私なんだと」
認められたみつまめさん。

つづく言葉は
「ここから先は、明日からのあなたにおまかせ
しましょう。きっと大丈夫」と
むすばれています。

なんて力強いそして自分にも寄り添える言葉
なんでしょう。

レジリエンスを高める術を日々の中から
掬い取られたんですね。

失くしたものよりも今手にしている
その手のひらにあるものを慈しみながら
現在のじぶんを愛してみる。

この姿勢は読む人たちの心にそっと触れて
られたようにとても勇気づけられます。

そして休職中に知った大切なことを自分に
言い聞かせるように<あなたへの手紙>
としてしめくくられています。

これはみつまめさんが著されたみつまめさんに
しか書けない、弱いところも隠すことなく
あらわにされた正直な自己紹介のようだとも
思いました。

そして自分をみつめたその眼差しの先
には今まで側で応援されていたnoteで
出会ったみなさんへの感謝が綴られて
います。

みつまめさんはごじぶんへの
<あなたへの手紙>を貫かれながらも
その<あなた>はnoteで出会った
<あなた>でもあることをわたしに
気づかせてくれました。

自分への応援が誰かへの励ましにもなって
いるみつまめさんのnoteはまたいつか、
そっとひらいてみたくなる真の言葉に
読ませて頂いたわたし自身が励まされて
いました。

辛い日々を見つめ直してくださった
みつまめさんしなやかで力強い作品を
書いてご応募いただきありがとう
ございます。

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<講評(愛加ちゃん)>

――人って自分の思っている以上に、主観的に物を見ているんだな。

それが、歴史を題材に物語を書くようになって、様々な時代をさまよう中に、わたしが得た気付きだったりするのです。

例えば、分かりやすく、フランス革命を挙げてみましょうか。

革命を推し進めた民衆と呼ばれる人たちからしたら、一部の人だけがいい思いをしている世の中なんて、糞食らえ。自由を求めて立ち上がれ。革命こそ正義。

でも、革命を起こされた側代表として名前のあがるマリー・アントワネットからしたら、王家の権威は絶対。革命なんざ野蛮な唾棄すべきもの。

いや、もっと細かく言ってしまえば、誰のフィルターを通して見るかでも、違うかな。
革命を進めた側でも、ロラン夫人とロベスピエールじゃ違うし。
起こされた側も、アントワネットとルイ16世とでは、異なる部分もあったそう。

同じ18世紀後半のフランスが、どのフィルターを通して見るかで、全く違って見えるマジック。

貴族でありながら革命に身を投じたオスカルみたいに、自分と対極にある世界のものさしも持ち合わせて判断するって、やってるつもりでできていないんだろうな。

そんなことを、漠然と考えるようになりました。

そして、じゃあわたしはこの時代を、あるいは人物を、どう切り取りますか?って自分自身に問いかけて。
わたしは、こう思いますって、自分仕様のものさしで感じたことを、お話に仕立て上げる。


だからね。

ひとはみんなそれぞれ、”価値観”という自分専用のメガネをかけ、自分が見たいように世の中を見ている。

ミイコさんの一言に、うんうん、と頷くわたしがいました。

わたしにとっては、歴史が主観的に物事を見ていると気付くきっかけとなったように。
ミイコさんは、一冊の本との出会いが、自分が変わるきっかけだったと言います。

あの本、ほんとに人生を変えちゃう本だったんだ、と驚きでした。

こんまりさんの、「人生がときめく片づけの魔法」。
いわゆるお片付けが苦手なわたしも、手にとって流し読みはしたのです。
でも、ミイコさんは実践し、気付きを得た。

ないものに目が行って、あるものを見ることができない。
自分はそういう、自分専用のメガネをかけて世の中を見ていた、と。

何というかな、人は自分専用のメガネで見たものこそ真実と思いがちで、人から無い物ねだりをしている言われたら、認められなかったかもしれないな、と思います。

無い物ねだりじゃない、実際にないんだもんって。

でも、自分が肌で感じて身にしみて気付けたなんて、やっぱり人生を変えちゃう本だなって、思うのです。


そして、わたし自身を振り返った時に。
物語を書くときは、歴史がわたしに俯瞰する目をくれるから、わたしはこう思ったを意識しているけれど。
生活の中で起きたことは、自分専用のメガネで見たものこそ真実で、主観的になっていることに気付けない時もある。

ミイコさんは、それを人のせいにしている、と表現されています。
だいたい、ドツボにはまっている時は、そんな時なんですよね。


ある方が、詩を読むって高尚な趣味に思えてしまうかもしれないけど、自分にはない視点が入って来た時、そこで得た気付きが自分の世界を広げてくれる。
だから、もっとずっと、生活に根ざしたものだと思う、と言われていたけれど。

ミイコさんが、こんまりさんの本で新しい世界を始められたことが。
きっと、始まりのきっかけは至るところに存在してると、教えてくれているようで。

そのきっかけを見逃さないように。
足元見るのではなく、顔をあげて進みたいなって、そんなことを思いました。

1つの気付きで、新たな世界に出会えた作品。ご応募いただき、ありがとうございました。

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*講評は分担制としているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。

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始まる世界部門募集要項はこちら

応募作品はこちらのマガジンに収録されます。
 あわせてこれでも母さんが主催するこちらのマガジンにも収録されます。
 他の参加者様の作品もお読みいただき、ぜひ、当コンテストを通して新しく知り合い、また仲良くなった、との声をお聞かせください! 皆様の縁がつながるコンテストでありたく思います。

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