第2回THE NEW COOL NOTER賞~エッセイ部門対談
第2回THE NEW COOL NOTER賞へご参加のみなさま。
先日、コンテストの審査委員会議室において、エッセイ部門を担当する洋介委員長と、広告部門、アート・イラスト部門を兼任いただいているヒロ副委員長をお招きして、みこちゃん司会のもと、対談を行いました。
エッセイとはどのようなものであるか。
何を心がけ、誰に向けて書くべきものなのか、みこちゃんの「批評宣言」にのっとった、すべてのcool noter様にとって貴重な見解が得られる対談となったのではないかと思います。
=============================
こんにちは
本日は『THE NEW COOL NOTER賞』審査委員長であり、エッセイ部門の審査委員を兼任していただいている洋介さんと、広告部門、アート・イラスト部門を兼任していただいているヒロ副委員長にお越しいただきました。
これから、エッセイ部門についてお考えの話をお聞きしてまいりたいと思います。
司会は、はちゃめちゃみこちゃんです(^-^)/
みこちゃんはまず最初に、洋介さんとヒロさんに一言ずつ、エッセイということでイメージする内容をお聞きしたいと思うのです。
エッセイと言うととてもくくり方が大きいと思うのですよね。
日記も、身辺雑記も、そしてメモみたいなものも、言ってみればエッセイと言えなくもない。
でも、心を打つ文章じゃないとエッセイとは言えないとと思うんです。
誰かの悪口や、自分の不満をぶちまけたものは、当然人の心を打つエッセイにはならないはずです。
最低限、これはエッセイに必要だ、こんな思いが審査にあたってあると思うのですね。
それについて最初に簡単におきかせ願えませんでしょうか。
おねがいします(^-^)
みこちゃんの拙い考え方なんですが…最初に簡単に書かせていただきますね。
みこちゃんは、エッセイとは話題交換、自分はこんなことに興味がある、これも大事なんですけども…。
それ以上に大事なことあると思うんです。
例えばお見合いで…
「趣味は何ですか」
そんな話から入ることはとっても大事だと思います。
そして「自分はこんなことが好きです」
そこからいろんな共感が生まれますよね。
でも、本当に分かり合うためには…
「じゃあ、ここからは若い人に任せましょうか」
ってことで、両方の親はお見合いの席からは退席します。
二人きりになったときに、どんな本音、心を打つ話が出てくるのか…。
エッセイの始まりって、そこからではないのかなと思うんです。
自分の趣味を語るだけではなくて、どうして、その趣味なのか、どうして自分は、そこにこだわるのか、それをそっと将来の旦那様、奥様に本音を語るようなこと。
エッセイとはそのようなものではないかな、そんな風に思えます。
洋介さんも、ヒロさんも、お書きになるエッセイに決して押し付けがましくないのに、自分はどうしてそこにこだわるのかっていう、確固とした理由があるなあ、といつも読んでいて思うんです。
文章のうまさもさることながら、ああ、これを書いた人はこういう人なんだな、いったいどうしてこんな風に思うようになったんだろう…。
それが感じられる文章を読むと、みこちゃんは、ジャンルに関わらずこれはエッセイだな、という感じがいたします。
導入からの、さらにその先。胸襟を開いて生まれる言葉と、交流ですね
話題の交換だけだったら、よくある、天気の話をして終わり、になってしまいますね
そこから、心象や感じ方、思い方の交わりにつながるのが、良いエッセイということなのかもしれませんね
姫(ヒロさんが気に入っているみこちゃんの愛称)と似た感覚あると思う☆
今は 、こういうものの見方どうですか? っていうエンターテイメントごっこをしたい自分がいるかな☆
note始めたころに 一般の方の投稿で 言い回しや言葉選びが記憶に残った☆
自分は発信するためのツールの一つというのが根っこ にあるかな☆
露出して 表現することで 充足を感じる☆
雑誌広告の原稿を長く書いているので 文字数も 変な気遣いも 何の規制もない自由さが魅力的(笑)
ほかの投稿者の視点に 新しさとか 自分の盲点を感じるのが快感でもある☆
まず、ヒロさんでありますが、まだご存じない方のためにご紹介をしますね。
ヒロさんは、長年広告代理店一筋でお仕事されてこられた方で、今回、「センス溢れる広告賞」と「アート・イラスト部門」の最適任者です。
当然自分でもコピーライティング、エッセイ、広告記事をお書きになりますし、外注先から上がってくるそうした文章を数十年に渡って吟味、チェックして、広告媒体に掲載してこられました。
そのヒロさんがこのようなご発言です。
note始めたころに 一般の方の投稿で 言い回しや言葉選びが記憶に残った☆
みこちゃんも思うのですが、決してプロではないのに、noteでは、(゚0゚)あれこの人すごいなあ、と感じる文章に度々出会いますよね。
露出して 表現することで 充足を感じる☆
やはり、自分の本音の部分を文章にする、両家のお見合いの後で、お互いの親のいないところで話をする、あるいは、家族が寝静まったときにこっそりパソコンを立ち上げて、自分の本音を書いてみる。そんなところに、自分のことを自由に書ける、読んでもらえる、こんな魅力があるのでしょうかね…。
姫と似た感覚あると思う☆
こう言っていただけてうれしいです。
エッセイ ってnoteの中で すごく便利な言葉だと思ってもいる☆
文筆が学生時分 不得手で遠ざけていたので 乾いたスポンジの状態なのです、いまでも☆
性に合うものを たまたま触らず大人になるまでとっておいたような感覚。
ああ、なるほどです!
青春時代に、もっと仲良くなれたはずなのに、あれ、へんだな仲良くなれなかったな…。
こんな思いは誰しもあると思うんですけど、noteのエッセイってうまく書こうみたいなものじゃなくて、乾いたスポンジに水を垂らしてくれたような、そんな物が多いですよね。
その意味ではほんとに、人の心を打つエッセイの書き方ってなんだろうとか、思い悩まなくていいわけですよね。
自分に素直になればいいと言うか…。
でもそれがまた、エッセイの面白さでもあり、むずかしさでもありますね…。
ほぼ無知 なのだが唯一 寺山修司さんの さらばハイセイコー だけ一時期そらで暗じられた(笑)
ハイセイコーが どれだけ認知度が高かったか、競馬とは と個人個々の描写がスゴイなぁ て思った☆
20代 半ば仕事中に雑誌に載ってたのだけど涙ながしちゃったもの(笑)
note でも導入・フリから、遠くの方角でオトす エッセイは好き☆
言いたい結末を強めるために あえて離れた導入を作ってるものは 読み取れるのだよね☆
今は チャット形式 にならなくとも 良さそうだね☆☆
なるほどぉ。
涙しちゃうってのが、それはもうプロですね!
(^▽^)
ヒロさんがお好きな「遠くの方角から落とすエッセイ」は、洋介委員長お得意ですよね。
洋介さんはどんなエッセイを書きたいと思っている辺りからお聞きしてみましょうか。
厳しい言い方をすれば、悪口や不平不満は感情の単なる発露であって、誰かに何かを伝えたいという表現ではないと思います。
極端な話、サルに絵文字か何かを書く訓練をして感情を絵文字にすればサルでもできる。
条件反射的に自分の感情を言葉にしても人の心には届かないでしょう。
何をして楽しかったとか、何をして気持ち良かったとか、私の悩みはこれこれです。これならサルでも書けると思います。
人間の心を打つものはそうではないと、こう言えば分かってもらえるかなと思います。
これはエッセイではないなと、そんな文章も残念ながらちらほら見かけます。
委員長から、厳しいご意見ではありますが、なるほどなるほどです。
例えば極端な話ですけど、ヘイトスピーチみたいなのは、感情ぶちまけですよね。
一瞬、なんだこれは…。
と思いますけど心には残らないと思います。
そこまで行かなくても、感情だけだと、一時的な共感はあっても、すぐ忘れちゃうかもしれないですね。
何度も読み返したいような名作エッセイにはならないかもしれませんね。
逆に言いますと、洋介さんに取っては、何度も読み返したい文章とは、どんなものになりますか?
自分を表現するのではなくて、普遍が私を使って言葉を綴る。
言葉が私を表現するということを書きたいのです。
みこちゃんが小説を書くときに小説を書くぞと思わないと思います。
自分が心地よい言葉、快感を感じる言葉を綴っていたら小説ができた。
こうやって書いているのだと思います。
エッセイもただ自分のほんとうの意味で正直な快感を感じる言葉を綴っていたら、たまたまエッセイという形式になった。
詩人もうまい詩を書こう!自分の伝えたいことをぶちまけようとは思わないです。
内面を綴ったら詩になってしまった。個人的な欲求ではなく普遍的に伝わる何かを懸命に表現すること。
そういうことかと思っています。
おお!これは深い言葉がでてきました。
応募作品で、読みたいものもそういうものだけです。ただの情報、自分の感情の吐露だけの文章にはこころは宿らない。
単純な身辺雑記は、読んでもそこに書き手の思いが見い出せないですね。
みこちゃんは以前、小説で自己表現すると上手く行かない、主人公に語らせないと主人公が生き生きしてこないから、まるで作者の操り人形になってしまう。
小説が成功するためには、自分の自己表現ではなくて、登場人物が何を語りたいのか、それをていねいに聞くべきだ、こんなことを記事にしたことがあります。
哲学者のニーチェさんも、「言葉というものが自分に何かを語ることを学びに来る」こんなことをおっしゃってました。
簡単に言うと、言霊みたいなものでしょうか…。
言いたいことだけを言う、感情だけをぶちまける、これだと、同時に反発される場合もありますしね…。
身辺雑記は、その意味では比較的温厚なのだと思いますが、人の心を打つというのはむずしいかもしれませんね…。
身辺雑記を書いている人も、人の心を打つエッセイを書きたい、そう思っていると思います。
どんなところに心がければ、そういうほんとうの意味でのエッセイが書けるのでしょうか。
言葉には人の生きてきたすべてがあらわれると思います。
人生の経験が文章の形を創る。
これは自我の経験ですよね。
毎日を大切に生きる、それに尽きると思います。
その経験を元に、つまらない自己主張やら自己実現、そうした囚われた自我を超えたところにほんとうの意味で人の心に届く言葉もあるのだと思います。
みこちゃんが小説を書くときに大切だといつも言っている「登場人物に語らせる」ということ。
それは既に普遍的に人の心へ届くような、形而上の言葉だと思います。
どうしようもない苦しみや、不平不満を昇華した、カルマや宿命や魂までも包むような誠実さがある。
そうした言葉はすべてを包含するのでしょう。
そのようなエッセイが読みたいですね。
そうですね。
他ならぬ洋介さんにお聞きしたいのは…
自分に正直になって文章を書くことと、自分の感情をぶちまけることの違いについてです。
この二つを同じことだと考えてエッセイを書いてしまう人も多いと思うのです。
自分に正直になるとは、どのような感じなのでしょうか…。
一つ想像したのは…。
自分にとって、見たくないこと、不都合なことでも、自分はこう感じて、自分はこう変わったみたいな…。
こういう文章は人の心を打つのかなと思いました。
逆に、自分を正当化したり、自分の味方を作るために文章を書くと、へんな邪心が混じって、心ある人は敬遠するのかな…と。
そうですね。
いちばん大切なのは、自分にとってみたく無い事実、都合の悪いこと、それすらも、素直に自分で受け止める態度で書き始めることです。
そしてその上でその、感情を感じ尽くすこと。
決して書きながら、何かを他人の責任に転嫁しないこと。
全ては自分が起こしていることに気づくことです。
これはある意味で苦しい作業かもしれません。
しかし、その真摯に苦しんだ姿勢が人の心を動かして、ああそうかと胸を打つのだと思います。
書くことによる責任転嫁は、結局の所、自らの心の成長をも阻害していることに気づくことですね。清廉な文章を、優れたエッセイを書くことは自分が成長することにほかなりません。
正当化するための文章は既に政治と同じで自分の考えや思いを他人に強要することと同じかもしれません。
強要された相手は、自分の精神的な自由を奪われるわけだから、決して良い気持ちはしないでしょう。
人を思い通りにしたいという人の一番の欲を押し付けられたら堪らないです。
知らず識らずのうちに、エッセイを書いていると自己主張や、自我意識の塊になってしまいます。
そこは注意したいところです。
なるほど、ありがとうございます。
では最後に、一言で言うのはむずかしいと思いますが、これからエッセイを書こうとnoteの下書きページを開く方に、一言づつ、アドバイスをお願いいたします。
「こんな気持で書くと、スキもたくさん付くだろうし、コメントもたくさんもらえるはずだし、フォローされてファンも増えていく」
こんなイメージが湧くようなアドバイスを簡単に、ぜひお願いいたします。
洋介委員長、ヒロ副委員長の後、一奥事務局長もお願いいたします。
なんか良いなってフレーズがひとつ 浮かんだら 、1000文字のnote になると思っています。
4文字の言葉や 12文字の一文を記すために、1000文字費やすことに楽しみを感じます。
それと 、矛盾 を受け容れると書き進めやすいよう思います。
自分らしくないな、逆だなって思考のときは、新鮮な ものの見方になるようです。
先月書いてたnoteと逆方向を向いていたり、先週と違うこと記しても そういうものだ と開き直ってよいと思っています(笑)
自分を表現するために言葉を使うのではなく、
言葉が自分を表現するということに気づくといいのかなと思います。
言葉が自分を表現するために心を使うとでもいうのでしょうか。言葉が心に求めるものを感じ取って言葉にする。
言葉を超えたもの、不立文字、以心伝心でしょうか。
言葉で表現しつつも、言葉では伝わりきらないものを信じて書くことでしょうか。
エッセイ対談に参加していただいた洋介さん、ヒロさん、お忙しい中素敵な対談をありがとうございました
先程、ヒロさんからの締めの一言、エッセイとは何かについてもお言葉をいただきました
ありがとうございます
一人ではできないことが、集まった仲間とともに、ゼロサムではなく新しいものを創り上げるという意味において、なんと創造的でクリエイティブな場にいるのだろうとの思いを、一奥も共有している者です
このたびは、皆さんまことにありがとうございました
お忙しい中、かさねて、まことにお疲れ様でした
=============================
第2回THE NEW COOL NOTER賞への、みなさまのエントリーをこころからお待ちしております。
■募集期間 ―― 令和2年12月1日~令和3年1月15日まで
■応募方法
「 #第2回THE_NEW_COOL_NOTER賞 」のハッシュタグをつけてください。
特定の部門へのエントリを希望する場合は、さらに「 #第2回THE_NEW_COOL_NOTER賞 ○○部門」を付けてくだされば、各審査委員が拝見します(必須ではありません)。
※希望する場合は複数の部門への応募が可能です。
また、お一人様何作品応募いただいても構いませんが、授賞対象は1作品までとさせていただきます。
なお、過去作品でも応募可能です。その場合も、同様にハッシュタグをつけていただけるだけでエントリとなります。
よろしくお願いいたします。
参加者同士の交流の場所を設けてございます。
お気軽にご参加ください。
*なお講評は分担制にしているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。
=============================