「HSPです」と声を大にして言えない系のSensitiveな人っている?
「服を買いにく服がない」とか「栄養ドリンクの蓋を開ける力が出ない」とか「お悩み相談室に相談するか悩む」とか。それに似た話。
自分はすごく「気にしい」だという自覚がある。めちゃくちゃ小さなことで悩むし、心配するし。ずっとずっとそうして生きてきた。最近は、そういうことが「性質」であって、我慢するものではないということがスタンダードになりつつあって、とても生きやすい時代になったなと思う。
数年前までは「気になるのはあなただけだよ」とか「社会人として強くならなきゃ」「気にしてると人生楽しくないよ」的なことを言われ、自分が少数だし、正しくないし、損をしているし、直さなければないけないことのように言われてきたから。こっちだって直せるものなら直したかった。
「鈍感」について書かれたベストセラーを読めば何か変わるかと手に取れば、そこには鈍感になる方法ではなく、鈍感がいかに優位かが説かれていた。「虫刺されに気づかない方が治りも早い」というような一説を拝読し、痒くならないで済むならそりゃあ羨ましい。と、何年も前に刺された虫刺されがぶり返すのを掻きこわしながら読むばかり。
そして結局のところ、フィットする場所を求めて流浪するのが1番いいと知った。学校とか、研究室とか、小さな会社ではなく、広い海に出てみたら、その性質を求めてくれる場所もあるものだった。色々な可能性を想像して、定義をしたりとか。慎重に物事を進めるとか。機微を感じ取って、先回りで防止するとか。大きな組織では、そういう視点を重宝してくれる。鈍感で大胆な人が無理してやる仕事でもないわけで、適材適所、大勢の中で発揮できる性質なんだろうと思う。
一方で、最近だと居場所をそのままに「私は繊細なんです。配慮してください」とはっきりいう人によく遭遇する。「私気になるんです」とか「私は強く言えない人なんです」とか、その相談を受ける側になることが割と多くなったから。
私は自分の特性をはっきり言えない特性であるがゆえに「気になるけど、気にしているようにふるまえない」し、「強く言えないと言えないから強く言う役になる」のです。人前に出たくないけれど、出てくださいと言われたら断れなくて出ていくのです。ともすればせっかく頼まれたことを断れないから「全然大丈夫」とまで言ってしまう。
性質が認められるようになってきたから、そのように自分の性質をはっきり言える人が増えていることも理解できる。その人がやっとの思いで言えた、最初の人が私なのかもしれないし。何より、多様性だし、それを否定する気もない。だけど「私繊細なんです」ってあたかも「あなたは繊細じゃないよね」「繊細じゃない人にはわからない視点だと思うけど」というニュアンスと一緒に言われちゃうと「実は私もあなたと同じくらい繊細で、そしてそれさえ言えないんだよね。」とひっそりと思う。ましてや面と向かってなんて言えないので、こんなふうにnoteにこっそりと書いて供養するわけです。
きっと過去にやっとの思いで伝えても受け入れてもらえなかった過去があって、今、環境を変えないで周りが配慮してくれる世界が羨ましいと感じているんだろうとも思う。例えば、パワハラを受けてきた先輩が、後輩にパワハラをしちゃうような流れがあるけれど、それでは意味がなく。どこかで断ち切らなければいけない。「私の時は我慢してたんだよ」とか「それくらい気にしてたら〜」と言う側になってはいけない。なので、せめてここで書いて終わる。願わくば、同じことをぼんやりとでも感じている人の救いになることを祈りつつ。
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