クールな街にも日は沈む 「かふひぃ・あかねや」 Chapter-3
この街に生まれ、この街で青春を過ごした。
雨の日は、国道のバス停で待ち合わせ、相合い傘で、この南北に長い商店街の街外れにある珈琲ショップまで歩いた。
そして、冷たくなった体を珈琲で暖めた。
話すことは多くはなかったが、二人の心に隔たりなどなく、お互い思うことが手に取るように分りあえた。
その頃から、この“あかねや”は何も変わっていない。
二人の、見つめ合うその瞳と同じように。
その青年は、東京の大学に進み、それまでにない奔放な生活を送った。
その間、一度として帰ってくることが無かった。
まるでこの街を忘れてしまったかのように。
自分さえも、そうなのではないかという疑念に襲われるほどだったが、していることとは裏腹に、何かモヤモヤとした揺れ動く若い感情の残り火を、自ら燃やし尽くしてしまおうとしていたのだ。
そんなものを抱えたままで、彼女と一緒になることはできないと考えていた。
最後に残るのは、彼女への想いだけにしてしまいたかった。
そうして彼は、卒業と同時に帰ってきた。
これまでの自由を一言も咎めずに、黙って許していてくれた父親が、病気がちになっていたことと、そして何よりも、彼女との約束を果たすために。
その四年の間には、当然のように、何人かの女性と知り合い、短い恋めいたこともあった。
しかし、そう。
忘れることなど、決して無かったのだ。
青年は、父親から珈琲ショップを引き継ぎ、一所懸命にその技術を習得した。
一年後、ようやく一人でやっていけるという自信のついた、決心のある朝、彼女の家に電話をかけた。
「約束どおり、僕の珈琲を毎朝飲んで欲しい」
と。
しかし、彼女はその時既に、両親の決めた婚約が成立していた。
恨むことなど何も無い、人生はローリングストーン。
月日の隔たりは心の隔たりとなって、青春の日の約束という、来るのか来ないのかとらえどころのない未来形を、甘酸っぱい思い出という過去形に変えてしまう。
残ったのは、ほろ苦くも甘酸っぱいキリマンジャロの香りと、悲しい心の行き着く先、珈琲ショップ “あかねや”。
・・・・・
見上げると、
『かふひぃ・あかねや』
紅(えんじ)の地に白文字の看板。
マスター。
一体何なんだよ、この間延びした名前は、、、。
もうあの親子の姿は、黒く一緒にしか見えない。
遥か先、”おきな屋” の角辺りにあった。
人通りが無いのですぐ分る。
「離れようとしたって、母子なんだよ」
西日が夕日に変わろうとしている。
私の影も長く尾を引き、主人に背を向けて、道路の向い側にある動物病院の玄関に入ろうとしていた。
まるで、離れがたいものから無理に離れようとでもするように。
こんな時は、
形ばかりでも「煙草があったら様になるのにな」と思いながら、
暮れなずむ街に踏み出した。
・・・ 「かふひぃ・あかねや」
(終わり)