ケーキが大好きな夫と辛いものが大好きな妻
ということで、
子供たちが巣立ってからというもの、バースディ・ケーキを買ってくれない。
仕方ないので、仕事帰りにケーキ屋さんに立ち寄る私。
朝から落ち着かない。
今年は何にしようかなぁ。
いっつもデコレーションでは芸が無いし、等とケーキ屋さんのウインドウにへばりつく子供状態。
仕事は上の空で、こころは一点を見つめている。
もうそうなってくると、何が目的なのか(お祝い)はどうでもよくなって、ケーキを食べる(んだ!)という手段が目的となっている。
・・・
さて、夕方のケーキ屋さん。
(悩んでも結局同じ、いつもの)「誕生日用のデコレーション。それも大!」
を一つお願いする。
「もう子供達いないんだから、小さいのでいいじゃない」と、帰宅して言われるであろう誰かさんのつぶやきが、吹き出しのように浮かぶ。
が、聞こえない。聞かない。譲らない。大きな駄々っ子。
そこで・だ、ちょっとした問題が発生する。
「お名前は、何とお入れいたしますか?」と、訊かれることになります。
自分の名前を言ったって、分からないのだけど、、、。
どうも、《自分のバースディ・ケーキを、自分で買って帰る》という行為に潜む、まるで世界の法則から外れたところにある(ような)、後ろめたさがぬぐい切れない。
それは、「今晩、ケーキが食べられるんだ!」というよろこびにより、かろうじて隠しとおされてきたものなのだけれど、可愛いオネェさんのおおきな瞳に映る自分が恥ずかしい。
それで、
「○○○」と、息子の名前を言ってしまう。
「あ〜と、ローソクは3本お願いします」
等と、変なウソまで付け加えてしまう。
(このことを、子供たちに話したところ、大笑いされたけれど、娘からは抗議を受けた。「どうして私じゃないのよっ!」って。 どうしてなんだろう? こっちだって慌ててて、いっつも自然と出てくるのは、息子の名前なんだよなぁ?)
さてさておまちどう、(たって、自分なんだけど)
食卓にひろげたケーキ。
それを見て妻は笑い出す。
彼女は、息子の名前のところを一切れだけ取り上げる。
それも生クリームは避けて、スポンジ生地だけしか食べない。
私は、残りを一人でたいらげる(ことができるのだっ!)。
・・・至福の時だ。
これをオメデタイと言わずして、何と言えたものだろうか。
ほんとに、オメデタイ。
やれやれ、、、。
で、いったいいくつになったんだっけな?
・・・
夕べ、母から電話があった。
最後に、「いくつになっても子供なんだから」と。
ハイ、異論はございません。
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