「マリリン・モンロー」と「ツィゴイネルワイゼン」
今日は一日どこにも出掛けない。
ちょうど、PCを再起動して溜ったメモリーを消去させるように、自分の脳もリフレッシュさせなくてはならない。
ハーフ・ボイルドの私には、「甘い言葉」と「苦いコーヒー」、そして「独りの時間」が必要だ。
最初のそれは望むべくもないけれど。
そんな風にして、朝から(とはいっても、起きだしたのは10時を回っていた)自室の机に張り付いて、本を読みながら音楽を聴いている。
もちろん、私の分身マックは起動したまま、目の前で微かにファンの音をさせながら、かまってくれるのをジッと待っている。
気が付いているけど応えてやらない、わざと無視する。
今日は、鈴木大拙の「禅とは何か」を読んでいるんだけど、これもまた存在論だ。
私の行く先々で、存在の問いが発せられているようだ。
しかし、夏も終わりというのにまだまだ暑い。早く、秋にならないか。
と、”インディアン・サマー”という言葉が浮かぶ。
そういえば、サリンジャーの中にその言葉ではじまる話があったな、と
それまでの本を置いて、探しはじめる。
『ナイン・ストーリーズ』をめくると、見開きにこんなのがあった。
”両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに?- 禅の公案 -”
・・・知るかっ!そんなことは鈴木大拙に訊け。
パラパラめくっていくと、
それはあった。
~「小舟のほとりで」~
”秋も終わりに近いある小春日和の昼下がり、”
からはじまる小品。
そこには、もう20年以上も前の私が、赤いチェック・マークを付けていた。
つられて読み返す15分間ほど、、、
不覚にも・・・○○。
20年前もそうだった。
私の本質は何も変っていない。たぶん成長もないのだろう。
でも、感じるこころは忘れたくない。
だって、それが私だから。
今かかっている音楽は、ポール・モーリア楽団の「ツィゴイネルワイゼン」
そして、マックのデスクトップ画像がマリリン・モンローに切り替わった。
(ストックした画像を自動で切り替えている)
私の分身マックは、人のこころを読む可愛いヤツ。
最初のリクエスト「甘い言葉」に、精一杯応えたのだろう。
帰らぬ時と 変わらぬこころ
マリリン・モンロー ノー・リターン ♪
付記
因に、”インディアン・サマー”という言葉には、こんな意味もあるんだそうだ。
・・・(比喩的に)晩年の穏やかで落ち着いた生活の続く一時期。
「大辞林」
私に”インディアン・サマー”は訪れるのだろうか。
もうすぐそこに来ている筈なんだけど。