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半世紀を生きた女
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誕生日を迎えて
本日2月23日は不肖わたくしの生まれた日。
あちらのSNS、こちらのSNSで風船が飛ぶ華やかな日です。
昭和に生まれ、平成・令和と図らずも3つの時代を生きることになった
当年とって五十歳。
年を重ねるとよく聞く言葉に「○○歳って子供の時はもっとオトナだと思っていたけど、自分がなってみたら全然だった」というものがあります。
確かに。
ごじゅっさい…小学生の頃、中学生の頃、高校生の頃に考えていた五十歳は「オトナ」の象徴のような「冷静沈着」で「思慮深く」て「人格者」でした。
さて自分は、と考えると
「冷静沈着」→感情の起伏が激しくすぐ泣いたり怒ったりします
「思慮深く」→思い立ったら即行動!やらかしてから考えます
「人格者」→じんかくしゃ?それっておいしいの??
あれこれ酷くて申し訳ない気持ちになりますが、五十年生きていたって馬齢を重ねたならこんなもんです。
それでも、生きやすくはなりました。
十代二十代の頃の自分は、己の価値を大きく見積もり、周囲の人間にもその価値を認めさせねばならないと躍起になって空回り、肥大した自己顕示欲が満たされず挫折感で自己嫌悪に陥り…このループで奈落の底にさらに穴を掘って埋まっている状態でした。
今は、全ての人に認められるべきとは思いません。
自分が心から大切にしたい人たちが自分のことを大切に思ってくれる、それが幸せでありがたく、得難いものだと気づいたからです。
近年は「今が一番幸せ」と思うことができるようになりました。
この幸せな毎日が長く永く続けばよいと願います。
今日から2度目の人生、いわば来世
さて、しつこいようですが五十歳です。
厨二病が大好きな(とは主語が大きいですが)織田信長さん。彼が本能寺で舞ったと言われる演目、幸若舞の「敦盛」では
人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
と、あります。
五十年生きたということは、夢幻を1度終えたわけですね。
今日から次の夢幻ターンです。
全うできるかは怪しいですが、せっかくの二度目の夢幻、何か新しいことを始めたい。
何をしよう、自分は何が好きだろう、と考えた結果とをしたいと思いました。
元々、好きなことや知りたいことをしつこいくらいに深掘りする粘着気質なので、それを学びに生かしたい。
かれこれ30年ちかくOAスクールに勤めており、PC周りはなんとか時代の波に追いついている、と自負しています。
では何が足りないのか。
簿記知識です。
致命的に何もわからない。OAスクール勤務なのに。
学生時代から「国語と数学を足して2で割ると平均点(国語100点・数学20点、的な意味でとらえてください)」な人生を歩んできたので、とにかく数字が苦手。
苦手意識のまま簿記もずっと敬遠してきました。OAスクール勤務なのに。
講座は担当わけされているので、PC操作担当として特に不便もなく、なんなら自虐ネタとして使える、ぐらいの感覚でこれまでやってきたわけです。
これではいけない。
何か不便があったわけでも、習得しろと誰かに言われたわけでもないですが、なんとなくいけない、ような気がする。
せっかくの2度目の夢幻、苦手を苦手のままとせず挑戦してみようじゃないか。
noteで決意表明
亡き祖母はとても筆まめな人でした。
先日、祖母の居室の天袋から50年分の日記帳が見つかり、その筆まめさ、持続力に改めて感嘆したものです。
私が産まれた日のことも鮮明に詳細に綴られており、望まれ愛されていたと目頭が熱くなりました。
そして、亡くなってなお、他者に想いを伝える文章というものの素晴らしさに深く感じ入り、これからの自分がどのように考え、行動し、何を得たか得なかったかをどこかに遺したいと思ったのです。
電子世界の片隅に、自分の足跡を刻むこと。
これもまた「新しいことを始める」の一つです。
筆まめではないし持続力もない、飽きっぽい自分がどれだけこの場所で発信を続けられるか。
そもそも何を発信するのか。
ふわふわとした、まだまとまっていない頭の中ですが、まずは動いてみようと思います。
動いてダメなら止まればいい。動いた先で行き詰ったら方向転換すればいい。しんどくなったら一休みすればいい。
これくらいの緩い気持ちで、五十歳初日の決意表明とします。