Vol3.26歳初めて喪主になる
初めまして、はっしーと申します。
来年70歳になる父と二人暮らしをしています。
絶賛、Webデザイナーになるために奮闘中!
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前回Vol,2をご覧になっていないかたはこちらから
1.全てを1人で決めないといけない責任さ
Vol.2でも細々と書きましたが。母が交通事故に遭い、亡くなったのは3月上旬
因みに父はかかりつけ医に入院
病院からはコロナ感染の制限が厳しく、母の最期を見送ることはできなかった。
実家の近くに住んでいるのは父方の叔母夫婦この時は本当によくしてもらった感謝✨😭
母方の親戚は近くには住んでいないので、当然関係者各位への連絡手段は私1人に託された。
いつものお寺に連絡し、日取りを決めることや
葬式会場も会員になっていることを知っていたから、即座に対応。両親の背中を見て育って良かったと…。
もしこれが、全く家の子も知らない、母親、妻が全部管理している時は注意したほうがいい。
最期を迎えた後、どういう風にしたいのか。どうすればいいか、を見ておくのも手段の一つだと思う。
私の場合は昔からそういう場面に出くわすことが多かったのと、両親が葬儀グループの会員であること、自分が亡くなった後はこうしてほしいとういう希望を先に出していたからこそ救われた、
多くの人に見送られていた母は友達が多くて憧れの存在。
一緒に出かけたり、お仕事を手伝ったり、ひまわりみたいな人だった。
多くの人が涙をしているのだが私は全く泣けず、今でも実感できないでいる。
1人でやらないと、しっかりしなとと今も続いているのだっと思うと少し苦しさがある、
あとはお金問題!これ結構重要….。当日ってお金が結構いったりするの!!
うちは母が家の中を全て取り仕切っていたし、片付けができない人だったので通帳探すのに一苦労。
なんと、コロナ患者のもあって亡くなる前に病院から返された荷物たちは開けられず、自分のお金から算出して払ったとさ。
自分の給料、貯金してて助かった。
でも一つ、失念していたことがあって
自分の会社に忌引きっていうの伝え忘れてて、やらかしたことだけは反省点。
気が回ってなかった😭
2.手続き書類書くの嫌い
葬儀が終わって一息もつくこともなく、実家を片っ端から金融機関・証券会社・保険会社・会社関係などを探し回ることに。
なんでこんな家汚いの。わけわかんない〜〜!!
役場の手続きもめんどくさくて一手間も二手間もかかる。
私は親世帯から抜けているから完全に父との橋渡し役
父とは面会できずに時間だけが去っていく。
あとでびっくりしたのが、
3月の電話料金高かった。
この時初めてカケホにしとけばと自分を恨んだ🥺
実家のゴミ屋敷断捨離したくてもわからない現実を見ながら、そんなこんなで仕事を再開したのであった。
3.まだまだ続く、多忙な毎日
仕事に戻ってはや1週間が過ぎたある日、3年間働いていた病院から別の病院への異動が決まった。因みに私は医療従事者ではないけども。
私の本音「このタイミングで、異動しないほうが慣れてるから楽なんですけど。」
現実はそう甘くはない。なんでですかと問い合わしたところ「人手足りないから」
あぁ、また変にこき使われてると思いつつ、私がいない間に決まっていた。弁解の余地がない(笑)
3月下旬位は父の腰椎圧迫骨折の手術。主治医の先生も代わり、全ての連絡が全部私に飛んでくる。
慌ただしく過ぎてく毎日。
平日は仕事、休日は実家に帰り、書類整理と物の整理そんなことで3月は過ぎ去っていった。
4.もし、可能であれば知っていてほしい
20代、30代の方々へ
一人っ子、兄弟姉妹がいたとしても、親のことはちゃんと聞いておいたほうがいい。
どうしてほしいか、どうしたらいいかを改めて知っておいてほしい。
どうにかなるはどうにもならない時もある。
実家にある貴重品、書類、実印など何があるかを把握しておいたほうがいい。
金融機関が止まる前に。お金は引き出しておいたほうが手っ取り早い。
もしものことのために、ちゃんとお金は貯めておくこと。
何かあったときに考えてたら全ては遅い。
遺産もすぐに入るとは限らない。
私は父と2人だったからまだ早かったけど、時間かかる人はかかる。
悲しむ間も無く、寂しくなることもなく毎日がただ唖然として去っていった3月….。
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