ここでひと区切り
その後の話
あれから一ヶ月と少し経ちました
最初の1週間ほどは、目が腫れてない日がないくらいに泣いていました
少しずつ泣く時間が減って、今は胸を掴まれるような悲しさも喉の奥からわく苦しさも、少なくなりました
それは嬉しいことですが、悲しくもあります
娘は遺骨になって戻ってきてくれました
今は穏やかな気持ちでそれを眺めています
私を支えた人
退院後、私は3日間実家に帰りました
体がボロボロなので、親に色々してもらうためです
これが間違いだったとは思いません
やはり体はきつかったので3食しっかり作ってくれて、何もしなくていい実家にいたのは良かったです
ただ、精神面では実家が私を癒すことはなかったです
断っておきますが、家族仲はすごく良くて、私は両親、姉、妹、皆大好きです
けれど、ひとりじゃないのに孤独感が襲います
実家では当たり前ですが両親の生活があります
誰かの声がテレビの音が、なんでもない日常の生活が、私を孤独にしました
これはもう、仕方がないのですが、誰も私の気持ちを分からないんです
当たり前ですよね
だって、私の家族の中で21トリソミーの子を中期中絶した人はいないんですから
皆、健常の子を授かりましたから
もちろんそれはいいことです
だから私だって両親の気持ちも姉妹の気持ちも分かりません
自分以外の心を理解するのは、至難の業です
そんな中で私は一緒に苦しんでくれる人が欲しかったんです
そんな人は世界でひとりしかいませんでした
同じ子を亡くした、あの子と血の繋がった親は、私ともうひとり、旦那しかいませんでした
実家で3日過ごし、自分の家に戻った私は、ひたすら旦那に泣きつき、甘えました
どれだけ自分が辛くて悲しいかを訴えました
自分の苦しみを伝えることが実家ではできなかったんですよね
傷を癒したのは時間でしたが、どん底に落ちた私を救ったのは旦那でした
これは記録です
ここまで書いて改めて思いますが、これは記録です
21トリソミーの子を授かり、泣いて悩んで中絶し、その後も泣いて苦しんで、少しずつ浮上している女の記録です
逆に羊水検査で21トリソミー確定して、その子を生んだことを書いていたとしても、やはり、それも記録として書いたでしょう
どちらも記録であって、どちらも美談ではありません
最初のnoteにも書きましたが、共感も批判もあるでしょう
けれど、記録として残し、苦しむ誰かの助けになればと思います
これで中期中絶の話は以上になります
もしかしたら、あとからなにか書き足すかも知れませんが、一応ここで一区切りとさせてください
あとは、好きなこと、楽しく感じたこと、日常をnoteに書いていけたらと思っています