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吹奏楽半生を振り返る⑤最終回~暗黒からの生還

吹奏楽半生を振り返る最終回。前回の暗黒時代からの生還です。


アンサンブル活動へ

吹奏楽団活動をやめて、好きな友人だけでアンサンブルを組んでの活動を開始しました。
最初は様々な高齢者施設などに訪問演奏などをしていました。
しかし、どこか満足できず、アンサンブルコンテスト出場したいと考えました。

アンサンブルコンテスト出場へ

アンサンブルコンテスト出場ですが実際には、
・吹奏楽連盟加盟
・曲探し(好きな人が集まったので編成にあう曲がない)
・アンサンブルコンテストの出場への申請
と練習以前の事務作業の問題の方が大変でした。

曲は当時好きだった編曲家に編曲を依頼し、また、演奏についてもプロの先生を呼び、本番のホール練習でホール練習をするまでやってみました。
連盟加盟など、たくさんの苦労しましたが、苦労した分、勉強になりました。

結果は銅賞(といっても過半数は、出場した県は、半分が賞なしなので、真ん中より上)という結果でした。

演奏の結果よりも、様々な事務作業から練習以外の運営の大切さや大変さを学びました。
今まで自分が演奏に集中して活動ができていたのは、周りが支えがあってのことだということを理解できたのが大きな収穫でした。
この経験が団を立ち上げることにつながっていきました。

吹奏楽全国大会鑑賞で目標ができた

時系列では異なりますが、2003年に宇都宮で開催された吹奏楽コンクール全国大会を聴きに行きました。
この年は、創価グロリア吹奏楽団が天野正道さん作曲の「ラ・フォルム・ドゥ・シャク・アムール・ションジュ・コム・ル・カレイドスコープ」で金賞を受賞。
私は、初めて吹奏楽を聴いて涙がでるほど感動しました。
各楽器の音色が、混ざったりぶつかったりする色彩感の変化が、本当にステージに虹がかかったように見え、すべての音がストレスなく美しく、私の汚い心を洗ってくれたように感じました。

この演奏が吹奏楽活動の中で、私が目指す具体的な目標となりました。

吹奏楽団を立ち上げ

最初に入っていた吹奏楽団の知り合い2人が、吹奏楽団を立ち上げたいので、協力してほしいと連絡がありました。
協力の内容は、私が2つ目に入団した一般吹奏楽団の指揮者が有名な方だったので、その指揮者を紹介(連絡)してくれないか?と依頼されました。
2人の団を立ち上げる目的が吹奏楽コンクール全国大会出場で、有名指揮者を呼ぶ必要があるとのことでした。

指揮者の紹介

私は吹奏楽団をやるかは決めず、楽団を立ち上げる2人に指揮者を紹介しました。
指揮者からは会って話し合いをしましょうとのことになり、その指揮者と立ち上げたい2人が打ち合わせの場に、私も同席を求められました。

指揮者からいくつか条件がありましたが、指揮者から、私が入団しないなら指揮を引き受けないという条件になりました。
(面識のない、まだ信頼していない人と楽団を進めるのは難しいので、私も入団してほしいという話です。)
そこで、私は楽団を立ち上げるメンバーになることを決めたのでした。

その後楽団立ち上げ

楽団を立ち上げ今10年以上運営を続けています。
いろいろ意見がぶつかったり、喧嘩をしたり、ぐちゃぐちゃしましたが、それが自分自身の大きな成長へもつながりました。

3年目くらいで、そこそこ大きな楽団になり、個人的には創団4年くらいで、やりたいことは全て果たせた状態となりました。
なので今では、私たちに賛同いただき集まってくれたメンバーへの感謝の気持ちで運営を続けています。

自分の成長

楽団を運営することで、人が喜んでくれるために行動する楽しさを強く幸せと思うようになりました。昔の私では感謝の気持ちなど持つことは考えられませんでした。

もちろん、自分はアマチュアで本来の仕事がある傍らでの活動は難しく、
10年以上何かしら発生する問題に対しては365日対応しないといけない。私が苦手なことも誰もできなかった場合は私がやらないといけない。嫌なことを言われても大人の対応をしないといけない。などなど大変です。

ただ、たくさんの人と音楽を通して信頼したり、コミュニケーションをとったり、自分自身の技術が向上することの楽しさは最高です。

吹奏楽半生振り返りおわり。次回からは音楽関係の記事を書きます。

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