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横須賀にある自衛隊高校に潜入!!
皆さんこんにちは! たいがです! 前回の記事に引き続き、今回は私が自衛隊の高校に入校した話をしていきたいと思います。 高校といえば青春ですよね! 私の高校生活は、一般的な学生の青春とは、ちょっと、いや、だいぶ違いました。笑 何故かって?! それは、3年間、塀の中で過ごしたからです。 刑務所ではありませんよ。 高校です。笑 そう、僕達は神奈川県にある、自衛隊の基地、武山駐屯地の中で高校生活を送りました。 その高校は、将来の幹部自衛官を養成する、いわば、エリート高校な訳です!笑 すみません😏 ちょっと盛りました。笑 通称、陸上自衛隊高等工科学校と言います。 偏差値は、当時のレートで、57程だったと思います。 が、マークシート式なので簡単でした。 一応、受験の4ヶ月前くらいから、ぼちぼち勉強を始め、本番はそれなりに手応えがありました。 僕の場合、公立高校の受験に失敗して、1年間地元の私立高校に通っていた為、実質1浪ですね! これを、界隈用語では、『年食い』と言います。笑 当時は、高校生の段階で1浪なんて、 「めっちゃ恥ずかしい!!🫣」 と本気で思っていました。 今となれば、マジでどうでもいいですけどね。 笑 そんなこんやで、僕は自衛隊高校でもう1度、1年生を始めることになったのです。
ちょっとここで言いたいのは、自衛隊高校に入ったきっかけです。 それは、一言で言えば、『テレビで、高等工科学校の生徒が、懸垂をしてる動画を見て、カッケー!!!』と思ったからです。 はい、ただのバカですね!笑笑 そんな、後先のことを考えない脳筋プレイで、僕の新しい高校生活はスタートしました。
そこで待っていたものとは!?
入校日初日、今でも鮮明に覚えています。 それはもう、不安と緊張が100%でした。 最寄りの三崎口駅からのバスの中、僕は、ただただ不安でした。 正直にいうと、怖かったのです。 学校に着き、着校式をした後、対番の先輩が、僕を迎えに来てくれました。先輩が、隊舎の中で上司『班長』にしていた敬礼は、今でも忘れられません。 めっちゃかっこよかったです! 指先がピンと伸び、鋭い視線には、僕までキュン死してしまいそうでした。 それは、僕もここで1年過ごせば、こんなカッケー人になれるんだ!という希望が湧いてきた瞬間でもあったのです。
着校してから1週間は、戦闘服、装具、帽子などににネームを縫い付ける作業、靴磨き、アイロンがけの練習などで、手先が不器用な僕には、やや大変な期間でした。笑
着校してから1週間が経った時、先輩達から盛大なドッキリを仕掛けられました。 急に僕達は、自習室に集められ、その間に先輩達に部屋を荒らされたのです。そして、こう言うのです。 『今から10分以内に、全て片付けろ!急げ〜!!!』と。 その声量は、日常では聞かないRevelの、ヘルツが出ていたと思います。笑 『僕は泣いていません』が、ビビり散らかして泣いていた同期は沢山いました。笑笑 そんな事があり、僕達は自衛官への道を歩み始めたのでした。
1年生の時に、印象に強く残っているのは、『八の字走』という持久走大会だ。 駐屯地内の八の字になっているコースを、クラス対抗戦により、タイムを競い合うイベントだ。 この時期は、毎朝クラスのみんなでかなり走り込んでいた記憶がある。確か、努力が功を成して、見事11クラス中、1位を獲得した記憶がある。 パチパチパチ👏
個人的にも、ベストタイムを更新した。 その他にも、1年生では、自衛隊の基礎的な事を学んだ。
2年生になると、各個人に89式小銃が貸与され、僕達はとうとう戦争に行く準備ができたという事だ! 小銃の重さは3キロ、意外と重かった。 射撃訓練では、実際に実弾をぶっ放った。僕は、そこまで上手い方ではなっかったが、まあまあ的には命中させる事ができた。 銃の反動は思っているよりも小さく、正しい姿勢を保てば、誰でも半分以上は球を命中させる事が出来るだろう。 この射撃訓練は、退官後の今でも、経験する事が出来て良かったと思っている。 2年生でも、3キロの区隊『組』対抗の持久走があったが、1年生の時みたいに優勝する事は出来なかった、。 やはり、日々の努力は大事ですな!。 うんうん🙂↕️
神様と称される3年生時代
はい。ようやく3年生になりました! 僕の学業成績は低かったので、成績のあまり良くない学生が集まる区隊『クラス』に入りました。 が、そこの区隊には、僕の性格に合う面白い学生が多く、1年生や2年生の時よりもだいぶ、気持ち的に楽になりました。しかし、その時の僕は思春期ということもあり、あまり社交的な性格ではありませんでした。クラスの中でも、だいぶ陰気な方だったと思います。人間関係が苦手だった僕は、勉強にコミットしようと思い、テスト前は、結構真面目に自習しました。『テスト前と言っても、1週間前くらい』その結果、1年で4回ある定期テストの、最初の1回目、前期中間テストで、30人中、区隊2位の成績を取ったのです。学年では、146人中、42位くらい。ちなみに、1位だった人は、区隊委員長の学生でした。この時、僕は生まれて初めてと言える、小さな成功体験を得ることが出来ました。こんなにも成功体験が少ないのは、僕くらいでしょうね。笑 まあ、そこまで頑張ってきた人生ではないので、当然といえば当然か、、。 1回目は、しれっと2位を取ったので、意外と簡単だな〜と思いました。で、2回目と3回目、僕は調子に乗って、勉強つまんないからテキトーでいいやーとなってしまい、学年で136位、142位と、見事なまでの転落劇でした。僕の性格的に、安定性があまりなく、飽きっぽいので、1回いい成績を取ったらもういいやとなってしまうのです。笑笑 ある意味変化を求めている性格と言いますか、、、
結論を言うと、最後のテストでは見事区隊で1位、学年で34位を取れました!この時こそ、僕の学生生活の絶頂点です。授業中は毎日寝てしまっていましたが。😓 この時は、テスト勉強を始める前から、これがおそらく、人生で1番最後のテストになるのだから『最後くらい本気で頑張ろう』と思って臨みました。それが勝因だったのだと思います。後は、最後だから成績に反映されないだろうと思って頑張らなかった人が多かったのも事実だとは思います。更に今思えばテストも暗記系が多くて簡単でした。まあ、一応1位だったので良かった事にしましょうか🤭
それが、一応僕の成功体験として心に刻まれています。
3年生といえば、1、2年生から、道端や廊下ですれ違った時に敬礼されます。自衛隊の世界は、上下関係が絶対なので理不尽な事で怒られても通常は我慢しなければなりません。僕もこの3年間の中で散々怒られてきましたが、今となってはただの思い出の1部分です。卒業したての頃は、大きな復讐心に駆られてましたが、、笑 いつも父に愚痴を言っていたのが記憶に新しいです。
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終わりに
高校では、匍匐前進や射撃訓練、戦闘訓練、突撃訓練、分隊教練、防衛基礎学、ガスマスクの着用、パレード行進、体力錬成など、初期の自衛官にとって必要な事を多く学びましたね。そんなに難しくて、特殊な事はやってません。僕が考える、自衛官に向いている人は、精神的な鈍感さがあって、社交的な人だと思います。ここで言う鈍感さとは、『感受性があまり高くない人』と言うと分かりやすいと思います。そもそも論で、感受性が高い人には、公務員はあまり向いていない気がします。精神的に敏感な人だと、違った意味で厳しい世界でやっていくには向いていない可能性があるという事です。これは僕にも当てはまるのですが、繊細的な人間はアーティスト系が向いていそうですよね。僕は音痴なので歌手は厳しそうですが笑 社交的な人とは、字の如く、自分から人に話しかけたり、人と会話するのが得意な人です。
結論、自分の性格にある程度沿った職業選びをしていきましょう〜!といったシンプルなお話でした。 デンデン!! また次回の記事でお会いしましょう!!さらばじゃ〜〜\\