ゲーム批評 龍が如く8

一言まとめ:まさに竜頭蛇尾で惜しい。


前振り

 龍が如くシリーズ最高傑作になると前評判の高かった本作。
 本作の前日譚である「龍が如く7外伝」の完成度の高さはその事前評価を裏付けるものだったし、事前に公開された情報や宣伝文句からして、開発者だけでなくゲーム関係者やゲーマーからの期待も相当高かった…はずだが…ふたを開けてみれば案外賛否が分かれる結果となった。

 ただこれは喧々諤々の議論というよりも、賛否論者共に「まあ、そうだよね」といった感じの話なので、素直な感想を言うと「たしかにおもしろいんだけど、もっと上を目指せた感じもするよね」というようなぜいたくな悩みと言える。とはいえ、手放しで喜びたかったよねという気持ちも強いので、以下では、そうはなれなかった理由、どちらかというと「うーん…」と思った部分を連ねることにする。

「ゲーム」としては完ぺきだった

 賛否が分かれる理由は非常にシンプルで、メインストーリー以外がほぼ完ぺきであったから。このように書くと一見奇妙だが、メインストーリー以外についてはほとんど異論をさしはさむ余地のない、とんでもない大作であったことは間違いない。
 そして裏を返せば、周囲の脇役の完成度がどれほど高くても、メインストーリーの出来次第では、せっかくの力作であっても評価が台無しにもなりかねないというゲーム評価のおそろしいところでもある。 

個人的によかったと思ったところ

 簡単に異論をさしはさむ余地のない、と書いたが、優れた点はどれだけでもあげられる。
 前作になかったプレイヤー側の「移動」という概念を導入したことによって、RPGとして正当進化したバトルシステム。ドンドコ島やスジモンバトルに代表される、既存有名ゲームをブラックかつ龍が如く風味に味付けしつつ、ゲーム内コンテンツとして再構築したサブコンテンツの充実具合。デフォルメされつつ再現されたハワイの街並み。そしてシリーズファンなら感涙必至の、桐生一馬という人生に本当の意味でケリをつけるエンディングノート…。

 これらの要素について、悪い評価を下すことはほとんど不可能であろう。
 付言するなら、これらの点については事前に開示されていた事柄であり、そういう意味ではユーザーにとっても「思っていた通りのメニューが出てきたので満足」ということになる。
 したがって本作品の評価は、事前に開示されていなかった唯一の要素、「ゲーム本編のシナリオ」に依存するのである。

何が飲み下せなかったのか

 結論から言えば、シナリオは途中までは良かったが、途中から広げすぎておいおい大丈夫かという感じになり、中盤から後半にかけてボロボロこぼれるように暴走は加速していき、最後はパンクして破裂した残骸はあらかた投げっぱなしになったが制作陣が書きたかったであろう核心部分についてだけは強引ながらも着地に成功した、というような感じだ。
 シリーズ作品で言えば、5に近いようなそんな感じであると言えば伝わるだろうか。よくない部分が他にないとまでは言わないが、不満点の99%はシナリオがひどい(悪いではない)に集約されるだろう。

さて、原因は何だろうか?

 上では酷評したが、実際、筆者としても途中までは非常にワクワクしたのは事実だ。
 前作において、都知事のスキャンダルを暴き、NPO団体の欺瞞を暴き出し、自分自身の出自にも一つのケリをつけるという一つのド派手なエンディングに到達した主人公。そこから3年の月日を経て、派遣とはいえきちんと正職を得て、尊敬していた人がやり残した事柄について地味かつ地道な活動を続けていく…という出発点は堅実だったと思う。
 という日常から急転直下する汚職スキャンダル。これも主人公が前作で使った手口の因果応報であり、まだ姿見えぬ敵の狡猾さと壮大な陰謀を印象付ける。それとともに、プレイヤーにこの黒幕たちにリベンジしてやるぞという意欲を植え付けた。
 そして時を同じくして明かされる、実は母親は生きていた(し沢城は出所していた)という情報、そしてハワイへの出立。
 なぜ一市民に戻っていた春日たちが告発されたのか?
 なぜ一市民に過ぎないはずの母親が追われて姿を消しているのか。
 なぜ全裸でワイキキのビーチに転がっているのか…。 

展開が雑すぎである

 その答えはただ一つ…春日一番ゥ!お前は作中で最初から狙われていた男だからだ!

 雑すぎである。
 
 そもそも劇中明かされた情報を時系列順に並べれば、
 1.春日の動向とは関係なく、各国の思惑のもと、パレカナ保有の島に巨大なごみ処理施設を建設する話が進行中であった
 2.ひょんなことからパレカナ代表者の立場を揺るがしかねない事件が起き、その事件にたまたま居合わせたという形で巻き込まれたのが茜であった
 3.パレカナ代表者は実はハワイ裏組織を束ねており、血眼になって彼女を探しているはずであったが、海上に逃げていたので見つからなかった
 4.そこでパレカナと提携している星城会が、茜の息子を餌にすれば見つかるんじゃね?と春日を派遣することを思い立った
 5.それをおぜん立てするため、わざわざ日本で春日のスキャンダルを流し、知己である沢城を仕向けてハワイに行くよう工作をした
 
 …というが、そもそもブライスはパレカナ代表者として何十年も君臨し、教団内のみならず、対外的な評価としても教祖として確固たる地位を築いており、教団を含めてブライスがうさんくさく思われているようなにおいは一切していない。もちろん春日はそのスキャンダルとは気が遠くなるほど無関係である。
 そういう意味では、当時の継承問題を記憶する者がどれほどいるかも怪しい過去の事件を今更蒸し返されたとして、その立場は揺るぎようもないように思われる。春日のような日本由来の野ネズミがちょろちょろ動き回ったところで、本来なら歯牙にもかけなくてよかった立場のはずなのである。
 仮にそれが彼ののどぼとけに引っかかった骨であったのなら、なおさらラニという少女が何も知らずにノコノコやってきた千載一遇の好機に、即座に「対処」して問題を根絶すべきであるはずなのに、なぜかこの事件に限っては後手後手に回り、本人はおろか目撃者まで取り逃がすずさんな対応しかできない。
 取り逃がした後もお粗末で、なぜか教団ではなく手下のヤクザをつかって、それも極度に限定した情報のみを開示して重要な部分を明かさずに人海戦術で探させるという奇妙な対応をしており、真剣さが疑われる。
 もちろん配下であるウォントーやブライスは面従腹背である可能性への警戒は当然であり、裏切りをおそれるあまり結果としててぬるい対応になったというフォローは可能であるが、彼らを傘下に収めるときにブライスが示した非情な経緯に照らせば、なんかここだけ急にポンコツになったような印象でしかないというのが第三者から見るときの率直な感想となる。
 そもそも配下であるドワイトの弁によれば、ブライス氏はただのマフィアに収まらない底知れない力を持っていたはずだが、その能力の全貌や不老ギミックなど数々のベールをまとったまま、なんとなく舞台から退場してしまった。
 そんな彼が、そこまでして手に入れたはずのパレカナ代表者の地位、ラニや茜をSATSUGAIしてまで守りたかったパレカナの財産として、ネレ島という財産のすばらしさを語られる。しかし、正直プレイヤーの目線からしてネレ島それ自体がすごいのかはよくわからない。無人島なら探せばどれほどでもあるだろうし、立地がよいとも特に語られない(あらゆる大陸から遠く、危険生物もうようよしていて運搬するだけで大変なんじゃない?)。仮に何らかの理由でゴミ廃棄所として好適だったとして、そこに乗り込む春日一番とのかかわりがあまりにも弱すぎると思う。別に春日一番自身には、パレカナにも核廃棄物にも因縁はないのだ(可能性としては、そこで従事させられているやくざ、特に佐々木には因縁があったし、個人的にはそこに焦点を当てるべきではと思ったが、そうはしなかったようである)。
 そしてメタ的な話をすれば、プレイヤーの目線から見たとき、ラニを救出した時点で目的の半分、茜に遺灰を渡した時点でほとんどの目的を達成しているので、アフターサービスとして彼らを日本に護送するまでは理解できても、そこからハワイにとんぼ返りしてブライスを倒しにわざわざネレ島に行く展開が理解しがたい。
 なんかもう、ブライスと戦う理由があんまりないのよね。ブライスの側にはもっとなかったと思う。なんか異邦人がハワイに乗り込んできて、部下たちとけんかして暴れまわってるから排除しようとしただけで。
 だから、ブライスという人物を春日一番の敵と位置付けたことが、そもそも物語として破綻していると言わざるを得ない。
  
 さらにメタ的な話をすれば、ドンドコ島でバット一本であらゆる廃棄物を元気に処理していく春日の姿を別の場面で結構長い時間見せられているので、あのドラム缶も春日が「ふんっ」ってなんとかできそうじゃね?という点でもどうにもおさまりが悪い。

極道大解散は大失敗でした!

 ヤメロ。

 確かに龍が如く7で極道大解散というとんでもない事件が起きている。
 春日一番もその立会人であり、関係者でもあった。
 しかし、春日一番自身は荒川組や荒川親子に恩はあっても、東城会全体からすれば下っ端もいいところであり、関西連合に対しても特に因縁があるわけではない。いうなれば、席次としては末端の元ヤクザが単純な戦力としてアテにされたからなりゆきで参加しただけであり、春日本人が極道全体の行く末に責任を負っているわけでもなく、そもそも責任を負える立場になかった。だから龍が如く7での扱いはあの程度でよいのである。
 とはいえ、龍が如くシリーズが一連の作品のベースとして極道裏社会を取り扱っている割に、「極道解散という龍が如くの背景を根底からひっくり返す事件を、ただの舞台装置扱いにしちゃったよね」という部分は制作陣も思ったことがあるらしく、このあたりは龍が如く7外伝で改めてテーマとして語られている。つまり、極道として生きたい(生きざるを得ないを含む)人はあの時点でもわんさかといて、そういう人たちにとって極道組織はいまさら人生と切り離せず必要不可欠であり、そういう人間をいいように使って甘い汁を吸ってきた年上組が、もう駄目だと自分たちの判断で勝手にギブアップするのは裏切りだという話である。その主張の是非はともかくとして、当該作中ではそういう主張を力でねじ伏せて退けたという決着をつけさせた。もしそうであれば、彼らの無念のためにも極道大解散は絶対に成功させないとだめだよね。

 いや、だめでしたじゃないでしょ。

 せめてだめだったにしても、もっと理不尽があってだめだったにしてほしかった。たとえばヤクザ抗争の犠牲者になった遺族が押しかけてきて手を出すことも口で返すこともできず疲弊していく(ブリーチジャパンは当事者性が低いが被害者遺族に何も言い返せないのはきつかろう)従業員であったり、あるいは残存している極道組織の執拗な嫌がらせに嫌気がさして事業がなりたたなくなったり、もっと直接的にそもそも元ヤクザを取引先とするような企業はなかったとか、警察の目の敵にされ転び公妨で見せしめにどんどん逮捕されていき組織としてボロボロにされていくとか、もっともっともっと無情で強大な力でつぶされてほしかった。露出度高めのVtuber一人で壊滅する極道組織とか、そんなのアリですかねえ。

 そして失敗の末に引きこもるとか、何なん?
 そもそも真島の兄さんはキャバレーも建築会社も運営できるレベルだろ?大吾はしょうがないけど。冴島は、まああの生活悪くないって思ってたんじゃない?

花輪もウォントーもやられちまった!

 いや、だめでしょ。

 厳密にいえば、やられちまうのがだめなのではない。あのタイミングで、あの経緯でやられちまうのがダメなのである。
 まずウォントー。バンジョーのトップであり裏社会の重鎮でありながら、ハワイきってのカジノのオーナーという表社会向けの仮面を併せ持つという立場上簡単には会えない人物であり、主人公サイドも姑息な手段や富士宮の名声を背景に乗り込むことに成功。死闘の末に捕獲すると、一転して彼もまた追われる立場となり、ブライスの配下や山井たちの追撃を、桐生を犠牲にしてまで何とか交わして助けた相手である。そのわりにあっさり死にすぎである。あっさり殺すなら、ハワイのオーナーについて部分的に漏らした時点でムービー銃処理すれば足りる話であるし、あの時あの場所でどうしてもサツガイしたいのであれば、下手人に「オーナーからのプレゼントだ、遠慮するな」とでも言わせて明確に報復を図ったのだと思わせてもよかったはずだ。なんか、ラニを強奪する際に流れ弾が当たってついでに死にました感が強い。
 ついで感で言えば、もっとひどいのが花輪。カチコミかけられて死ぬ、政治家の犬なんてそんなもんだと言われればそんなもんかもしれない。そもそも続投が決まってなければ、龍が如く7外伝の劇中で死んでいたとしてもおかしくない存在である。しかし熱心な龍が如くゲーマーからすれば、このゲームの進行度時点で千歳に対する好感度より花輪への好感度の方が間違いなく高いはずなので、好感度の低いキャラが好感度の高いキャラの死因となるという、いろいろまずいシチュエーションであろう。しかも、やっぱりついで感がすごくて、ラニをかばって撃たれるでもなく、「キサマがコソコソさぐっていたダイドウジだな、死ね!」みたいに明確に殺意を向けられる(に足りる大物として描写される)わけでもなく、たまたま当たり所が悪かったので残念でした、みたいな残念演出である。
 輪をかけてやばいのが、その二人の死体を前にして、萌え声発し始める千歳である。そういうネタバラシをどこかの段階でする必要性はわかるが、敢えて背景に血みどろの事件現場(しかも事件直後)をチョイスする必要性がない。仮に千歳を意図的にサイコパスとして描写したいのであればギリギリわからないでもないが、別にそういう感じでもないので、なおさら違和感だけが強烈に残る。
 そして流れ弾という点では、ウォントーではなく足立さんとかがやられちまっても不思議ではないので、「足立さんがやられちまった場合でも春日はエイちゃんをヘラヘラ許すんか…?」みたいな春日への感情移入すら妨げてしまう点でもプラスには作用するまい。
 何か意図があって変な描写をせざるを得ないというのは物語の宿痾でもあるが、本シーンに限っては、どのような意図があってもマイナスにしか作用しないと言わざるを得ないだろう。

最終章で何が起こっていたのか?

 あらゆる不満点がここで噴出したといえる。その一方で、物語を動かそうとする勢い感は十分にあったので、ふつうにプレイする分にはあまり気にならなかったのはその通り。じゃあ何が問題なのかというと、エンディングを迎えて、スタッフロールが流れて、コントローラーを置いた瞬間にふと思い出す残尿感みたいなものだろうか。

 ホームレスのねぐらに集結するというところから始まり、明かされる最初のデートの駄目だし(絆ドラマをやりこんでいればすでにわかっていることで、サボった人用)、花輪のダイイングメッセージ、そして雑にボロボロにされる沢城(吹いた)。

 で、大道寺一派の力でハワイに春日たちはとんぼ返りして、なんやかんやでネレ島に上陸し、モンスターと強さの種明かしもなかった種無しブライスをボコボコにして終わり…。

 いや、ヤクザたちはどうなったんよ?ウォントーの息子とかポッと思い出したように救出してんじゃないよ。そもそも、パレカナはハワイの宗教団体であって、その構成員全員がブライスの指導した闇方面にコミットしているわけではない。しかし雲霞のごとくブライスの私兵があふれてくる…。いくらなんでも、組織の規模大きすぎるよ。

 そしてまたいきなり場面は切り替わり、桐生編へ…。

 ん?ちょ待てよ?ハワイにいくだけで8時間ぐらいかかるし、ネレ島に乗り込んでブライスに決着をつけるのにどう考えても半日かかることを考えると、もう約束の時間じゃん!なに今からのんきに自由行動とってんだよ!このあたりが雑すぎるのよな。簡単な話で、先に桐生達の自由行動フェイズにしておいて、「よし、行くか」のタイミングで例の配信を流せば違和感がない。

 で、いつものようにミレニアムタワーを上り、いつものようにやくざと戦い、いつものようにヘリを落とし、いつものように最上階でラスボスと戦っておしまい。
 設定としては、ラスボスは春日の異母兄弟であり、ヤクザによって人生をめちゃくちゃにされた存在であり、ヤクザ全体に対する恨みパワーを持っているはずである。しかし現実にはどれほど恨みを抱えていようと、それが肉体的な強さの裏付にはならない。端的に言えば、いかに全盛期を過ぎているとはいえ桐生に加え、4人(いずれも死線を潜り抜けてきた猛者)を相手に引けを取らないというのは強すぎはしないか問題である。
 
 この「なぜ強いのか語られない問題」はブライスも同様で、さんざん大物扱いされており、彼自身は何年も前から老人であり、ピストル暴発の経緯やドワイトの遺言からも、およそ常人ではないように描かれていたが、実態はただのマフィア崩れでした、以上の情報は開示されない。バトルにおいても、仲間呼びと後列からの遠距離攻撃が得意な他は、HPが高くて武器の扱いが巧み程度という、いたって普通のボスである。

 あのさぁ…。龍が如く6とおんなじやん…。

 もちろん描きたかったことはわかる。確かに極道は解散した。しかし、極道が解散したとして、それまでの極道に関するもろもろが全部自動的に精算されるわけではない。解散するに至るまで積み重ねた恨みつらみは消えるものではないし、かつてやくざたった人物はその後を生きなければならない。前者については、桐生のように身を挺してでも謝罪しなければならないのだろうし、後者については春日のように一歩一歩前に進むしかない…ということを描きたかったのだろう…と推測はされる。
 ただまあ、桐生が泣いて謝って終わりというのはどうもすっきりしない。それは結局、謝って自分がすっきりしたいという謝る側のエゴでしかないんじゃないのとも思う(そしてそういうエゴを暴力で無力化した相手に押し通すというのは実にやくざらしいと思う)。

 ちなみに、春日とエイちゃんのラストについてはどう考えても時系列が一致しないので、あれは一種のイメージ映像だと思うことにしている。逆に言うと、積み重ねであの結末に至ったというよりも、まずあの映像が先にあって、そこに至るように物語を作っていったよねという印象しかない。
 前作では命を救えなかったが、今回は救えたという構図が、製作初期に閃いてしまったんだなあと思う。

どうすればよかったのかなあ

本作の問題点を指摘するのは難しい

 上に挙げた通り、本作で不満や変に思うところは多い。しかし、これをこう直せばよいと指摘することは意外と難しい。
 というのは、そこだけ改善すれば問題ないというような作品ではないため、そこを変に変えると、別の場所でひずみを生むことが目に見えているからである。そのため、個別の指摘というより、ふんわりとした言いがかりのようにならざるを得ない。

ボリュームに無理がある

 そのうえであえて問題を指摘するなら、1本のゲームにつぎ込むことができる許容量を、本作品が超えているという点であろう。

 たとえばであるが、本作はハワイと横浜を舞台にしている。これは確かにボリューム満点だったのだが、結果としては物語の焦点がぼやけ、無理に両舞台を結び付けようとしたにもみえ、シナジーは生まれなかった。

 この点は「蒼天堀」とははっきり違うと言わざるを得ない。東京と大阪は3時間もあれば移動可能であるし、何より地続きだ。こっちで起こったことが、あっちに影響があるという話の展開がしやすい。
 一方で、ハワイと横浜は遠い。ゲームの都合を除けばもともと接点があるわけではなさそうだし、海の向こうで起こったことが影響を与えているんですよと言われても、正直ピンとこない。単純に、フィールドが二つあるというだけにとどまり、物語に奥行きを与えるというような効果をもたらさなかったと言える。

 主人公についてもそうで、桐生一馬は前作で表舞台を降りたはずであるが、なんやかんやで本作では主人公に返り咲いている。だったら龍が如く6は何だったんだ?という話にならざるを得ない。しかもきれいに終わらせた話をもう一度広げたところで新しい何かを継ぎ足せるわけでもないから、結局のところ細かい話をネチネチと続けるという方向にならざるを得ない。それくらいなら、春日の話にきちんと時間と描写を割いて書いてほしかった。

 この批評自体も相当ボリューミーになってしまったのでそろそろ終えるが、要するに批評がだらだら続けば的を得るようになるわけではないのと同様に、良い素材をふんだんに使えば、それで楽しいゲームになるわけではないということなのだろう。

 

 


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