インターネットの時代に暗記科目が不要だと感じる理由
先日、インターネットで「暗記科目が意味を持たない」と主張する意見が紹介されているサイト(https://ayacnews2nd.com/archives/26830594.html)を読んだ。この主張は現代の技術の発展に基づいているが、私はこれが非常に狭い視点に基づいていると感じた。
暗記科目がインターネット時代において不要だと考える人は多い。それは、インターネットを使えば必要な情報を瞬時に調べることができ、暗記する必要がないと思うからである。しかし、この考え方には重大な誤解がある。暗記が不要だと感じるのは、あくまで自分がその知識を使う機会を持っていないからに過ぎず、それを不要と断定するのは、他の世界や可能性を無視していることに他ならない。
例えば、日本史や数学、科学といった科目の知識は、一見すると日常生活に直接関係がないように思えるかもしれない。だが、それらの知識が基盤となり、新しい物事を理解する力や応用する力が養われることを忘れてはならない。歴史を学ぶことで、過去の出来事がどのように現在に影響を与え、社会が形成されてきたのかを理解する助けとなる。歴史の知識がなければ、今の社会の仕組みや文化を深く理解することは難しくなる。
また、暗記した知識は、他の知識と関連付けて考える力を育てる。その場でインターネットを使って情報を調べることは可能であっても、それらの情報をつなげ、全体として理解するためには、事前に蓄積された基礎知識が必要である。例えば、企業の経営者が歴史的なリーダーシップや戦略をビジネスに応用することがあるように、知識はそれを適切な文脈で結びつけることで初めて価値を生むのだ。
暗記が不要だと考える人は、自分の知識が役立たない状況にいるため、知識の価値を正しく評価できていない。だが、もし別の職業に就くことになったり、異なる社会的な立場に立ったりしたとき、その知識が重要な意味を持つことがある。そのため、暗記科目が意味を持たないという主張は、今の自分の視点だけに基づいたものであり、他の視点や未来の可能性を見落としているのだ。
インターネットが発展し、情報が容易に得られる時代においても、暗記は重要である。それは、知識の基盤を持っていることが、将来の選択肢を広げるからだ。インターネットで情報を検索することは、その知識を利用する一つの方法でしかないが、何を調べ、どの情報を信頼するべきか、どのように使うべきかを判断するには、あらかじめ持っている知識が必要となる。暗記はそのための力を育てるものであり、今は役に立たないと感じるものであっても、将来的に価値を発揮することがある。
結局のところ、暗記科目が不要であると考えるのは、自分がその知識を今の生活で使う機会がないからである。しかし、未来の生活やキャリアの中で、その知識がどのような形で価値を持つかは分からない。私たちは、他の可能性を排除することなく、自らの選択肢を広げるために、知識を蓄積する努力を怠らないことが大切である。暗記はそのための一つの手段であり、インターネットが存在する時代においても、その意義は失われることはないのだ。
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