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ビジュアル量子哲学:死の見える化


前回の投稿では、自然と意識の関係性をビジュアル化しました。自然をばらばらなドット、意識を秩序だった円で表現しました。

下のイラストの右側は前回表現した意識で、私の意識とします。左側は赤の他人の意識を表しています。

世界に2つの意識があるとき、対話がはじまります。対話するとは、私が意図することを相手に伝え、相手はそれを理解し、意図することを私に伝えます。相手と私が共通に理解することで対話が成り立ちます。それを2つの意識の間の線で表したのが下のイラストです。



それぞれの線は、両者にとっての共通の記憶です。お互いの容姿を認識し、言葉を交わし、交流し、思い出を作ります。親子、夫婦、恋人、友人、同僚、どんな関係でも膨大な記憶を相互に持ちます。

それがどんどん発展していきます。


年月を重ねるにつれて、どんどん発展します。



こうして2つの意識の間には、膨大な記憶が残ります。この意識と意識の対話を通じて紡ぎ出された線は、私が以前述べた意味空間と同義だと考えています。
意味というのは、お互いに共通理解がないと成り立ちません。お互いが”友人”、”趣味”、”喧嘩”などあらゆる言葉の意味を正確に理解していないと意味は通じず、対話は成り立ちません。
上のイラストのそれぞれの線がある言葉の意味を表しているとすると、その意味は人類共通なので、全人類も同様の形の意味を、自らの記憶の中に保持していることが必要になります。
そうだとすると、上のイラストのような線は、全人類が共通に記憶しているということになります。

やがて、ひとの意識には寿命が訪れ、もう対話ができなくなります。
その段階になると、そのひとの意識があった場所は空虚になりますが、その周辺の線は残ります。

この線は全人類が共通して記憶しているので、未来に渡って永遠にこの線は残ります。
ということは、この人の意識が存在していた空虚な部分も、永遠に残り続けることになります。

つまり、このひとの意識は失われても、その人が人々との対話を通じて紡ぎ出した意味空間の足跡は、永遠に残り続けることになります。

こんなイメージが、あるひとが亡くなった時、私の眼の前に現れました。

そしていつかは私の意識の活動はとまり、私の意識の場所も空虚になります。


しかし相手と私の意識が残した人類共通の意味空間における足跡は、このように美しい構造として永遠に残り続けます。

私という存在は、下のイラストでの右側の丸であり、また同じく、上のイラストでの右側の丸い空白でもある。

般若心経における色即是空空即是色、と同じ考え方ですね。

また華厳経における相即相入とも同じような世の中の見方です。


これが人の人生だとすると、他人と対話することの重要性が理解できます。対話なくして意味空間を創造できません、対話なくして自らの痕跡を残せません。

このように意味空間に自分の足跡を大きく残すことが意識あるもの全ての願いだとすると、人がなにかを創造し、人を感動させたいと思う本能を持つことも理解できます。



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