ビジュアル量子哲学:意識の壁を無くせば全てがスキになる Quantum Philosophy
過去述べてきたことをビジュアル化します。
まず、意識は記憶しているものを見たとき親近感を抱き、初見のものには嫌悪感を抱きます。
電車に乗っているとき、周囲の知らない人々の顔かたちを見てどんな印象を持ちますか。好きか嫌いかの二択であれば、なんとなく嫌な感じがするのではないでしょうか。
その人々のなかで友人を見つけた時はどんな感じがしますか。ぱっと嬉しくなりますよね。
他人の顔を見たときと、友人を見たときと、同じ人の顔なのに、どうしてこんなに印象が違うのでしょうか。
知らないポップミュージックが流れているとき、最初はどんな気持ちですか。心地よいか不快かの二択なら、なんとなく不快ではないですか。
次に聞いたことのある曲が流れたら、どんな気持ちになりますか。急に嬉しくなりませんか。
私は、このメカニズムをこう考えました。
意識は、記憶しているものを見たときに嬉しくなり、知らないものを見たときには嫌な気持ちになる。
それをビジュアル化しました。
まず知人を見たとき。左から、知人の顔、私が記憶している知人の顔、私の意識です。
知人の顔は、私の意識に記憶の型があるので、すんなり意識のなかに受け入れられます。自分の中に受け入れることは一体化することで、親近感を感じます。
次のイラストは、他人を見たとき。記憶がないので私の意識は受け入れることができません。違和感を感じます。拒絶し、嫌悪感を感じます。
前者は喜び、後者は不快ですね。
日々人生を送る中で、前者を増やし、後者を減らすにはどうすればよいでしょうか。
見るもの全てが受け入れられ、親近感を抱くことができれば、どんなに幸せでしょう。
意識の壁に、全ての人類の顔を記憶させれば、どんな人も受け入れられるのでしょうが、知らない人の顔を記憶することは論理的に破綻しています。
どうすれば全てのものを意識の壁を通すことができるのでしょうか。
私の解決策は、意識の壁をなくすことです。
意識とは、その名の通り、自らの意志でどのようにでも考えることができます。
自分は世界と一体であり、意識の壁などないと理解すれば、意識の壁を意識しなくなることは可能でしょう。
それがこの状態です笑
見るもの全てを受け入れられ、全てを好きになる意識の状態、これが究極的な幸せの状態なのかな、と考えています。