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ビジュアル量子哲学:寿司が美味しいのではなく、脳内回路が発展するから美味しく感じる

寿司、美味しいですよね。日本人が発明した、刺し身を最も美味しく食べる方法だと思います。
ではネタのマグロだけ食べたらどうでしょうか。美味しく感じませんね。
醤油だけ食べたらどうでしょう。わさびだけ食べたらどうでしょう。美味しくないですね。

しかし、体にとっては、一緒に食べるのと、別々に食べるのとは大した差はないはずです。

ということは、一緒に食べると美味しく感じ、別々に食べると不味く感じるのは、意識にとって意味があるからということになります。

それは何でしょうか?

私はこう考えます。

食べるとき、味覚は舌から脳まで信号として伝わります。信号は脳内の神経ネットワークを流れます。

意識としては、長く存在するためには脳内の神経ネットワーク(以降は脳内回路と呼びます)を複雑化、巨大化したいと願うはずです。

とすると、寿司を別々に食べるときよりも、一緒に食べたときのほうが、脳内回路が発展するのではないでしょうか。

たとえばネタだけを食べるときのイメージはこちら。

刺し身だけ、醤油つけずに食べると生臭く感じて美味しくないですよね。これは、美味しくないのではなく、刺し身だけ食べているときの脳内回路のルートはバランスが悪く、意識にとって望ましくないからではないか。

醤油だけ食べても同じです。

もちろん、わさびだけ食べても同じです。

全てを一緒に食べるときのイメージはこちら笑。



冗談みたいですが、本気です。

美味しいから美味しく感じるのではなく、脳内回路が発展するような食べ物が、美味しく感じるのではないか。

常識とは因果関係が逆です。

プラトンは、真、善、美という絶対的なものをイデアと名付け、それらがどこかに超越的に存在していると考えていました。

逆です。

イデアが絶対的に存在するのではなく、脳内回路を発展させるものが美となる。

これは、味覚以外の視覚、聴覚も同じだと思います。

黄金比が美しいのは、絶対的な美しさがあるのではなく、黄金比を見ているときの視覚信号が通る脳内回路が、脳を発展させる幾何学的に堅牢な形状であるから。

和音が心地よいのは、絶対的な心地よい音があるのではなく、和音を聴いているときの聴覚信号が通る脳内回路が、脳を発展させる幾何学的に堅牢な形状であるから。

因果関係を逆に考えるというのは、勇気がいります。

しかし、意識や量子力学では常識が通用しない実験結果が多く、謎を解明するためには大幅な発想の転換が必要な気がします。



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