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ビジュアル量子哲学:寿司が美味しいのではなく、脳内回路が発展するから美味しく感じる
寿司、美味しいですよね。日本人が発明した、刺し身を最も美味しく食べる方法だと思います。
ではネタのマグロだけ食べたらどうでしょうか。美味しく感じませんね。
醤油だけ食べたらどうでしょう。わさびだけ食べたらどうでしょう。美味しくないですね。
しかし、体にとっては、一緒に食べるのと、別々に食べるのとは大した差はないはずです。
ということは、一緒に食べると美味しく感じ、別々に食べると不味く感じるのは、意識にとって意味があるからということになります。
それは何でしょうか?
私はこう考えます。
食べるとき、味覚は舌から脳まで信号として伝わります。信号は脳内の神経ネットワークを流れます。
意識としては、長く存在するためには脳内の神経ネットワーク(以降は脳内回路と呼びます)を複雑化、巨大化したいと願うはずです。
とすると、寿司を別々に食べるときよりも、一緒に食べたときのほうが、脳内回路が発展するのではないでしょうか。
たとえばネタだけを食べるときのイメージはこちら。
![](https://assets.st-note.com/img/1733631905-gwGO2qTtyBSubiI3A4JFomHl.jpg?width=1200)
刺し身だけ、醤油つけずに食べると生臭く感じて美味しくないですよね。これは、美味しくないのではなく、刺し身だけ食べているときの脳内回路のルートはバランスが悪く、意識にとって望ましくないからではないか。
醤油だけ食べても同じです。
![](https://assets.st-note.com/img/1733631929-pw5hSubj6ODeIMvPZi3mL9xV.jpg?width=1200)
もちろん、わさびだけ食べても同じです。
![](https://assets.st-note.com/img/1733631958-feH8x2w7kMo5Z4bJrBCjGSKI.jpg?width=1200)
全てを一緒に食べるときのイメージはこちら笑。
![](https://assets.st-note.com/img/1733631975-oAbw4fH8pIgTEcdO2Fs1qhWM.jpg?width=1200)
冗談みたいですが、本気です。
美味しいから美味しく感じるのではなく、脳内回路が発展するような食べ物が、美味しく感じるのではないか。
常識とは因果関係が逆です。
プラトンは、真、善、美という絶対的なものをイデアと名付け、それらがどこかに超越的に存在していると考えていました。
逆です。
イデアが絶対的に存在するのではなく、脳内回路を発展させるものが美となる。
これは、味覚以外の視覚、聴覚も同じだと思います。
黄金比が美しいのは、絶対的な美しさがあるのではなく、黄金比を見ているときの視覚信号が通る脳内回路が、脳を発展させる幾何学的に堅牢な形状であるから。
和音が心地よいのは、絶対的な心地よい音があるのではなく、和音を聴いているときの聴覚信号が通る脳内回路が、脳を発展させる幾何学的に堅牢な形状であるから。
因果関係を逆に考えるというのは、勇気がいります。
しかし、意識や量子力学では常識が通用しない実験結果が多く、謎を解明するためには大幅な発想の転換が必要な気がします。