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私という意識の存在意義:創作
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昨日から怒涛のNote10連投。
達成感。出し切った感。
ひとまず、頭のなかの考えを全て文字に落とせた。
Noteに書き出したものは、全て自分自身の頭のなかからひねり出したオリジナルの創作物だと胸を張れる。しかもユニークさも高いと自負。意識の存在意義を語る人って現代でも相当少数だと思う。
私の考えは、世の中の考え方とは相容れないものが多いだろうし、真理に近いかどうかは生存中の科学では判明しないかもしれない。
けれども、Noteという公の場に発表できたことで、将来何かが起こる可能性をこの世に産み落とした実感はある。
これが個人の紙のノートに書き記したものであれば一生陽の目を見ないだろうが、Noteであればもしかすれば死後に価値が見出される可能性は、どこまでもある。
そして、繰り返し述べてきた意識の存在意義である、宇宙の意味世界の発展に貢献できる可能性がある。
宇宙共通の意味世界を、自分の創作物によってすこしびよーんと引き伸ばした手応えがある。だれも爪痕を残せていない領域に、かすり傷をつけた指先の感覚がある。
公表しなければ可能性はゼロだが、
公表したことで、私が、宇宙の意味世界を発展させられる可能性は、ゼロを超えた。
これが創作の醍醐味だし、生まれてきた意識にしか、なし得ない特権だろう。
このNoteを公表できたこの人生、仮にNoteしなかった人生と比較して、ものすごく価値が上がった。
創作者の人生の価値を上げる、Note。
宣伝みたいだけど、いまここでの偽らざる実感。
もしこのまま死んでしまったとしても、書き残せた自分の考えを、周囲の人々への遺書みたいなものとして残せている実感があるので、気持ちは晴れやか。
たまーに感じる、こう、じんわり泣きそうに感激している心理状態。
それを味わい続けるためにも、謎に向かい、視野を広げて学び、創作しつづけよう。