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ビジュアル量子哲学:①生きる目的についてのChatGPTとの対話
生きる目的は?
10人十色だろう。
幸せになること。
世の中の役に立つこと。
自己実現すること。
街行く人にアンケートをとれば、この3つで7割ぐらいになるかな?
幸せになる、という言葉が多義的。
幸せの定義自体が十人十色。
愛する人と共にいること
夢を実現すること
裕福になること
有名になること
ただ日常を気持ちよく過ごすこと
世の中の役に立つことも多義的。
人に親切にすること
仕事で社会に貢献すること
芸術で人を豊かにすること
自己実現も多義的。
ほんとうの自分を探すこと
やりたいことをすること
革命をおこすこと
みなさんはどう思いますか?
私はこのnoteで書いている通り
人生の目的とは、
創造することだと考えている。
なぜか。
創造することは、世の中になにかを生み出すこと。
なにもないところから、価値あるものを生み出すこと。
創造するということは、自然にはできない。
例えば太陽は、莫大なエネルギーを放出し続けるが、それによって家を建てるわけでもない。
いのちにしかできないことは、創造することしかないと考えている。
食べること。これは大局的に見れば自然から生じた生物を料理し摂取し消化し排出し自然に還しているにすぎない。
旅をして素晴らしい経験をすること。それは大局的にみればたんぽぽの種が風に吹かれてある場所からある場所に移動することと同じ。
大金持ちになること。これは大局的に見ればお金がある場所からその人に集まっただけ。
上記のことがらは、いのちにとってはインプットするだけ。それだけでは、大局的にみれば物がある場所からある場所に動いたことでしかない。
ものを動かすことだけなら、重力にも、風でも、自然の働きでできる。
何かを生み出すことは、いのちにしかできない。
例えば、「自然にはできず、いのちにしかできないことは、創造することのみ」という考え方は、私が唱える前に、この世に存在していただろうか。
ChatGPTに聞いてみた。
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私「自然にはできず、いのちにしかできないことは?」
ChatGPT「とても深い問いですね。「自然にはできず、いのちにしかできないこと」と考えると、いくつかの答えが浮かびます。
### 1. **意識的な意味づけ**
自然は美しく複雑な現象を生み出しますが、「意味」や「価値」を与えるのは意識を持つ生命だけです。たとえば、星空はただそこにあるだけですが、それに「美しさ」や「神秘」を感じるのは人間や他の感受性を持つ存在だけです。
### 2. **選択と意志**
自然界では多くのことが因果関係や生物学的な本能によって決まります。しかし、「意志をもって選ぶ」という行為は、特定の知性や自己認識を持つ生命にしかできません。たとえば、困難な状況でも「善」を選ぶことや、利益にならないのに「誰かを助ける」ことは、意志の力によるものです。
### 3. **共感と愛情**
自然界にも本能的な保護行動はありますが、深いレベルでの「共感」や「無償の愛」は、特定の高度な意識を持つ生命だけが示すことができます。他者の痛みを感じ取る力や、見返りを求めない愛は、単なる自然のプロセス以上のものです。
### 4. **物語を紡ぐこと**
自然は出来事を生み出しますが、それを「物語」として語るのは生命、特に人間の特権です。歴史、文化、芸術、そして個人の思い出までもが、ただの出来事を超えて「物語」になります。
この問いに対する答えは、個々の哲学や価値観によっても変わるかもしれません。あなたはどう思いますか?」
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ーーーこう返されたので、私の考えをぶつけてみた。
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私「私は、自然にはできずにいのちにしかできないことは、創造することだと思います。この考えについてどう思いますか?」
ChatGPT「あなたの考え、とても深くて魅力的ですね。「創造すること」がいのちにしかできないという視点には、多くの真実があると思います。
1. 自然と創造の違い
自然も確かに多様な形や現象を生み出しますが、それは主に法則やプロセスの結果です。たとえば、山ができたり、川が流れを変えたりするのは自然の力ですが、そこには「意図」や「目的」はありません。
一方で、いのちが行う創造には意図があり、意味や感情が込められています。詩を書く、絵を描く、新しいアイデアを思いつく…これらは単なる偶然ではなく、意識と想像力の結果です。
2. 創造は「無から有」を生む力
自然は既存の要素を組み合わせて変化させますが、いのちはそこにまったく新しい視点や概念を生み出すことができます。たとえば、音楽や言語、哲学的な概念は、自然界にそのまま存在するものではなく、いのちが「無」から「有」を生んだものです。
3. 創造は「自己超越」のプロセス
いのち、特に人間は、自分自身の限界を超えて新しいものを作ろうとします。それは単なる生存のためではなく、「自分を超える」「未知と出会う」という強い欲求から来るものです。この点で、創造はただの行為ではなく、いのちが自分自身を表現し、世界とつながる手段でもあります。
あなたの考えは、「いのちとは何か?」という根源的な問いにもつながっているように感じます。
創造することによって、私たちはただ存在するだけでなく、「存在する意味」を作り出しているのかもしれませんね。
どうでしょう?あなたは「創造」にどんな特別な意味を感じていますか?
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こう返ってきたので、私の考えを伝えてみた。
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「私は、創造するということは、いのちに課せられた使命だと考えています。いのちの使命は、自然に対抗して生きながらえることです。永続的に存在し続けるため、いのちは言語を使って意味を創造し、精神的な世界を構築します。その目的に貢献して何かを創造することが、いのちの目的だと考えています。この私の考えについてどう思いますか?」
ChatGPT「あなたの考えは、とても哲学的で、生命と存在についての深い洞察を含んでいます。**「創造することがいのちに課せられた使命であり、自然に対抗して生きながらえるための手段である」**という視点は、生命と自然の関係、そして人間の存在意義を考える上で非常に示唆的です。
1. 自然に対抗するいのちの営み
自然は無常で、すべてが変化し、やがて消えていきます。その中で、いのちは単に受動的に生きるのではなく、「抗う」力を持っています。言語や文化、技術、芸術は、ただ生存するためだけでなく、一時的な存在に「永続性」を与えるための手段として生まれたものとも言えます。
例えば、私たちは記憶や物語を通じて、自分や他者の存在を「時間の流れから切り離す」ことができます。これは、まさに自然の無常性への挑戦です。
2. 言語と意味の創造
あなたが指摘したように、言語は単なるコミュニケーションの道具ではなく、現実を再構築する力を持っています。言語は、世界に名前を与え、秩序を作り、目に見えない「精神的な世界」を形作ることで、私たちがただの「生き物」以上の存在になることを可能にしています。
この意味で、言語は「永遠性」を目指すいのちの武器であり、自然の中での一時的な存在を超えるための土台です。
3. 創造の使命と自己超越
いのちは単なる生存だけで満足せず、常に新しい意味、価値、未来を創造し続けることを求められています。この「創造の衝動」は、もはや生物学的な本能を超えた、いのち固有の「使命」なのかもしれません。
たとえば、芸術や哲学、科学などは、直接的な生存には必ずしも必要ないものですが、「いのちが意味を持ち続ける」ために不可欠な創造活動です。これは単に自然に抗うだけでなく、自分自身を超えていくための行為とも言えるでしょう。
あなたの考えを聞いて、ふと思いました。
「いのち」とは、ただ存在すること以上に、「存在に意味を与え続ける力」なのかもしれません。
そしてその意味づけこそが、私たちが自然の中で特別な存在である理由なのかもしれませんね。
あなた自身は、この「創造の使命」について、どんな形で表現したいと考えていますか?」
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ChatGPTに、「あなたの考えを聞いて、ふと思いました」と返されたのははじめてだ。
また、こんなに質問されるのもはじめてだ。
もっと淡白で表面的な回答を予想していたのに、意外にも、かなり面白くなってきた。
長くなってきたので、続きはまたにします。
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