エレベーター
この文章を病院で綴っている。今日は甲状腺数値の検査日だ。採血をして検査結果が出るまで約一時間半。その間、広い待合室で名前を呼ばれるのを待っている。この病院への通院は今日で最後かも知れない。今年の4月から他病院と合併するので、次回からは他病院に通院することになる。そんな関係もあるのか、今日の待合室はガラガラだ。そうかといって診察室に早く呼ばれる訳もなく、端っこの椅子で、缶コーヒーを飲みながら、この文筆を綴っているという訳だ。
病院内のあちらこちらに移転の看板。最後に食堂で蕎麦でも食べようかと思ったが、食堂も売店も閉店して願い叶わず。別に思い入れも思い出もないが、お世話になった病院、なんだか少しだけ寂しい気分。採血してくれた看護婦さんも、今日はいつもより口調が優しかったような。採血室の雑談も少なく、みんな寂しそうな感じがした。病院嫌いの僕だったが、そんな気持ちが芽生えるとは驚きだ。
工事業者なのか腰袋を下げた作業員が、忙しそうにエレベーターや階段で、行ったり来たりしている。そんな中、妊婦さんと親族らしい人がエレベーター前に並んだ。これから出産のためなのか、または何かしらの検査なのか。小旅行くらいの荷物を持っている。まだ三才くらいの男の子が、このあと面倒を見てもらうのであろう、付き添いのおばさんらしき人とお母さんと話をしている。『すぐに帰ってくるよ。』優しい声で男の子に話かけるお母さん。『うん...』と男の子。『バイバイ』とエレベーターに乗り込む妊婦のお母さん。お母さんは笑顔、男の子は背中を向けていたので表情は分からない。ゆっくりとエレベーターのドアが閉まった。
エレベーターのドアが閉まった瞬間、『わぁーお母さん、お母さん...』と泣き始める男の子。それをなだめるおばさん。ずっとお母さんと離れる寂しさを我慢していたのであろう。人目も気にすることなく泣き叫ぶ。見かねたおばさんが抱っこするが、腕の中で大暴れ、着けていたマスクも放り投げる。『すぐ来るよ、すぐに来るから...』おばさんの優しい言葉の甲斐もなく、泣き続ける男の子。今生の別れのようだ。結局、あまりにも泣き叫ぶので、病院内から強制退場していった。
この病院が何年前から開業しているのかは分からないが、このエレベーター前で、どれだけの別れがあったのだろうと考える。別れもあっただろうし、再会もあったであろう。笑ったり泣いたり、男の子のように泣き叫んだり。そう考えると、なんだか感慨深い。
こうしてる今もエレベーター前にはパーテーションが立てられ、目隠しされた状態で入院患者さんの引っ越しが行われている。ストレッチャーや車椅子で患者さんが降りて来る度に、看護婦さんと患者さんと家族の人達が、ワイワイと会話を交わしている。そこに別れの寂しさなど感じられない、新しい門出のような、おめでたさすら感じる笑い声も。
色んな人達を乗せ、何度も上がったり下ったり。沢山の人達を運んで来たエレベーターも、そろそろ役目を終えるのだろう。物言わぬエレベーター、ドアが開く度に『いってらっしゃい、頑張って!』と言ってるように僕には見えた。たくさんの人達の思いや、想い出や、人生を乗せてきたエレベーター。たくさんの出会いや、別れや、再会に立ち会ってきたエレベーター。
僕は『お疲れ様。』と心の中から声をかけた。
『藤田さん、藤田さん、5番の診察室にお入りください。』やっと僕の順番だ。
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