テキストが浮かんでこないということは
生活が何にも彩られていないことなんじゃないかと、今日ふと思ってしまいました。
オードリー若林さんも、エッセイの連載を一度休載するときの理由を「単に思い浮かばなくなった」と言っていて、さらに休載直前のエッセイは書くのに相当時間がかかっていたみたいです。完全に今の僕、休載前夜って感じです。まだnoteはじめて1カ月ちょっとなんですけど。何書こうかで30分は浪費しちゃってました。
なので、うーんってなって、今回は書けないことを書こうと思いました。絞りだしてるぅ~
最近の話をすると、僕はアクティブな方でありながら、シェアオフィスを土日借りていて、とりあえず顔を出していることもあり、なんとなく腰が重くなってしまっています。一日中外に出てる日とかは、ないかもな。
だいたいのアクティビティはバンドのライブ(明日も行ってくる)か、ちょっとふらっと建物を見に行くくらい(それは引っ越してから1度しかしていない)です。
ただ、夏休みには北京に行ってきます。これは楽しみ。来月になったら宿予約しなきゃ。
とはいえ、何かが足りていないような気がしていて。自分の生活に。ちょっと考えてみたんですけど、すぐ分かりました。友達がいないんですね。遊びのパートナーと言い換えてもいいです。
本当は今日、六本木アートナイトにめちゃめちゃ行こうとしてたんですけど、≪ひとり≫であることからちょっと引けてしまいました。いや、ひとりでも全然平気な人間なんですけど、結局最後には足が止まってしまいました。ちょっと六本木と、アートナイトという単語に対して怖気づきましたね。陰キャなので。
ちょっと最近、ひとりに慣れすぎてしまって、というかできることを大抵やりつくしてしまって、ひとりでは十分に楽しむことのできないアクティビティにかなりあこがれを持っちゃってます。やっぱり世の中には、ひとりでやるより楽しめることが、ある。もちろん逆もある。
夜の繁華街とか、遊園地とか、体験型の展示イベントとか(これが結構ひとりだときつい)、ライブとかも最近は誰かと行きたいと考えるようになりました。旅行は、依然としてひとりで行きたいですけど、これもきっと時間の問題ですね。
あ、でも、ギリシャ旅行の時、サントリーニ島には行けませんでしたね。理由は、なんか分かりませんか?たぶん六本木アートナイトに行けなかった理由と同じような気がします。
それで誰と行くのが良いか、という話になるんですけど、これが少なくとも小中高大のなかで探しても見当たらないんですよね。断片的にはいるんですけど、たとえば美術館とかアートイベント、ライブに行ける友達がいないです。致命的!
いや、結局どういう話になるかというと、彼女が欲しくなった、という話です。途中に書いた遊びのパートナーってなんだよって話ですよね。彼女だ。それは。1000字もかけて書く必要あったのか。この話。
テキストが浮かんでこないのは、彼女がいないからです。たぶん。
僕だってイルミネーションの写真に短いポエムを添えたくなる時がある。これは、嘘ですけど。