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参加できなかった「みどりがみどりについて語る会」に寄せて


みどりさんのこと

その方のことは存じ上げていた。みどり色をこよなく愛し、こだわり、身につけ、自分の色とされている方。

お会いした瞬間に、即座に「みどりさんだ」という感動をもたらす方。

私とみどりさんのあいだに、交流はほとんどない。私の方から一方的に知るだけの関係である。私のことを認知されているかどうかもあやしい。(※)

そのため、今から書き記すことは、一方的なラブレターみたいなものであるし、我ながら、若干(?)いや、だいぶ?気持ち悪いんじゃないかなと、思うが、みどりさんをきっかけに考えた色のことについて、書き記しておきたく、どうにか許していただけたら幸いである。

(自分にとっての「色語り」なので、それだけを抽出して書くこともできるのだが、考えが深まったのはみどりを探求するみどりさんという存在や会に参加したJJGの言葉があったからこそだし、それをさも自分だけで到達した考えであるかのように書くのは抵抗がある)。

(※)このnoteを書きかけている最中に、「これ、やっぱり、勝手に公開するのはな〜なんせ会に参加していないからな…」と思い、お名前を出している以上書き上がってからみどりさんだけにコンタクトをとって許可を取るべきでは、と思っていた。が、途中若干盛り上がってしまい、つい、Twitter(現:X)にて、このnoteを書いていることをつぶやいてしまった。@は飛ばさなかったけれど、私の方から
ちらりとした目配せ、匂わせがあったことは否めない。なんていやらしい!
その後、みどりさんからコンタクトがあり、「note楽しみにしています」というお言葉をいただいて、書き進めている。

私と、色と、それを見る目と自信について

9月の3連休初日。みどりさんによる「みどりがみどりについて語る会」が開催されていた。
私は参加しなかったのだが、レポートの内容を見れば、参加された方がどれだけ楽しみ、有意義であったかは容易に理解できた。会で配布されたのであろう自身で作られたスタイルブックを有料で公開してくれていたので、即購入。緑色の多彩さ、複雑さと、それを自身の身体に落とし込む巧みさが詰まった、とても参考になるブックだった。ご自身が意識しているかどうかはともかく、多くの試行錯誤があったことだろう。だからこそ、みんなその話を聞きたかったし、今でも切望されているのだろう。

更には、通称「みどり会」に参加された方による、自身と色との関係やその見え方について考察されているのも見た。

ここ数年、実は、私自身は「色」でちょっと悩んでいた。自分がよく見える色、好きな色、似合っている色、それがふわふわと曖昧で、なんだかちょっと嫌だな、と思っていたのだ。「テーマカラー」を持ちたい。この人といえば、あの色。私の心の中だけでもいい。これは私の色だわ。そんな確信を持てる色が一つあったらいいな、と考えていた。

きっかけは角野栄子さんのエッセイだ。「自分の色、テーマカラーを持つと便利です」(と言うようなことが書いてあった)。自身を表し、迷ったときはその色を選べばいい、といったお話。なるほど!それは便利だな!単純な私はそう思った。今思うと、その短絡さ自体が「色に悩んでいる」感じ…する。
その考え方に興味を持ち、SNSを通じて、「私ってどんな色のイメージですか」と聞いた。

曰く「オレンジ」「赤」「ターコイズブルー」。特にオレンジが多かった。なんとなく、イメージはわかる。明るく、楽しそうな印象なんだろう。

オレンジを頻繁に身につけている方ではなかったと思うので、これは多分性格由来。赤は気がつくと選んでいる色だから、たぶんそれ。会ったことのある人が、身に付けているもののイメージであげたのだろう。ターコイズブルーは完全に変化球だが、意外性のある意見をいただけて面白かった。(ちなみに、当時、ドレスゴードンのショールを買っていて、「緑ということにしたいんですけど……」と呟いている。緑が似合うといって欲しかったと思われる。これもまた、自分で選んだ色が似合っているかどうかわからず、他人に意見を求めていることから、色選びの自身のなさを以下略)。

自分で聞いておいてなんだが「イメージカラー」が出てきたところで、それをテーマカラーにしましょう、と単純には思えなかった。なんせ自信がない。確かに、私ってそういうイメージかも、とは思うのだが、じゃあ自分の容姿にあっているのか、と言われたら途端にあやふやになる。(そもそも、他人に聞いて、テーマカラーを決めよう、ということがあれなんだけれども。つまりは、自分で「これだ」と言い切れるなにかがないのだ)。

しかしそれは、「似合う」「似合わない」がわからない、と言うこととは、少し違う感覚だ。わからないなりに、私の中には「これは似合う」「似合わない」の判断がある。たとえば私は、自分ではベージュや茶色が似合っていないと思っている。場合によってはオレンジもあまり似合っていない気がする。どちらかと言うとパキッとした色の方が似合うんじゃないかと思っているし、白と黒も含めてくすまない色味の方が得意みたいだ。

問題は「その判断自体が正しいのかどうか、その正誤がわからない」ということなのである。自分が身につけた色と自分の関係に対する感情が正しいのかどうか。その判断に自信がない。客観的な視点を身につけられるかと思い、パーソナルカラー診断を受けることも考えたことはあるが(興味としては今も受けたいとは思っているが)、そもそもの問題が、自分を信じられるか否かと言うことだから、そのままになっている。

私が色選びに自信が持てなくなったわけ

自信が持てなくなった理由は、20代の頃に言われた一言にある。それが全てではないが、一端ではある。真っ赤なコートを着ていた私に「そういうの似合うタイプじゃないよ」って笑った人がいたのだ。

赤い派手なコートを着こなせるような容姿ではないよ、と言われたことは明白で、大した付き合いのある人ではなかったため、どういう意図で言ったのかもわからなかった。それを聞く勇気もなかった。

当時、私は「自分は赤が似合うのだ」と思って着用していた。色に恐れはなかった。真っ赤なパンツを履いていたこともあったし、それを「派手だね」「目立つね」とかは言われることはあったが、特に頓着していなかった。派手も目立つも悪口じゃないだろう、そう思っていたから。

以来、私は派手な色を着られなくなった……となるかと思いきや別にそうではなく、明るい色も派手な組み合わせも変わらず着ている。むしろ、ベーシックカラーだけでまとめるのは物足りない、と感じるくらいである(ベーシックカラー&ベーシックな形を選択すると、一気に老けるな〜という自己認識がある)。

色と色の組み合わせへのこだわりがかなり強く、そもそもさまざまな色を身の回りに置くことがかなり好きな方なんだと思われる。いつだって、私の「好き」は「どう見えているか」といった客観視を超える。わかっている。わかっているのだ。放っておいたって、私は好きなものを好きなように身につけている。

でもだからと言って他人の意見がどうでもいいなんてことはない。前述の言葉を発した他人は、他人も他人、今は名前すら覚えていない(でも顔は覚えている)人だが、一度言われてしまったら、その言葉は消えない。消すことができない。似合うと思って纏った服を「最高だ」と思いきれない瞬間は多々訪れる。似合わないってみんな言わないだけじゃないか、と言う疑心暗鬼も。

自分の中で、その折り合いを、未だに、つけられていないのだ。

なので今日は、ただただ、私が好きだと思う色について話そうと思う。(なんとここまでがまさかの長い前置き)。記して、再確認をするために。

色と色を組みあわせて生まれる無限のキラキラと可能性のこと

私はどうも、単色より、色が組み合わされているのが好きなようだ。混ざっている複雑な色合いも好きだが、どちらかといえば、色と色の境目がある程度はっきりしている方を好むみたいだ。ようだ、みたいだ、って、自分のことなんですけど。

これは、まだ夏が始まる前に、mmmジュエリーさんのアトリエにうかがって挑んだ「試着100本ノック」でわかったこと。「試着100本ノック」とは、mmmジュエリーさんのTwistringをずらっと並べて、全部を片っ端からつけて好きなものを選びましょう、選んだらその理由を考えましょう、という試みだ。好きなものとそれを言語化することで、思ってもみない本音や自分の好みの系統に気が付けたりする。

その試着100本ノックで、最終的に選ばれた4本は「一色」ではなかった。セミファイナルでも、完全に単色はなかったはず。(今写真を見ると白いマーブルの線が見えるものばかり)。

もちろん、選んだ理由には石の質感やカット、大きさもあるわけだけど、やっぱり色が大きかったと思う。私は、色の複雑さに「世界」を見ている。そして、あらゆる角度から「世界」切り取ったり、凝縮したものが好きなのだと思う。

思えば、小学校に上がる前、ピンクと水色の組み合わせが大好きだった時代がある。今は、比較的オーソドックスな組み合わせであることを知っているけれど、当時の私は、「世界で一番かわいい色の組み合わせを発見してしまった!」くらいに思っていた。ピンクと水色は魂の双子(キキララの影響と思われる)。薄いグラデーションなら空や空気の色になるし、どちらかが濃いのも良き。パキッと組み合わせれば途端にポップな印象に。何をどうしたって正解だ。

紫と緑も好きな組み合わせである。これは、結構濃いめだったり、少し光っているくらいが好き(仮面ライダーWくらいの色味が好き……)。アイツと俺は宿命のライバル。反目し反発しあっているけれど、いざという時、頼りになるのはアイツだけ…背中を預け合える関係である。

お互いに高め合える、と言えば紺色さんにピンクさんでしょう?この場合のピンクさんは、パキッと青みが入ったもので、互いに影響し合いながら、切磋琢磨し、手を取り合って高みへと登っていく姿が見られます。

カジュアルな幼馴染といえばグレーに黄色。おれがあいつであいつがおれで(意味不明)。そういえば、高校生の頃は同じブランドでグレーと黄色のマフラーをそれぞれ買って、合わせて巻いたりしていました。ちなみに、黄色さんは紫色さんとも仲良し。

刺繍作家であるokadamarikoさんの「マフィンの雨」と言う作品(左奥)
。ピンクと水色、グレーに金糸(黄)、紺にピンクと好きな色の組み合わせが詰まっている。

私の好きな色のこと

実は私、とても緑が好きだ。森や芝生の色が好きなのだ。披露宴の装花でも「使うなら緑だけにしてください。アクセントとして入れるなら黒か焦茶のような茶色。白は絶対に使わないでください」とお願いした。会場を森みたいにしたかったからだ。当時、お花屋さんには「披露宴の装花としてはかなり珍しいオーダーです」と言われたけれど、そんなことないんじゃないかな。もし私にお金が無限にあったら枝物を存分に使って、至る所に張り巡らし、完全な森を再現しようとしただろう。残念ながらお金はなかった。しかし「白を入れない」と言うこだわりを貫くことはできたので、満足している。

アナスタシア(菊)を中心としたグリーンの装花
今見ると、もっと濃いグリーンでも良かったかな、と思わんでもないが、そうしたら会場がちょっと暗くなったかも。「白は入れないでください」の要望は貫けたし、会場にあったいいお花だったと思う。お花屋さんにさんきう。

部屋のカーペットは「芝生のような緑」。これにピンクや赤が目に飛び込んでくるポップな椅子を合わせたら最強では?と思ってこうしている。目には全く優しくない。

パッチワークチェアの上で寝転ぶ犬
ドッ黄緑のカーペットにカラフルな椅子。友情出演の、犬。テーマは芝生

それから、もしも一つ、テーマカラーを決めましょう、って言われたら(誰にも言われていないので、やらなくてもいいんだけど)、私は赤を選ぶだろう。「似合うタイプじゃないよ」って言われた赤だ。好きな色だったからこそ、そして私にとってそれは「私の色」だったから、そんな風に言われて悲しかった。恨みつらみは尽きない。これからも、ことあるごとにその言葉は私を苦しめるかもしれない。もはや、自分の見る目を信用できない理由は、拗らせすぎて、何か一つクリアになればって話でもなくなってる。
でも私、やっぱり、赤が似合っていると思うんだよね。
その気持ちが最大で最強だろう。
私には、赤が、似合っていると、思うんだよね。

みどりさんの緑はとても複雑。そして多彩。見ればその自由と可能性に心が躍るだろう

みどりさんの緑語りに影響を受けて、私は今、これを書いている。書くことは、覚悟である。私には、ちゃんと好きな色があって、それを口にすること。自分のカラーを自分で決めること。好きなら、それはもう私の色でいいってこと。(先着順の
「この色取っぴ」ってわけじゃないんだから)。
好きだッ!と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!!その行動が、私にとっては「書いて、記すこと」であった。

私には、私の赤。私の緑。それは、みどりさんの語りから(ていうかファッションから)、私が受け取っている自由である。

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