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ファッションを楽しむのは体だけの話ではなくて

10代前半から、40代後半となった今に至るまで、私の体重は60kgを下回ったことが、ほぼ、ない。正確に言えば、大学生の頃、ジム通いにはまり、体重計の針が59kgを指したことがあった、と記憶しているが、記憶違いかもしれない。
一瞬でも50kg台の頃があった、と思いたい。そんな私の、願望かもしれません。

もともと、食べるのが大好き。また、比較的、食べることにお金や手間をかける家でもありました。そういう環境で育った私は、子どもの頃からまるまると、そして……鈍臭い印象を人に与える子どもだったようです(そう言われていました)。実際に「鈍臭」かったのでしょう。足なども遅かったですし。当時の覚えているエピソード…お話はしませんが、今、自分が思い起こしてみても「鈍臭い子どもだなあ」と思います(泣きながら思います。だってそれは、鈍臭いの呪いだからです)。

なんだかぼんやりとしている。口がいつも開いている。喋り出せばうるさく、騒がしい。感情の起伏が激しく、ちょっとしたことですぐに泣く。何か気になることがあったら、すぐに意識が逸れて、戻すことができない。頭の中は、いつも何かがグルングルンしている。じっとしていない。人の話を聞いていない。注意力散漫。
「授業中、ぼんやりとして想像の世界に入ってしまうことも多いようです」(当時の通知表より)。それが、子どもの頃の私でした。

実のところ、今でもそうです。年とともに、社会性を身につけ、それなりに
振る舞えるようになったと私は思っていますが、わかりません。なぜなら今でも、定期的に、わかりやすく、集団の中で嫌われるようなことがあるからです。特別な原因が思い当たることはほとんどありません。でも、鈍臭くてイライラさせてる。悪目立ちしてる。善意のアドバイスを総合すると、そういうことになります。

ここからどうファッションに繋がるの?
そう思いますよね。私も思っています。私も、書き始めてみたら、なんだか違う方向に筆が、というかタイピングが進んでしまい、びびっています。私はただ、自分の肉体的コンプレックスについて話したかっただけなのです。

ちょっとだけ、話を戻しますね。(どこに?)
「普通に売っている服が着られない」「袖を通した服がことごとくぱつんぱつん」になったのは、中学生になってからです。流されて入った部活がどうしても肌に合わず、退部。その後、毎日チョコチップクッキーを一箱食べながら富士見ファンタジア文庫やロードス島戦記を読みふける暮らしで、体重計の針はすぐに60kgを超えました。

時は90年代の初め。中学生が買えるお小遣いの範囲で、中学生が着たいと思うような服の中に、私のサイズは、ほとんどありませんでした。ついに、既成服を作ってもらえない体型になってしまった。これは、私の「鈍臭い」という印象に拍車をかけたことだろうと思います。

運動能力が低い、太った子。オタク。真面目で、仕切りたがり。声が高く、キーキーしてる。別に友達がいなかったわけではありません。いじめられていた、という話でもありません。ただ、私という人間は、身体的な特徴やその雰囲気を揶揄っても良い存在として扱われることが多かった。教師にすら、そういう扱いを受けました。

そんな中学時代、苦い思い出として残っているのが「ラップスカートの機能しないラップ事件」です。当時、流行していたフレンチカジュアル。購読していたプチセブンには、黒のカーディガン(たぶんアニエスベー)にグレーのミニ丈のラップスカート、ラルフローレンの三つ折りを裏返してクシュっとさせたら足元はサイドゴアブーツ…みたいな服がわんさと乗っていました。かわいい、と思いました。
好きなんです。今でも。スクールガール風。それで思わず、地元のSUZUTANで、私の体がギリギリ入るミニ丈のラップスカートを買いました。私の大きなお尻を包むにはラップスカートの布地は足りず、随分と、みっともないシルエットになっていただろうと思います。そんな服を着て、塾の夏期講習へ。その時の微妙な空気が、ちょっとした嘲笑が、思春期特有の自意識がもたらしたものなのか、ただの被害妄想か、今となっては分かりません。
確かなことは、私がとてもいたたまれない気持ちになったことと、そして私の体型やキャラクターは、「おしゃれ」には程遠いのだと、強烈に実感させられたってことです。

この勘違いは、長らく続きました。幸い、高校以降にできた友人たちや、大学生の頃に出会ったマルイの「大きいサイズ」のおかげで、服選び自体を完全に諦める必要はありませんでしたが、服は、いつでも、ずっと「私が着る前が一番素敵」「私が着ない方が一番かわいい」ものでした。

また、体型もそうですが、私自身のパーソナリティー、鈍臭くて、愚鈍な雰囲気。これが、洋服というものを、綺麗に見せてくれないのでは?「見た目と鈍臭さをセットで笑われる」ことが多かったせいか、私はそのように結論づけていました。

ファッションが好きです、おしゃれが好きです。
だけど、それを口にするのは、ずっと勇気がいることだった。
どんなに気に入って、大好きなものを身につけていても、相手がどう思うのか、いつもビクビクしていました。「私なんかが」それを身につけるには「言い訳」が必要でした。大抵の人間は、相手の服なんてみちゃいないし、みていたとしても軽率に貶めたりはしません。それをする人間だと考える方が、ずっとずっと失礼でしょう。頭ではわかっちゃいるんです。それでも、これまで受けてきた、揶揄い、嘲笑が心に響くんです。ファッション怖い。

鏡を見るたび、写真を見るたび、がっかりする。
それは、あきやさんが、このnoteに書かれた通りです。

自問自答ファッション講座や教室の単語を見た時、最初に思ったことは「私なんかが出かけて行ったらスタイリストさん、困っちゃうよ」でした。「勧められる服がないだろう」って勝手に思っていたんです。それで長らく、調べることも辞めてました。

意識の変化は、SNS上の仲間(当時)が講座を受けたことで訪れました。友人が、ファッションをすごく、楽しんでいることが伝わってきたんです。端的に羨ましかった。私も、ファッションの話がしたい。ファッションについて語りたい。ファッションを好きだと叫びたい。でもでもだってだけどだけど……その想いは、ぐつぐつゴリゴリと煮詰まって。

ある日、私の中で、珠城りょう扮するBADDYが叫びました。
「しゃらくせええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」(わかる人だけわかれば良いです)。

率直に疲れた。もう限界だった。私が何キロだろうと、どんな体型だろうと、どんなパーソナリティーだろうと、私が、ファッションを楽しみたいなら、それに向き合うのが自問自答!「一年3セットの服で生きる 「制服化」という最高の方法」や自問自答ファッション通信を読み漁った私は、シンプルにそう考える力を手に入れていました。
そしてあきやさんというスタイリストを信じることのできなかった、自分を恥じました。私のパーソナリティーを「いいもの」として捉えてくれて、ファッションへのこだわりも、「いいじゃん」「素敵じゃん」と具体的に言ってくれてた人たちのことを思いました。信じるべきは、そっちだったのだと、今でははっきりきっぱり、そう思います。

自分の体型が悪いとは思いません。悪いと思いたくないです。ある種の体型を排除するような、そんな世界の悪事に、私は加担したくない。だとすればこそ、です。私こそ、好きなように服を着て、ファッションを楽しむべきでは????

ちょっと前に、コムデギャルソンのデザイナーである川久保怜さんの考え方や言葉に感銘を受けたことがあって。その思想を浴びたい、まといたい、思いました。
でも、コムデギャルソンに自分サイズの服があるとは思えない……

そんな悩みに、あきやさんが答えてくれたのがこちらです。

あるんだ…!!という驚きもそうですが、「着てみてください」の言葉に泣きました。(断言)にも、それについたたくさんのエクスクラメーションマークにもボロボロと涙がこぼれました。

こんなに思いっきり背中を押されて、行かないわけにはいきません。ギャルソンで、「私も着られそうなものはありますか」と伺い、「絶対いけます」「着られます」と店員さんにまで背中を押してもらって、着用したのはどでかい(それ単体で自立する)スカート。instagramで好きなファッショニスタがよく着ているシルエットに酷似したものです。

か、かわいかった〜〜〜〜!(突然の3歳児)
何が良いって、それを着た、私が、すごく、すごく良かったんです。

服の力は、ファッションの力は、強くて、大きくて。大切に作られた1着1着は、私が簡単に殺すことなんかできるわけ、なかったんじゃないか。私に似合わない服は、ただ、誰かの1着だった、それだけのことだったのです。

ちゃんと言いますね。私の体重は、今90kgを超えています。159cm,90kgです。
そして、私は今、人生で一番、ファッションを楽しんでいます。

※さすがに健康診断で引っかかってはいるので、体重は少し落とすようにしたいと思っています。ただ、私の体型が「痩せ型」になるようなことは、この先もないでしょう。でも大丈夫です。私は、もう、ファッションを楽しんでしまっているので。


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