ただ違うだけなのにね
人の数だけ考え方があり、ものごとの捉え方があるのは誰もが知っているはずなのに、どうして人は知らず知らずに、いゃ知りながらも、自分と同じように考えない、もしくは感じない者にバツをつけたがるのだろう。
そしてその逆も然り。
自分と違う考え方や感じ方を、他者から自分にさし向けられると、否定された!認めてくれない!などと、歪んだ捉え方をついついしてしまいがちだ。
トマトと人参が違うように、
ただ違うというだけなのにね。
自分をどうにかする前に、自分とは違う形の者を、なぜ自分はトマトなのに君は人参なんだ!トマトでないのは認めない!トマトになれ!と責め立てたり、自分は人参だから駄目なんだぁと、トマトになれない自分を自分で責めたり、ただ違うのだということを飛び越えた先で、すったもんだしてしまうから心は乱れ、相手を憎んだり自分を嫌ったりという心の位置から抜け出せなくなってしまう。
★アンとレオがムキっ歯
文字に綴るとわかるように、他者を責めたてる方も、自分を責める方も、どちらも他人軸なんだよね。
他人あっての自分。
お陰様で~の他人あっての自分とは、また別な他人あっての自分。
他人が自分をどう見ているのかで自分の価値を決めたり、
他人より自分は優れていると判断し他人を貶したり。
どっちも自分ひとりでは成立しない他人あっての自分。
でも、どちらも実は絵空事。
★裏庭にて 写真向かって左からシェリー、ラム、レオ、アン、シンシア
ワタシはまだドーベルマンズが健在だった頃、知り合いの愛犬が亡くなった時に、いつもこう言っていた。
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