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大学生を振り返ってみる(大学2年生編)

このnoteを見てくださっている方は「小中高をふりかえる」「大学1年生編」を読んでくださった方だと思うので、このnoteを各理由は省略します。

もし「あなたのnoteは初めてみるわ」と言う方がいらっしゃれば、以下のnoteを読んでいただけると、簡単にわたしが自分のことを振り返っている趣旨や、わたしのことを知って頂けると思いますので、先にこちらに立ち寄っていただければ幸いです。

「小中高を振り返ってみて」
https://note.com/kamachu/n/n25324ae0021b
「大学1年生編」
https://note.com/kamachu/n/n7722fe84b2fc
「ポートフォリオ」
https://kilinsan.studio.design/

では本題に戻って。私の大学2年生のことです。基本的にはアメリカ留学が中心となった1年間でした。アメリカに8ヶ月半滞在していたため、2年生のほとんどを海外で過ごしたのです。アメリカはわたしににとって夢の土地でした。アメリカに行く前にもいくつか思い出があり、そんなことも踏まえながら今回のnoteを書いていければと思います。


- 大学2年生 -


始業

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オーストラリア留学で、ほぼ全ての長期休みを使い果たしてしまったわたしは、日本に帰国してからすぐ始業を迎えました。2年生は学部の中で19ある専修に分かれる年です。成績をある程度維持していたわたしは、第一希望の英米文化専修に入ることができました。関西大学の文学部を選択したのは、この学部に入るためだったので、胸を撫で下ろしました。

なにせ英米文化専修は人気だったので、入れるかどうか心配だったのです。ただただ英語を使いたくて選択した専修でしたが、それ以上のことを学ぶことができたように思えます。ジェンダー、人種、政治、消費、様々なことに興味を持つきっかけが得れた貴重な選択でした。



恋愛

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正確には覚えていませんが、1年生の秋だったと思います。大学生活で初めての彼女ができました。関西人で、わたしのようなエセ関西弁を使う人とは明らかに異なり、リアル関西弁の使い手でした。大阪で過ごしてきた人であったこと、話がよく合ったような気がすること、そしてわたしの話に対してよく笑ってくれる人だったので、好きになり、わたしから告白しました。

わたしがオーストラリアに行ったり、彼女は韓国に留学したりと、結局一緒にいた時間より離れていた時間の方が長かった気がしますが、楽しい時間を過ごせていたような気がします。動物園に行ったり、光る金魚をみたり、京都に行ったり、彼女の留学先に遊びに行ったり、家で映画を見たりしたはずです。わたしが下宿をしていたので、わたしの家でよく映画を見たりしていました。



E.S.S.

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部活では相変わらず英語のスピーチをやっていました。セクション活動では毎週3回エクステ(即席スピーチ)の活動があったのですが、その活動めちゃめちゃ楽しかった春学期でした。エクステのメンバー配分はセクション長(スピーチセクションのチーフ)によって決められるのですが、この人に直接お願いしてやりたい人と一緒のグループを組んでもらいました笑
きっと迷惑だったのですが、ちゃんと要望に答えてくれて楽しい半期が過ごせた気がします。ちなみにグループはそのセクション長と、わたしにフィリピン留学をお勧めしてくれた先輩と、英語が上手な同期でした。今でも覚えています。



アメリカ留学決定


アメリカ留学も実はフィリピン留学のことを教えてくれた先輩が行っていたところです。学校が学費を一部免除してくれる数少ない留学先でした。面接などがあったのですが、そんなに難しいことはなく、通ることができました。学費免除はもちろんとても重要だったのですが、アメリカはわたしにとって一番行ってみたい国でした。というのもわたしは当時、語学学習の際にFRIENDSというアメリカのドラマを見まくっており、撮影の舞台になっていたニューヨークに行きたくてしょうがなかったのです。留学が決まってから留学先のサウスカロライナ週に行く途中でニューヨークに行くことを決めました。



バイト

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おそらくこの時期だったと思いますが、梅田でバイトをはじめました。ホテル勤務でした。理由はご察しの通り「英語が使えるから」です。外国人宿泊者が50%以上を占めるホテルだったので、実際に外国語を使う機会は幾度かありました。それでも基本は日本語で接客することが多かったです。芸能人とかもよく来るホテルで、大御所と呼ばれる人や、毎週金曜日にテレビに見る人など、プロのスポーツ選手などもたくさん拝見しました。

バイト先は結構マナーに厳しかったです。手足の仕草、細かいところまで動作を注意されたり、テストなんかもありました。わたしは結局テストを受ける前にやめてしまうのですが、話し方や所作などをいろいろ教えてもらったように思います。

業務内容はドアマンと宿泊者の部屋移動案内でした。チェックインが済んだ客を部屋まで案内すると言うシンプルな内容だったので、細かい所作を除いた大体の部分は、すぐに覚えたと思います。たまに宿泊客がチップをくれました。日本円より外国のお金でもらう方が多かったです。使い方がわからないので今でも鞄の中に眠っています。



ニューヨーク

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こんな感じで生計も立てつつ春学期が終業してからすぐアメリカに出発しました。7月下旬でした。フランスを経由していく飛行機だったのですが、計画通りまずはニューヨークに向かいました。価格が一番安かったチャイナタウンの中にある宿に泊まりました。バックパッカーだらけでしたが、オーストラリアでもゴミ屋敷みたいなところで世界各地のバックパッカーたちと暮らしていたので、目新しいものではありませんでした。その場所で最初に自己紹介をしてきてくれた台湾系の友人(マレーシアだったかも)と、次の日は回ることにしました。

その友人はプランを先に綿密に決めておくタイプだったらしく、ついていくだけでいろんなところを回ることができました。ちょっとおしゃれな商店街みたいなところでベーグルを食べたり、知る人ぞ知るみたいなハンバーガー屋さんでランチをしたり、食べてばかりでしたが、楽しかったです。

夜はブルックリンブリッジに行って写真を撮り、深夜にエンパイヤステートビルで夜景を見ました。盛り沢山だったため歩き疲れて、ゲストハウスに戻ってからは泥のように眠った気がします。

次の日は一人でいろんなところに回りました。博物館に行ったり、セントラルパークに行ったり、夢の土地で歩き回るのが楽しかったです。でも物価が高かったので節約していました。実は1週間ほどいたのですが、そんなにいなくてよかったです。お金がなくなっていく方が怖かったので笑
次回は金持ちになってから行こうと思います。(アメリカ滞在中にまた再度ここに帰ってくるのですが)



サウスカロライナ

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ニューヨークを満喫した後は、留学先のサウスカロライナに向かいました。空港には関西大学に留学していた友人が迎えにきてくれて、寮まで送ってくれました。きったない寮でしたが、オーストラリアで過ごした場所の何倍もマシでした。


授業


授業は1から6までのレベルでスピーキング、リーディング、ライティングの3種類ごとに分かれています。わたしはオールレベル5からスタートしたので、クラスに日本人がいませんでした。たぶん。授業はやはりレベルが高い方が良く文法から長文読解までちゃんと教えてくれるいい学校でした。


カロライナ


留学当初一番仲良くしていたのはカロライナという友人で、コロンビアのボコタということろからきていました。ドイツに留学するためにTOEFLを取得する必要があったらしく、その準備でこの学校に来ていました。最初からずっと仲良くしていた友達だったのに、サウジアラビア人の求愛を受けてからわたしとあまり遊んでくれなくなりました。最初は香水から始まり、ニューヨークの往復旅行までプレゼントされていました。わたしが変わりにもらいたかった笑



ムハンマド


サウジアラビアにはそこら中にムハンマドがいますが、わたしにとってのムハンマドはこの男です。1個下のちょび髭を生やした細身の青年で、サッカーが大好きです。わたしは留学先でまずサッカーとかをして友達を探すようにしていたので今回もこの作戦でした。目論見通り友達ができたのですが、彼はよっぽど楽しかったらしく毎日のようにサッカーをするようになりました。

彼とは打ち解けすぎてその後一緒に住むことになり、わたしは彼のヒモになります。というのもわたしの元ルームメイトの日本人が韓国人と付き合っていろいろエスカレートしすぎていたり、部屋がそもそも汚なかったり、いろいろ不満があり、彼が住んでいた高級アパートに越していくことになるのです。

ここがそれはまあ良いアパートで、ジムからシアタールーム、卓球台、コーヒーサーバー、それからプールやジャグジーまで、なんでもありました。私はアメリカ留学時代を「人生の夏休み」と形容するのですが、この経験があったためです。彼とは一生にサッカーをするだけでなく、映画を見たり、ご飯を一緒に作ったり、街に繰り出したりと、めちゃめちゃ仲良く過ごしました。一緒に見ていたドラマのシリーズをわたしがこっそり先に見ると彼は怒り、彼はすぐいたずらをするので、今度はわたしが怒り、仲直りしてはまたサッカーやゲームをしたりと。こんな感じで楽しく同棲生活を送っていました。



ナオキとアレックス


他にも仲良くしてくれる人がいました。サウカロ(サウスカロライナ)に半年前くらいから来ていたナオキと、中国系アメリカ人のアレックスです。三人でよくご飯に行きました。ナオキはめちゃめちゃ明るくて、1つ上の先輩でしたが、感情をちゃんと表現してくれるので慕っていました。ナオキは3ヶ月後とかに日本に帰ってしまうので残念でした。その後もアレックスとは遊んでいましたが、ナオキがいたときほど楽しく話せず、直樹の人間性の良さとかを改めて感じました。



ズーとフォーム


中国人のズーと、タイ人のフォームもここで紹介しておきます。ズーは今まであった人の中で一番背が小さい小柄な女の子でした(私より一つ上でしたが)。フォームは彼氏についてくるためにタイでやっていた薬局を売り払ってアメリカまでやってきた猛者です。小さくて10代みたいに見えるのに30歳を超えていたらしいので、実は美魔女だったのですが。まあそんなひたりのクラスメートがおり、ゲラゲラ笑うし、話も面白いし、よく一緒に遊んでいました。お昼の時間は他のクラスメートも混ぜてみんなでご飯を食べるのが楽しかったです。みんな貧乏だったので、簡易的な弁当を作り、分けあったりしながら食べていました。



キリスト教

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サウスカロライナはアメリカ西部一帯に位置するバイブルベルトという地域の一部でした。バイブルベルト地域にはキリスト教の方が多く、サウカロも例外ではありませんでした。町には至るところに教会があり、日曜や教会ごとに決められた曜日にはサービスを受けにいく人たちが大部分だったように思えます。

私もいろんな教会に行きましたが、シャンドンという協会が外国人留学生に対してバイブルスタディ(キリスト教の勉強)を毎週日曜日に行っており、日曜はその教会に行くことが多かったです。イメージしているような礼拝とは異なり、現代的な教会はバンドが曲を演奏します。なのでめちゃ盛り上がるし楽しいのですが、毎回に1時間以上にわたる聖職者のスピーチは少し疲れました。

この教会には長い間この土地に住んでいるアキさん、アナさんという日本人のかたも通っており、よくこの二人の家にお邪魔して食事をご馳走になりました。面倒見の良いご夫婦で、留学生や日本が好きなアメリカ人を呼んで一緒に食事会やバイブルスタディを開いてくださっていました。

私自身ご飯はタダで出してくれるわ、ちゃんと話を聞いてくれるわで、よく教会に遊びに行っていたので、少しはキリスト教の勉強もできました。もしこの土地に生まれ、この環境を当たり前に思い過ごしていたのならきっとキリスト教の信者になっていただろうと思うほどです。日本ではなかなか行きづらいだろうと思い、深く突っ込みはしませんでしたが、それくらい影響力はありました。

特にこんな生活もいいなと思えたのはキースとエリザベスという老夫婦と仲良くなってからです。彼らはムハンマドをめちゃめちゃ可愛がっており、ムハンマドの友人の私にもよくしてくれました。彼らが通うサウカロのFirst Presbyterian Churchもとても温かい雰囲気があって好きでしたし、彼ら自身もよく私たちを招待してはご飯を御馳走してくれて、町に遊びに連れてってくれました。

おじいちゃんやおばあちゃんになっても人にたくさん会って、幸せを分け与え、孤独でなく周りを迎え入れていくような生き方が、なんだが老後の理想のように見えたのも事実です。



サンクスギビング


アメリカには11月の第4木曜日にサンクスギビングがあります。日本のお正月の如く、食べまくる祝日なのですが、家族と一緒に過ごす大切な1日でもあります。町ではセールもたくさんするので、日本の大晦日とかと一緒ですね。わたしは日本人の先輩のじゅんペーさんと一緒アメリカの友人の家に行きました。その子の家がが超がつくほどの金持ちで、湖がある別荘みたいなところに住んでいました。

毎日お腹がはちきれそうになるまで食事をし、早朝や夜は小型のクルーザーで景色を楽しみという、優雅な数日間を過ごしていました。やはりアメリカの生活は夢のような時間だったのと思います。



パーティー


12月以降は新しい生徒も学校にやってきて、さらに賑やかになっていました。わたしとムハンマドは毎週水曜日(たしか)にクラスメートや仲の良い現地人を集めてパーティーを開催するようになっており、水曜の夜はうちのアパートで騒がしくやっていました。
毎週水曜日は本当に楽しくて。こんな生活が一生できればなと思っていました。



CST


冬には旅行をしようということで、ムハンマドと旅行の計画を立て、Crazy Smelly Trip(CST)を企画しました。宿に留まらず車中泊をしながらアメリカを北上していくため、「なんかくさそう」という理由でこの名前にしましたが、匂いよりもひどい疲労を味わった旅行でした。

二人でワシントン、フィラデルフィア、ニューヨーク、ボストンと回っていったのですが、約1週間動き回って宿無しの車中泊というのは、本当に疲れるもので、ニューヨークにいた際は疲労で動けなくなりました笑

ボストンに行った際に彼が初めて雪を見て、その感動した目が忘れられないため、行ってよかった入ってよかったのですが、まあ疲れました。



カナダ


実は数日間だけカナダにも遊びに行きました。カルガリーとバンフです。カルガリーには知人に会いに行ったのですが、寒すぎて毎日凍えていました。旅先で知り合った韓国人の友人とカルガリーの街を回りました。旅をしている人はみんな若く見えるかわかりませんが、彼は当時のわたしと同い年の21歳くらいに見えましたが、30歳だと言っていました。

バンフに行きたかったのはレイクルイーズという超有名な湖を見たかったからです。でもついてから気がついたのですが、真冬なので湖は全部凍っていました。寒い冬に湖の上でスキーをしている親子に写真をお願いしてからすぐ、その場をさりました。バンフは観光スポットもあり、とてもきれいな街でした。



日本人の友人たち


海外ではあまり日本の友人とは仲良くしないのですが、サウカロでは結構仲良くしていました。わたしは好き勝手していたので、みんなはわたしのことをどう思っていたのかはわかりませんが、一緒にご飯を食べたり遊びに行ったりと、楽しくやっていたのですはいかと思います。みんなでたまに遊びはするものの、それぞれコミュニティがあったりして、結構みんなそれぞれ楽しくやっていて、自律していていい代でした。



帰国

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帰国後は地元の広島でゆっくりした後、また三年生の始業を迎えます。たくさんの海外生活を経験し、自分の生まれ育った環境のありがたさを感じることができたわたしは、同時に生まれた場所や環境が問題で自分のやりたいことに気が付けなかったり、機会を奪われている人たちに関心を持ちます。
3年生の活動はこういった思いに意欲動かされて行動したものが多いと思います。



まとめ

まとめ


今回も長くなりましたが、またご興味があれば、続きも見てくだされば嬉しいです。以下にリンクを貼っておきます。

大学3年生編
https://note.com/kamachu/n/n14ca377b35b7
「大学4年生編」
https://note.com/kamachu/n/n216bf056590d
「中国編」
https://note.com/kamachu/n/n02dbd6db2e80
「帰国後編」
https://note.com/kamachu/n/n223be8770257

ではまた次のnoteで。

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DesignYifan
読んでくださってありがとうございました!

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