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大学生を振り返ってみる(大学4年生編)

このnoteを見てくださっている方は「小中高を振り返って」「大学1年生編」「大学2年生編」「大学3年生編」などを読んでくださった方だと思うので、このnoteを各理由は省略します。

もし「あなたのnoteは初めてみるわ」と言う方がいらっしゃれば、以下のnoteを読んでいただけると簡単にわたしが自分のことを振り返っている趣旨や、わたしのことを知って頂けると思いますので、先にこちらに立ち寄っていただければ幸いです。「それはめんどくさい〜」という方はこのまま記事を読んでいただけると幸いです。

「小中高を振り返ってみて」
https://note.com/kamachu/n/n25324ae0021b
「大学1年生編」
https://note.com/kamachu/n/n7722fe84b2fc
「大学2年生編」
https://note.com/kamachu/n/n40cc44c7958b
「大学3年生編」
https://note.com/kamachu/n/n14ca377b35b7
「ポートフォリオ」
https://kilinsan.studio.design/


では本題に戻ってわたしの大学4年生のことです。大学4年生の自分は、ぶれまくります笑。自分が必要とされていると思っていたコミュニティから拒絶されたり、自分自身の能力やスキルに自信が持てなくなったりします。そんなときに、目の前にあった逃げ道のような挑戦に手を出すことになるのですが、そんなこんなでブレブレだった私の心の支えだった人たちがいたりします。大学4年生編はその流れの軌跡を追いつつ、私の感情を少しだけ丁寧に振り返っていければいいなと思っています。もしよろしければおつきあいください。


- 大学4年生 -


休学

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なんとなく頭の片隅にはこの言葉がいつもありました。「休学」をするという選択は、当時私の周りで活躍していた人たちの誰もが通っていた道で、なんとなく、私もこの道を通りべきなのではないかと考えていたのだと思います。このような気持ちがきっと休学の選択を後押ししたのだと思いますが、就活や自分のスキルに対する不安も私が休学を選択した大きな理由でした。

就職活動という、学年丸ごとを巻き込んで起こる一種のムーブメントは、大学3年生の秋学期から始まっていました。「就職活動」「合同説明会」「マイナビ」「リクナビ」などの言葉があちこちから聞こえるようになりました。

部活の友人たちも「就活」と言う言葉をよく使うようになっていたと思います。しかし当の私は就職活動に全く興味がありませんでした。星の数ほどある企業を調べることや、就活でしか使わない適性検査の勉強を必死にするのがバカらしかったと言う理由もありますが、ある程度自分の能力に自信を持っていたからだと思います。もちろんインターン先やその周りでは、自分より「すごい」「仕事ができる」「頭がいい」なんて人がたくさんいたので、「自分が一番だ」などとは思っていませんでしたが、「行きたい会社ぐらいからは内定がもらえるだろう」とは思っていました。別に超大手の難関を受けたかったわけではなく、ただ社会事業性を無視せず会社の利益を追求する企業に入りたかったので、そのくらいはなんとかなるのではないかと思っていたのです。

とまあこんな気持ちで就職活動は完全に無視して、自分が当時していた、部活、国際学生会議、インターンの活動に勤しんでいたのですが、インターン先が、私があまりよく理解できないほどの勢いで、法人化することになりました。会社になると言うことがあまり理解できなかったのですが、「おもしろくなりそうだな」くらいに思っていました。そのタイミングで一緒に活動していた人たちが、どんどん就職と言う選択をしていくことになっていたので、簡単に行ってしまえば変化の時でした。私はインターン先の社長に憧れて、尊敬していたし、自分がやらせてもらっていることも好きだったので、会社になるタイミングで、同時に休学し、このインターン先にフルコミットしようと考えました。その思いを伝えると許可がもらえたので、後は親を説得するだけでした。



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私の親は基本的にいつも私の選択を応援してくれます。しかしこういった昔の固定観念から外れる選択は簡単な説明を求められることがありました。具体的には大学を辞めるとか、社長を含めて社員が2人しかいない会社に入社したいなどと言おうものなら心配して「本当に大丈夫なん」と聞いてきてくれます。息子の「休学」「中国留学」というのはきっとその部類だと、私が勝手に思ったので、実家に帰って自分が思っていることや、やりたいことを説明することにしました。

ちゃんと説明したので思っていたよりはすんなり受け入れてもらえた気がします。後から気がつきましたが、そういえばうちの姉も休学をしており、この言葉を聞いて飛び上がるほどのジェネレーションギャップは感じなくなっていたのでしょう。

それでもやはり私の自立や幸せを考えてくれたときに大学生活を4年以上に引き伸ばすことは反対だったように思います。それに休学すれば私立なのでお金もかかりましたし、私が親だったら何も聞かず反対していたかもしれません。うちの親は私と姉に対して「鳶が鷹を生んだ」などと形容しますが、このことわざを用いて話すなら鷹は自分に溺れて子育てなんかできない気がします。別にうちの親が本当に鳶のようで、私たち姉弟が鷹だとなんて思いませんが、「よく育ててもらった」みたいなことを表現したかったです。国内外で人並み以上にたくさんの人に会った私が、当の本人に対してそう思うので私は運がいい人間です。



アオイエ


とまあこんな感じで休学ができるようになったので、あとは京都の住まい探しでした。というのもインターン先のオフィスは京都にあり、今の関西大学の住まいから通うより、京都に住んで出勤する方が便利だし良いだろうと考えたからです。本当にちょうどよかったのですが、インターン先とコミュニティハウス アオイエ(シェアハウス )が一緒にイベントをやることになっていて、オフィスにも近いしそこで暮らし始めることにしました。

家は二条にあって昔ながらのお家という感じでした。京都っぽい日本風の庭があったり、掘りごたつがあったりと、まるでトトロでもいるのかと思うような家でした。実は私はこの家の住人第1号で、このシェアハウスが関西でもどんどんコミュニティを増やして行こうという時にちょうどやってきたのです。最初は大きな部屋を独り占めしていて良い気分でした。

一人とはいっても、この関西拡大を任されていた、生き様から身なりまで全部大胆なガクさんという人が一緒に住んでいたので、その人と過ごしている日が多かったです。すぐにもう一人女性も入ってきて、最初は三人で暮らしていました。

ガクさんも私もイベントが好きでお互いイベントを通してたくさんの人に知り合うメリットがあったので、イベントを企画しては一緒に開催していました。中には30人くらい来てくれたイベントもあって、二条の雰囲気もあってか、イベントの日はお祭りのようで楽しかったです。インターン先のイベントやこの家でのイベントを通して、人もだんだん住んでくるようになり入ってきて数ヶ月くらいには定員に達していたと思います。

「これだけランダムに人が遊びにきたら、合わない人やあんまり好きじゃない人とも一緒に住まなければならないのではないか」と思っていたのですが、本当に不思議なことで、この二条に一緒に住むことになってメンバーは私がめちゃめちゃ気を許せる大好きな人たちばかりでした。毎日たくさん笑って毎日一緒に作業して、とっても楽しい毎日を過ごしていました。

一緒に料理作ったり、一緒に銭湯行ったり、みんなで京都に旅行に行ったときとかは、特にめちゃめちゃエモくて、毎日こんな日常が過ごせたら幸せだろうなと思えたり。とにかくこの経験からシェアハウス がすごく好きになり、実は今でもこのアオイエが運営している大阪のシェアハウスに住んでいます。今一緒に住んでいるみんなもめっちゃ好きなので、これはきっとアオイエが私に合っているのかもしれません。



バイト

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アオイエに住むのは良いものの、家賃はもちろん必要なので、何か興味もありつつ、できそうなことを探していたところ、東山にある市民センターの活動が面白いからと、いつもよくしていただいている方に紹介していただけることになりました。ここのセンター長も副センター長もめちゃめちゃいい人で、縁あって働かせていただけることになりました。このコミュニティセンターは、結構地域とも連携して活動していて、近くの商店街や町のコミュニティなどとも一緒に行う企画があったりします。私はそのプロジェクトを一部お手伝いさせてもらいながら、基本の事務作業などを行っていました。



インターン

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できることがどんどん多くなって、急スピードでどんどん作っていました。それに伴ってメンバーがどんどん増えたり、違う団体と一緒にイベントしたりと、内部外部ともどんどん成長していっているフェーズだったと思います。冒頭で書いた「ぶれる」みたいなことはこの時期から始まり出した感情です。チームのみんなとの能力値を比較したり、自分の不甲斐なさに嘆いたりしていました。そもそも比べるほどみんなが一つの事業にコミットしていなかったし、それぞれ自分の担当や業務を行っていたのですが、なぜか自分はいろいろ劣等感を感じていました。組織における自分の必要性とか、貢献度とかいろいろ考えてたり、まあとりあえず、グダグダ色々考えて悩んで困った存在になっていたと思います。実は悩みは一つのところだけでなく他のところでも起こっていました。



就職活動

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休学中ではあったのですが、4年生年初めあたりは、就職活動がピークで周りの人たちも、ぞろぞろ就活を始めていました。私も私で特に就職する気はなかったのですが、「力試し」くらいの気持ちで、自分が関わって行きたかったソーシャルビジネス系の会社2社にエントリーしました。「就職活動を別段難しいものと考えていなかったので、本気じゃないけど内定とかもらえちゃうかなとか思っていたのですが、どちらも2次面接くらいであっさり落とされました。これが思った以上にショックで、自分の力を否定されたようにも思えたし、何よりも自分が頑張りたい業界に必要とされなかったことにジョブとはいえないくらいの重いパンチを受けました。インターンのこともあり、自分が自分に対して抱いている期待値と、社会が私を査定した数値が異なっていたことに絶望しました。「たぶんこのままじゃいけない」という気持ちがこの時あたりから湧き始めていたように思います。



中国

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私が言語学習が得意だと思います。当時は大学4年生当時は感覚的にそう思っていただけでしたが、そうはいっても「英語」は私がほぼ0のところから自力でできるようになった数少ない能力ですし、同じような言語ならなんとか0→1で勉強しても習得できるのではないかと考えていました。ちょうどそんなことを考えていた時にある機会が巡ってきます。

あの日はインターン先でイベントをした後に、みんなで打ち上げをすることになっていました。私はあまりお酒が飲めないので、普段はあまり参加しないのですが、なぜかその日は参加しました。オフィスの近くにある焼き鳥屋さんで、8人くらいだったので、4人と4人に分かれて座っていました。私がと一緒に座っていたのはある会社の代表さんと、インターンのメンバーが1人、イベントに参加してくれていた高校卒業したばかりの子でした。

イベントの話や取り留めのない話をしていた時に、代表の方が中国の話を始めました。実はこの会社の事業に共感してホームページから連絡してきた中国人がおり、その彼が大学の留学センターのようなところで働いているとのことでした。この会社をめちゃめちゃ好きになっておられたらしく、その代表さんからの紹介なら全額奨学生で学生を4年制の大学に留学させてあげるというのです。

私は心を踊らせながら聞いていましたが、表情には出しませんでした。なぜならこの話の対象は私に向けられたものではなく、私の隣にいた高校卒業したばかりの女の子に向けられたものだったからです。当然といえば当然の話でした。彼女は高校を卒業したばかりで大学に入るか入らないかちょうど迷っている時期でしたが、私はもうすでに大学を卒業しかかっている学年であり、全く対象ではなかったのです。彼女はあまり乗り気ではなさそうだったのですが、私はこの話題が出てからずっとこのトピック について頭を巡らしていました。

飲み会を解散した後もそれは変わらず、やっぱりなんとか自分でも行けるようにならないかと思い、代表の方に連絡してみました。すると「考えてみる」とのことでした。「あれっ、もしかしたらいけるかも」と思っていたら本当に行けるようにしてくれました笑。というのも、もともと4年間しかなかったプログラムから2年間のプログラムを作ってくださり、私のような休学中の人間でもプログラムに参加できるようにしてくれたのです。

私はこれはいくしかないと思い、プログラムの参加をお願いしました。手続きは本当にすぐ済みました。VISAに関してもめちゃめちゃスムーズにおりましたし、留学の時期が少しだけ遅くなってしまったりしたのですが、結局ちゃんとプログラムには参加できました。あのときお願いをしてみて、本当によかったです。中国留学は私が休学をしていなかったら、大学4年生の年である2018年の、10月からスタートします。大学4年生辺の次は中国留学編を作ろうと思うので、興味を持っていただける方は、そちらで見ていただければ嬉しいです。


スイス

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話は戻って2018年夏休み、私はまたもや海外に行くことになります。きっかけは私が当時活動していた国際学生会議をよく気にかけてくださっていた方の存在です。この方は、スイスで経営者向けの自己を見つめるプログラムのファシリテーションをされていらっしゃる方で、ちょっと私の頭では追いつけないほどすごいキャリアを歩んでいらっしゃる方でした。

せっかく国際学生会議を通して関われることができたので、インターン先でもこの人にお話ししていただけたらと思い電話しました。予想外に引き受けてくださったのですが、その時にこのスイスのプログラムの説明も受けて、私もめちゃめちゃ行きたくなってしまいました。今思えば本当に面白そうなことを紹介されたらなんでも、2言返事で「はい、やりたいです」と返答してしまうのは改めた方がいいのかもしれませんが、結局行きました。

このプログラムが開催されるのはCauxという場所で、めちゃめちゃ高い山の上にあります。1時間に1本とかしかない電車で向かうのですが、現地にはお城のような建物があり、景色も最高な場所でした。本当に「同じ人間なのにこんなに過ごす場所が違うのか」と、妬むほどに美しい場所で、今考えただけでもまた行きたい場所です。

私が参加した「Initiatives of Change」というプログラムには毎年数十カ国、数百人の方が参加しています。参加者には一国のの副大統領とか、世界的NGOの代表とか、まあ普通に生活していたら会えないような人がたくさんいました。日本からも某有名企業たちの経営者の方々がチームでいらっしゃっていました。とっても面白いことが、その人たちも同じようにフードサービスの提供する側をやったり、掃除当番をやったりすることです。

このような方式をとっていたり、この場所Cauxで国際社会問題について話し合うフォーラムが毎年行われることには歴史的な深い意味があります。ここで書いてもいいのですが、当時このプログラムに参加した後に私がレポートを制作したので、もしご興味がある方は私に声がけください。6日間のプログラムでしたが、自分を見つめ直すめちゃめちゃ良い機会になりました。ちなみに空港滞在を除いては初ヨーロッパだったので、その点も幸せでした。


まとめ

まとめ


ここまでが、大学4年生編になります。この約1年間は自分の能力に絶望したのですが、シェアハウスの家族や、新しい中国への挑戦のおかげで、なんとか希望を見いだせていました。しかし休学を始めた理由はインターンのコミットでしたし、始めたバイトなども海外に立つに伴ってやめてしまうことになるので、お世話になった方々には申し訳なかったのですが、見送り出してくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。

次回は中国留学の記録を書いていこうと思います。実は中国ではSNSを全く使っておらず、オンライン上に私の活動を投稿したことがほとんどありませんでした(中国のネット上にあるのですが)。そのため私の知人でも知らないことがたくさん書けると思います。もし興味を持ってくださる方がいらっしゃれば、そちらも読んでいただければと思います。

次回の簡単な内容と、これまでの振り返り記事はこんな感じです。

「小中高を振り返ってみて」
https://note.com/kamachu/n/n25324ae0021b
「大学1年生編」
https://note.com/kamachu/n/n7722fe84b2fc
「大学2年生編」
https://note.com/kamachu/n/n40cc44c7958b
「大学3年生編」
https://note.com/kamachu/n/n14ca377b35b7
「中国編」
https://note.com/kamachu/n/n02dbd6db2e80
「帰国後編」
https://note.com/kamachu/n/n223be8770257

ではまた次回のnoteで。

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DesignYifan
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