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大学生を振り返ってみる(大学3年生編)

このnoteを見てくださっている方は「小中高をふりかえる」「大学1年生編」「大学2年生編」を読んでくださった方だと思うので、このnoteを書く理由は省略します。

もし「あなたのnoteは初めてみるわ」と言う方がいらっしゃれば、以下のnoteを読んでいただけると簡単にわたしが自分のことを振り返っている趣旨や、わたしのことを知って頂けると思いますので、先にこちらに立ち寄っていただければ幸いです。「それはめんどくさい」と思われた方も、止まってこの文章を読んでいただければ嬉しいです。

「小中高を振り返ってみて」
https://note.com/kamachu/n/n25324ae0021b
「大学1年生編」
https://note.com/kamachu/n/n7722fe84b2fc
「大学2年生編」
https://note.com/kamachu/n/n40cc44c7958b

「ポートフォリオ」
https://kilinsan.studio.design/

では本題に戻って、わたしの大学3年生のことです。日本に帰った私は「社会に対して私ができるなにか」と「ビジネススキル」を求めていくつかの団体に加入することになります。学校の活動、学外の活動で、ただバイトをしていたときには感じなかった、「忙しい」「大変だ」などの感情を感じるようになります。それでも自分が前に進んでいる感覚がすこぶる楽しいと感じれていた1年間でもありました。



- 大学3年生 -


始業前

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大学が始まる前に2年前にサウスカロライナに留学をしていた先輩を訪ねました。なぜかというと、私の周りにいる人の中で、この先輩が一番ビジネスとか、意識高い学生に近いところにいると思ったからです。実際に、自分とまわりの仲間でサービスを立ち上げられたりとか、インターンのようなこともされていたりとか、僕の中では輝かしいくらい凄い方でした(今も変わらず活躍されていらっしゃいます)

先輩にあってからは、1時間くらい話をしたと思います。私は話すのが下手なので、とりあえず現状の興味関心を伝え、あなたのような活躍がしたいです、とその先輩に話しました。拙い言葉も綺麗に汲み取ってくれ、「仲良くしている人で丁度紹介できそうな人がいる」と知人の方を紹介してくれました。



京都

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先輩が紹介してくれた人に連絡をしたら、一度会ってもらえることになりました。京都大学の学生だったので、あまり行かない京都までGoogle マップと電車アプリを頼りに向かいました。確か烏丸にあるドトールで待ち合わせだったと思います。ちょっと早くついたので連絡すると、既に中にいるとのことだったので、中に入って行きました。

中ではサンドイッチ見たいなものを食べている人がいて、その人が待ち合わせをしてくれていた人でした。私は話が下手くそなのですが、自分の興味関心と、その他自分のことをその方にいくらか伝えました。向こうの方もこれまでのことや自分のことを簡単に教えてくれました。

使う言葉とか、考え方今までの経験まで自分には無いもの過ぎたし、なんかめちゃめちゃカッコ良かったので「いい人を紹介してもらえた」と思いそこで一緒に活動させてもらうことになりました。

結局この団体で1年半ほど活動させてもらったのですが、マジで何も知らなかった私にいろいろ教えてくれて、いろいろ経験させてくれた方と団体(もともと学生団体で今は会社)なので、それはそれは大変感謝しています。会社も社長も変わらずご活躍されています。



部活

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話は戻って学校も同時に始まりまっていました。授業はほぼ全部フル単だったので、週2~3回しかなかったと思います。しかし変わらず部活動は忙しかったです。というか部活は一生忙しかったですし、なんなら3年生がピークでした。3年生というのは部活動を続けられる最後の代であり、一番長く部活を経験してきた代でもあります。そのため私が所属していたスピーチの大会出場者などは3年生が多いのです。私も何かの大会に出場したいと思い、西日本の大会と広島で行われる全国大会に応募しました。

応募の合格が電話で来ることを知らなかった私は、知らない電話番号から来る連絡をずっと無視していたのですが、多分同じ電話番号からかかってきていることに気がつき、次かかってきたら出ることにしました。ちゃんと電話は来たので受けてみると、「どうやら西日本大会に通っている!」ということだったので飛び跳ねて喜びました!

というのも、この応募条件には800字程度のスピーチ原稿の提出と、その音声があったのですが、これを準備するのに半端ないほどの時間をかけていたのです。実はこのスピーチ原稿はアメリカにいた時からコツコツ書いており、現地の友人からもよくフィードバックをもらっていました。

そんな手塩にかけて育てたスピーチ原稿が、西日本代表の舞台で発表できるなんて本当に嬉しかったし、この大会は、E.S.S.で英語のスピーチを熱心にしている人なら、誰でも夢見る舞台だったのでほんとに尚更幸せでした。

毎年1大学から1人いたら凄いのですが、私の代は関西大学から4人も通過者が出て、みんなで盛り上がっていました。


大会
6月の大会までたくさん練習して本番に臨んだのですが、なんと凄いことに優勝しました!(展開が早いw)
練習はたくさんしたし、自信もあったので、期待した結果になって本当によかったです。実はその後すぐ行われた広島の大会でも優勝できて、その時は鼻高でした笑
そのあともいくつかの大会の選考に通ってスピーチを披露することができました。英語ばっかりと向き合ってきた学生生活でしたが、このような形で結果になって本当に良かったなと思いました。



海外インターン

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やはり1年に1回は海外に行かないと性に合わないたちらしく、人伝えで、立命館大学の教授を紹介してもらい、その教授にシンガポールとカンボジアでサッカービジネスをしている方を紹介していただきました。連絡をしてみると電話を繋いでくれて、インターンとして受け入れてあげるし、業務も経験させてくれるということだったので、自分史上未開のカンボジアに行ってみることにしました。

今回もいつもの長期休暇と同じように、学校が終わったらすぐ海外に向かいました。到着直後のカンボジアは、雨と湿ったアスファルトに人々の生活の匂いが混じって、少し臭かったですが「異国にやってきた感覚」があり私は好きでした。

空港から宿まで移動するのに、なんとか節約できないかと思って、タクシーの列の前に並んでいた金持ちそうな男女に「一緒に乗ってくれないか」と声をかけてみました。するとなんと宿の位置も近かったらしく、気さくに受け入れてくれて、一緒に行くことになりました。彼らはシンガポールから仕事で来ていて、カンボジアや他の東南アジア諸国によく来るんだと言っていました。世界中を行ったり来たりできる仕事スタイルに憧れているので、勝手に尊敬して勝手に羨ましがっていました。

宿に到着してからチェックインをしようと思ったのですが、どうやら店番のお兄ちゃんが英語が話せないらしく、言語をボディランゲージに切り替える必要がありました。夜も遅く疲れていたのですが、それはきっと目の前のこいつも一緒だろうと思い、伝わらないもどかしさを我慢しながら、やっと思いで自分がここの宿泊者であることを伝え、寝床を得ました。疲れていたので本当に何もせずにそのまますぐ寝た気がします。

翌日からすぐインターン先の人と会っていただくことになっていたので、オフィスに向かうことにしました。数人の方がいらっしゃって現地でプロとして活躍してらっしゃったり、引退しているけどサッカーをまだ続けていたりと、長らく感じていなかったサッカーのフィールドに帰ってきた感じがしました。みなさん簡単自己紹介と、本日やる業務を説明してくださった後、すぐに仕事が始まりました(といっても私は最初バイクの後ろに座っていただけですが)

このときからインターンが終わるまで私にいろいろ教えてくださったのがTさんで、彼は当時28歳で超若いのに海外キャリアを歩んんでいる面白い人でした。今まであった人の中でも指折りの面倒見の良さで、私にこっちの生活や業務の内容をめちゃ丁寧に説明してくれました。後から思ったのですが、このTさんが全体の仕事をほぼ把握していて、敏腕マネージャーみたいな方でした。



移動

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カンボジアで移動の際はいつもTさんのバイクの後ろに乗っけてもらっていました。初めてバイクの後ろに乗ったのですが、これがまた思った以上に楽しくて、実は移動時間を楽しみにしていました。道路整備なんて言葉はきっとこの国には存在しないのだろうというほどガタガタな道を、歩道と車道の空いている道を駆使して進んでいくのが、ほぼ遊園地のアトラクションでした。そこらへんのよく知らんジェットコースターならこっちの方が楽しいんじゃ無いかなと思うほどでした(危険とは常に隣り合わせですが)。

トゥクトゥクという乗り物もあり、インターン先の代表が移動する時はトゥクトゥクに乗っていました。その方と行動する時はトゥクトゥクで移動するのですが、僕と同い年くらいの青年が運転していました。運転技術だけでいったらトゥクトゥク業界1なんじゃないかなと思うくらい、超狭い道とか車の間をすり抜けて運転する姿を見て、初めて会った時は、景色じゃなくて彼ばかり見ていました。



業務


このインターン先は現地の企業や学校、そして孤児院などに対して、サッカーを通してコミュニケーション形成や、サッカー教育を行っており、様々なセクターとサッカーを通した関係性を持っていました。現地の団体に赴いて一緒にサッカーをしたりするのですが、私はそのアシスタント業務と、全体の活動の広報などを行っていました。

広報の活動も、動画制作をしてみたり、インタビュー記事を書いてみたりと、いろいろ手探りでやっていておもしろかったのですが、やはりサッカー業務に関わらせてもらう方が楽しかったです。日本法人の企業の駐在員さんと、現地国籍の従業員の方々が、一緒にサッカーをやっているときは、いろいろ難しいことは考えず単純に楽しくプレーしているように見えました。日常の中にサッカーがあるだけでコミュニティのコミュニケーションが促進できたり、ストレスを解消できたりと、「いいことばっかりだよな〜」と思いながら当の本人も楽しく業務をしていたことを覚えています。



カフェと飯

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私はカンボジアのプノンペンというところで滞在していたのですが、この街には海外の飲食店やら企業やらがどんどん入ってきていました。なので「これが食べたい」と思えば結構なんでも食べられたりします(お腹はよく壊しますが)。

インターン先の皆さんはやはりよく日本食を食べるらしく、何度も日本料理店に連れて行ってくれました。店長さんは日本人ですが、韓国や中国籍の方もいたように思えます。ローカルの店はローカルでわかりやすい違いがあったように思いました。なにはともあれ、味は普通に美味しく、特に日本で食べる分と相違ありません。現地の店はあまり行きませんでしたが、屋台で売っている50円もしない激安大盛りチャーハンや、30円もしない激安大盛り焼きそばは、めちゃめちゃ美味しかったです。最初はお腹を壊してしまうのですが、美味しいものだらけでした。

美味しいのには美味しいのですが、その代わり健康志向というものが存在しないように思えました。町のみんなは若いのに、お腹だけぽっこり突き出していて、「油物を食べ過ぎたから野菜を食べよう」みたいな感覚にはならないのだと感じました。「食べたいものを我慢し過ぎて精神的ストレスで体を壊す日本人」「食べたいものを食べ過ぎて、心はいつも幸せなのだが、どうもお腹がぽっこり出てしまうカンボジア人」はお互いが見て、お互いが研究すべきなんじゃ無いかなと思いました笑

プノンペンにはカフェがたくさんあります。めちゃめちゃオシャレでWifi付なのですが、利用客が外国人だけなのか、料金設定は日本のそれと対して変わりませんでした。私はタイ資本のカフェと韓国資本のカフェによく行って作業をしていました。



この国


カンボジアという国についても少し紹介しようと思います。カンボジアは平均年齢が25歳くらいで超若いのです。その理由は、人口(当時600万人いた)中の100万人から300万人を虐殺された悲劇の背景を持っているからです。私自身もインターン期間が終わってからトゥールスレン虐殺博物館に行ってみましたが、資料を一つ一つ読んでいくだけで心がざわつき、絶望する気持ちになりました。外に出てすぐ飲んだマンゴーラッシーが、当時の私には甘過ぎて、3分の1も飲めずに捨ててしまったことを今でも覚えています。




カンボジア・タイ・ベトナム

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カンボジアでは少し旅行もしました。プノンペンからシェムリアップに移動しアンコールワットを訪れました。誰もが一度は写真とかで見たことがあるであろう大遺跡で、1日ではまったく全部回れないほど広かったです。いつものように私はゲストハウスで友達を探し、中国人3人とブラジル人1人と一緒に向かうことにしました。この中国人の友人がいいカメラを持っていて、後で撮った写真を送ってあげるといっていたので、楽しみにしていたのですが、いつまで待っても写真は送ってもらえませんでしたw

そこからタイに移動しました。タイでは当時日本の友人が現地の大学に留学していたので、その彼と会う約束をしていました。待ち合わせのモールでタイ料理をたべながら、いろいろ話ができて良かったです。実は広島でサッカーをしていたときからの友人で、大学が違ったため、日本でも別段毎日のように会うわけではありませんでした。なので本当に久しぶりの再会で、こうやって一生懸命海外にまできて、何かを学び取ろうとしている友人とまた話せるのは嬉しかったです。

私はバンコクに滞在しましたが、そこはもう立派に栄えた町でした。交通機関からエンターテイメント施設、飲食店から高層ビルまでなんでもありました。この後ベトナムに行った時にも感じるのですが、東南アジアが遅れているなんて甚だしい過去の考え方だと思うようになりました。

ベトナムでは現地のバインミーとフォーを食べることが目的だったのですが、オシャレなカフェが街にあふれていることにも驚かされました。何軒か回りましたが、雰囲気からコンセプトまで「まじでそれ感」がありました。あるような気がしました。異国にいる時にかかる魔法だったのかもしれませんが、ホーチミンのカフェは私史上でメルボルンに次ぐ質の高さです。

その後戦争博物館にも行ってみたり街を散策してみたりしました。上記にも書きましたが、本当に都会です。過ごしやすくていい街でした。



第63回国際学生会議


海外インターンが始まる少し前の話ですが、ある日FBを見ていると、自分の興味関心にどストライクのイベントサムネイルを発見しました。当時はインターン先でイベントを作っていたこともあり、参考がてら行ってみようと思ったのですが、なんと開催日が同日の14時からだと言います。

現時刻13時過ぎを確認した私は、「あっ、これは無理だわ」と思って携帯を閉じたのですが、いつもの如く頭の中で「ここで行かなきゃ一生後悔するぞ氏」が現れて頭の中でギャーギャーうるさいので、しかたなく再度ケータイを開き、開催場所を確認しました。すると梅田だったので、当時関西大学前に住んでいた私だったら20分程度でいけました。つまりギリ間に合う計算でした。私はすぐ「参加ボタン」を押して家を出ました。

会場には10人程度の参加者が集まっていて、運営は3人ほどいました。どうやら名前は「国際学生会議(ISC)」というイベントらしく、海外数10カ国から、国際社会問題のテーマトピックに関心のある学生を集めて、10日間ほど議論・発表をするイベントだと言います。私はこの時丁度「英語はツールだ」「英語を使って何かをするのだ」と意気込んでいた時期だったので、まさに私にぴったりのイベントだと確信しました。当日に見つけたイベントだったので、心躍らされていたのかもしれませんが。まあとにかく応募に必要なテーマ選択と英語小論文的なものを仕上げ提出し、結果を待っていました。

たぶん5月の中旬ごろだったのでは無いかと思います。無事合格しましたとの連絡を受けほっとしていました。この連絡を受けたときより、6月に行われる予定の事前召集会のパンフレットを見た時の方が嬉しかったのを覚えています。パンフレットには錚々たる大学の名前と学部が並んでいました。学歴には縁のない人間だと思っていましたが、有名大学の人たちの中に自分の名前があったことが誇らしいことのように思えました。今では学歴はさほど気にしなくなりましたが、当時の私にとっては号外ニュースを出したくなるような嬉しいことでした。



本会議と64回


事前招集会で日本人参加者と仲良くなった後は、夏に行われる本会議を待つだけでした。今考えてばもっとちゃんと準備をしておけばよかったのですが、英語の能力だけで乗り切れると思っていた私は、特にそれといった準備もあまりせず、インターンの活動やE.S.S.の活動に勤しんでいました。この結果、国際学生会議の本番では特に思っていることや考えを上手に発言したり議論したりできないまま終わることになります。私が参加したTable4は「資本主義と貧困」に関して扱ったチームだったのですが、マジでみんな凄かったんですよね。英語力でさえ専門性でついていけなかったし、会話の内容が分からなくて「全然ついていけねぇ…」って思うことは10日間の中で何度もありました。

それでもなんとか最後まで乗り切り、最後のスピーチを代表として締めくくり、結局時期(64回)代表に立候補しました。結局当選せず、副代表として活動していくことになるのですが。こんな感じで国際学生会議は2年間ほど関わっていく団体となります。そこまで目立った存在にもなれず、力のなさを実感した第63回だったのですが、この国際学生会議という活動には非常に魅力を感じていました。日本の学生が世界の学生を招待して国際社会問題について知恵を振り絞って話し合い、最後はでかい団体の人に発表する。大学1年生の時には想像もできなかった挑戦でしたが、この団体を自分が運営して動かす側になれるなんて、そんな楽しいことはないだろうと思っていたのです。

結局1年間、基本的には63回に参加したメンバーと、団体を運営していきました。振り返ってみたら私自身大した仕事もできておらず、チームのメンバーの凄さを日々実感し、そんな人たちを頼りまくりながら走りきったイベントだったのですが、なぜかこのイベントの達成感は半端なく、メンバーも大好きで、またいつかこのメンバーで仕事ができたらいいなと思っています。私も頑張ってはいますが、今考えても優秀なメンバーたちに囲まれていたので、彼らは私を置いて次々上のステージで活躍しだすかもしれませんが、私も負けないように日々頑張ろうと思っている次第です。



バイト

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また時間は63回の国際学生会議が終わったところに戻ります。夏の忙しい時期を乗り越えてからは、引き続き継続している活動はたくさんあるものの資金面を工面しなくてはいけなくなります。今回は家の近くかつ時給が比較的に高い場所で検索し、近くのユニクロに応募することにしました。自慢なのですが、私はバイトの面接で落とされたことがありません。今回も例外でなくしっかり採用されました(結構長期的に働けそうな雰囲気だけ出すからなのかもしれません)。

ユニクロのバイトは非常にしっかり整備されていて、経験されたこともある方ならわかるかもしれませんが、社員さん、パートさん、学生が、お互いを評価したり、刺激しあったりできるようになっています。プライドと誇りを持って仕事に取り組んでいるのがひしひしと感じられて、時間的にあまりコミットできてなかった私は、可もなく不可もない感じで淡々と業務をこなしていました。



国際交流協会

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実はこの時もバイトは掛け持ちをしていました。ここは吹田にある在日の外国人を支援する施設で、日本で生活する外国人に日本語を教えたり、生活の相談に乗ったりする場所でした。私が担当していた仕事は完全に事務作業で、これといって大変なこともなく、ゆるーく仕事をしていました。時間的にも夜の数時間と言うことが多かったです。大学3年生のときは、こんな感じでバイトもゆるく行いつつ、部活、国際学生会議、インターンなどの活動に本腰を入れて頑張っていました。



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大学3年生の時は、好きな人ができて約1年ほど付き合っていました。恋愛は不思議なもので彼女がいないと欲しくなるし、いたらいたでいろいろ悩みます。もともと私が自分の考えを口にせず、ためておいてしまうような人間なので、突拍子のないことを言って「急にこいつはなんの話をしているんだ」と思われたことも多々あるかもしれません。恋愛ごとは毎回反省だらけですが、それでもやっぱりいいものだったなと勝手に思っています。



まとめ

まとめ


大学3年生は多くのことに手を出し、多くのことを学べた年でした。よく「たくさんのことに手を出すのではなく1つのことに専念しなさい」と言う話を聞きますが、大学生のうちは、たくさんのことに挑戦して、新しい世界を知り、自分が何をできて、何が好きなのかを明確にしていく時間で良いのではないかと思います。そこの解像度がどんどん上がってきて、自分の中で納得できたときに、その「やりたい」と真剣に向き合えばいいのではないでしょうか。自分の大学3年生を振り返ってみると、「後悔は全くない」そんなことを考えます。

大学4年生は「休学」から始まります。いろいろ理由があって休学するのですが、本来の目的とは違う活動に大部分の休学時間を割くことになるので、人生は本当にわからないなと思います。もし興味があれば4回生編とそれ以前、以降の内容もご覧ください。以下にリンクを貼っておきます。

「小中高を振り返ってみて」
https://note.com/kamachu/n/n25324ae0021b
「大学1年生編」
https://note.com/kamachu/n/n7722fe84b2fc
「大学2年生編」
https://note.com/kamachu/n/n40cc44c7958b
「大学4年生編」
https://note.com/kamachu/n/n216bf056590d
「中国編」
https://note.com/kamachu/n/n02dbd6db2e80
「帰国後編」
https://note.com/kamachu/n/n223be8770257

ではまた次のnoteで。

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DesignYifan
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