「障害理解」って難しい。

先日「プラス・ハンディキャップ」というwebマガジンの編集長である佐々木 一成さんが書かれた「障害理解」に関してのコラム
『障害理解」をテーマにした学校講演に登壇するようになって思うこと。』(https://plus-handicap.com/2020/02/10650/)を読んだ。
『障害者って大変だなと思いました。そんな感想文をもらった講演こそ、僕にとっては大失敗なのです。』

と書かれていた部分を含め、文章下にタグにされていた#学校講演 #承認欲求 #生きづらさマウンティング #障害理解
という言葉にもうなづけることが多く、講演活動をしている障害のある人に読んでいただきたい文章であった。

追加して私が思うこと共に書いていきたいと思います。

大阪にキッズプラザという子供の博物館がある。
その施設にはバリアフリーコーナーという場所があり
車椅子で電車に乗ることを想定してある。
切符券売機、改札、電車などを模したものが置いていて、そこを車椅子に乗って通ってみる体験である。
しかしかなり安全に配慮されているので、段差もなく間口も広く
比較的スムーズに電車に乗ることが出来る。
なので、ここを車椅子で体験した子供たちからは
「楽しかった!」「もっと乗りたい!」との答えが返ってくる。

ここ数年、私はご縁があり、このキッズプラザで働くボランティアの方向けの研修会の講師をさせていただいているのだが
ボランティアさんからは、この子供たちの感想に少々戸惑い声が聞かれる。
「車椅子に乗って、楽しかった、でいいのでしょうか」と。

それに対して「それも、いいんじゃないんですか。」と私は答えるので、少々驚かれる。

少なくともその子供たちにとっては、車椅子は足が悪くて可哀そうな人が乗るもの、という印象はないわけで
そのイメージを小さいときに持っておくことって大切だと思っている。
もちろんそこで終わるのではなく、その上で、「でも普段歩いている駅や道ってこんなに平らじゃないよね」とか
「手も動かしにくい人だったらどうする?」とか対話を広げていき、他者を想像することに繋がるといい。

さて、そこで「障害理解」というテーマに戻っていくのですが、
障害理解には、ポジティブな気づきとネガティブな気づきがあると私は感じていて、
例えばダイアログインザダークとか、さっきのキッズプラザの車椅子体験なんかはポジティブな気づきに繋がると思っている。
ネガティブな気づきはまさしく「障害者って大変だと思いました」という感想が来ることだ。

しかし、実際に車椅子に乗ってみて、その大変さを理解し、車椅子に乗っている人の存在を知り、その困りごとから、他者理解をする。
「困っている人がいたら、助けましょう」という教育だけならそれが正解かもしれない。
しかし、そこには「困っている人=車椅子の人(もしくは障害者)」という図式ができ、「大変だな」から発展する対話や思考に行きつかない。

ただポジティブな気づきだけで本当に生きづらさを伝え切れるか、というとそこは難しいところがある。

じゃあこの「障害理解」って何をすれば正解なのだろうか。
何かの能力に長けている障害者が講演をする場合も、「障害があるのにスゴイ」なのか
「その人自身をスゴイ」と感じているのか、ここも測る事が難しいポイントである。
生まれつき、また受傷を含め、何かの生きづらさを抱えつつ、挑戦する姿は称賛に値するけど、「障害があっても私、頑張ってます!」では別の偏見を生んでしまう。

私も多少なりとも講演活動をしているので、ここで何を伝えるのかは私もとても悩む。シンプルに言うと佐々木さんが書かれていたように「それぞれが生きづらさを抱えているということ」なのだけど、やはり講演者(ここでは障害のある講演者というべき)が個人的な想いを越えて、より多角的に、広く多様に話せるかどうかである。

障害のある人がそれぞれの想いを発信する機会がとても増えていて、それはいいことだと本当に思っているけど、自分が何を伝えたいのか、しっかり考えていかないといけないですね。自戒を込めて。
講演って難しいですね。


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