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『おかえりモネ』 第16週 「若き者たち」

今週は亮ちんでも菅波でもなく、「強ぇ!」「かっこいい!」「綺麗!」とひたすらモネを称えていた気がするわたくしです。清原果耶ちゃん本当にすばらしい。

みーちゃんにあんだけ罵倒されたあとの喫茶店で、亮ちんを見つけて顔の前で手をひらひら‥‥。なんか、あの仕草だけで、「あー、これだから亮ちんは「モネしかいない」と思うんだな」って納得しちゃった。メロンソーダとオムライスが好きな亮ちん。子どもの頃から家族で食べた思い出がたくさんありそうなメニュー。

島でも有名だったモテ男、亮ちんの恋の告白が、腕をつかんで「わかってんでしょ」だった悲しみ。「好きだ」とも「付き合って」でもなくて「わかってんでしょ」。しかも腕をつかんで。
察してほしい、という言い方と、相手の体の動きを封じるような動作。(きっと亮ちんはモネの心が自分にないのはわかってたよね?)

この言葉はあんまり使いたくないんだけど、「あ~ここで “ 有害な男らしさ ” が出ちゃうか~」って悲しくなりつつ脚本の巧みさに舌を巻いた。父親のケアを一生懸命がんばり「いい子」で過ごしてきた亮ちんが、ここ一番ってとこで「ケアしてほしい」を出してきちゃうんだ~って。

それでも、キンプリばりのイケメンに壁ドンならぬ腕ギュされて甘い声で囁かれたらホイホイその気になっちゃう子だってきっといるわけで(←若いころの私とかw)、あそこで毅然とした態度をとったモネはやっぱりかっこいい。なんたって菅波とはそば屋までしか行ってないし、というか菅波がいなくても同じ答えだったんじゃないかなと思わせるものがあった。

みーちゃんはそれを「お姉ちゃんは正しいけど冷たいよ」と評するわけだけど。

以前、「このドラマのテーマは人と人とのかかわり方のレイヤーで、大きく分けると「当事者が自分を責めないでいいかかわり方」と「当事者ではない周縁の人間のかかわり方」を描いている」と書いたんですが、きっと、当事者でない周縁の人間のかかわり方の象徴なんですね、「正しいけど冷たい」というのは。

モネが菅波にこの言葉を投げたのもそう。当事者にとっては、どうしてもそう感じてしまうんですよね。「頭ではわかってるけど心が追いつかない」ってやつで、当事者は悪くない。それもわかるから、その言葉は、周縁からかかわろうとする人間を傷つけ、ひるませます。もうかかわるのをやめよう、自分にはかかわる資格がないと思ってしまいます。

それでも、きっと「正しいけど冷たい」かかわり方は大切なんです。当事者だけじゃ詰むから。共感し合って慰め合ってるだけでは動けない‥‥。亮ちんだって感覚的にそれがわかっているからモネを求めてきたんでしょう。そして、モネの「正しいけど冷たい」態度は、きっと亮ちんを前に進ませるんじゃないかな。「親父と話してみる」と言ってくれてうれしかった。

新次も「亮と話してみる」と言ったよね。直接話すのはヤだ、と言ってた親子が、しかも男同士の親子が話せるようになるって、話そうと思ったこと自体むちゃくちゃすごいこと。

モネのおじいちゃんがサヤカさんに「若い人たちに何もしてあげられなくてつらい」と打ち明けたシーンもなにげにすごく大事だった。男の人が自分のつらさを認めて、言葉にすること。それがどんなに難しくて大切か、わかっている脚本だと思う。

そして「正しいけど冷たい」と言われた菅波が新しくもった言葉が「僕にはあなたのつらさはわからない。でもわかりたいと思う」だったんだね。
私は若いモネと十歳年上の菅波というカップルをどうキモくなく描くんだろうと最初は懐疑的でしたが、登米で十代のモネが弱ってるときにも手を出さず、ここまで引っぱったことで菅波も脚本も信頼したし、結果的にどちゃくちゃエモくなりましたね。

傷ついたモネを慰めたい、あたためたいっていうだけじゃなくて、「どうしたの?」も含め、「もう辛抱たまらん!」「てか亮ちんイケメンすぎて内心ちょっとモヤモヤしてた!」みたいなエゴエゴしさもそこはかとなく匂う抱擁でとても良かったです。そして、すーちゃんが一部始終を見てるに一票!


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