能傍タルツの実話怪談コレクションその26 「現代筑前奇談考」-1月-『スエコおばさんの話』
これもまた
筆者の仲間内のバンドだが
Nu-CA(ヌーカ)という
パンクバンドでギターを弾く
シュウゴ氏から教えて頂いた話。
彼は小学校くらいまで
博多湾に浮かぶ
志賀島というところの
古い木造の長屋に住んでいたらしい。
その頃よく
誰もいないはずの
玄関の右階段から
とん とん とん
と、
姿の見えない
誰かが登り下りする音を
聞いたことがあった。
むろん
二階に行っても無人である。
それは
シュウゴ氏のおばあさんの妹で
十八歳で結核にて夭折された
スミコさんだと言われていた。
おそらくは
戦前の話だろうと思うが
彼女は幼少期から
島で産まれた
赤ちゃんを見ては、
「この娘はコレコレこんな性格で
幾つでこんな風に結婚して、
こんな感じになる」
「こっちもコレコレこうやから…」
等々、
一人一人に言っていたそうな。
更に。
「だけど
ウチも早くに帰るから
もうちょっと、ウチの事を
大事にしたが良かよ」
とも言っており
そして、その全ては
的中していたらしい。
そのスミコさんの姉で
シュウゴ氏のお母さんの母。
すなわちおばあさんは
若い頃は
島で唯一の産婆さんであったが
碧眼であった。
何でも
大きな河川も地下水脈もない
志賀島は
戦前ともなれば
島で一つしかない共同風呂、
すなわち銭湯に入る習慣だったらしい。
しかし
昔の事だから衛生状態が劣悪であり
それが原因で
片目に梅毒箘が入ったのが
原因らしい。
しかし
柳田国男翁「一つ目小僧、その他」
あるいは諸星大二郎先生の
諸作品でもよく取り上げられる
テーマではあるが
霊的存在の依り代となる代わり
片目の視力を失うというケースは
よく見聞きする。
故人ではあるが
テレビ業界関係者からも
「あの人はホンモノ」と噂されていた
女性霊能者も確かそうだったと聞く。
そのおばあさんだが
ある真夜中。
産気づいた
お寺さんからの知らせで
深夜の寺の長い石段を
提灯をつけて登っていた。
すると突然
提灯が
ぽっ!
と、燃え上がった。
燃え尽きたその炎は
火の玉となり
深夜の階段を昇る
おばあさんを守るかのごとく
ふわりふわりと舞いながら
おばあさんの足元を
照らし続けたとのこと。
この話は
スミコおばさんの霊験記として
おばあさんやお母さんから
シュウゴ氏も何度も聞かされた
話だとおっしゃっていた。
ところで
ここまでお読みになられた
方々はお気づきかと思うが
どうも彼の家系は代々
女性に霊的な素養のある方が
産まれるようでる。
そして
シュウゴ氏のお母さんの
妹さんが
まさにそうらしい。
その話は次回とさせて頂きたい。
(続く)