「コントラスト」第十一回、才能と努力
お待たせしました!半年ぶりの収録ですが、ポッドキャストを再開します!
テーマは「才能と努力」です。
成功するには努力が必要です。しかし、努力だけでは本当に成功できるのか?
才能も必要なのでは?そもそも才能って定義できるのか?などなど、話していきます。
前編:https://contrast.5934learning.com/episode/episode11-talent-vs-effort
後編:https://contrast.5934learning.com/episode/episode11-talent-vs-effort-part-2
■聞き返してみて
収録が終わり、聞き返しながらこれを書いています。
「才能、努力」、日々たくさんの人が頻繁に使っているのに これほど定義がふわふわしたものもないなと感じました。
言葉の意味や、人がどういう背景でその言葉を使っているのかは以前から興味深いと思っていましたが、 今回はひときわその面白さを感じた気がします。
ハンサリさんが使う才能とはテコと言っていた通り 人の潜在能力や適性を指す言葉なんだなというのを発見しました。
絵の才能、歌の才能、走る才能…。すべての人が全ての要素に対して才能(テコ)を持っていて、それぞれその長さが違う。
そんなイメージなんだなと感じました。
巷でたまにきく「XXには才能がない」みたいな言葉も、まさにこのイメージをベースにした使い方ですよね。
私は最初イメージしていたのは、才能とは多くの人に無いことが当たり前で
アインシュタインやレオナルド・ダ・ヴィンチ、 今であれば将棋の羽生さん、藤井さん、野球のイチロー選手や大谷選手などが宿したオンリーワンなものを才能と思っていました節があります。
*脱線しますが、例にあげた彼らですら多くの人よりも、より多くの人生資源を投下してる点は留意したいところです。
アインシュタインは「天才とは努力する凡才のことである」と言ってますし。
でも、ポッドキャストの中で私は、 「今の能力を指して才能とは言わないのではないか」や「能力=才能×努力」とも言っています。おや?(笑)
ハンサリさんと私の間でも才能のイメージは違いましたし、 私の中でも色々なイメージが混在しており、整合性がとれていなかったことを認識できました。
普段よく使ったり、本やエンタメにも頻繁に出てくる単語なのに その意味やイメージがこんなにも定まっていないなんてなかなか衝撃です。 そして、そんなふわっとした「才能という言葉のイメージ」が 自分の習慣や、何かの意思決定に影響を与えているっていうのは、 なかなかに怖い話だとも感じました。
こういう気付きは非常に価値があるので、非常によい機会になりました。
才能の定義はこれ!と決める必要はないです、どんな定義も正解だと思います。 「楽しくやれるからこれは才能だと思う」「自分は努力ができる才能があるから努力する」etcetc… どんな定義であれ整理することで、自分や周りの人を勇気付けるようなセットができることが 幸福につながるのかなと感じました!
このポッドキャストが皆さんの思考や気づきのヒントに、そして幸福や成長のきっかけなれれば幸いです!
■補足:風邪の話の補足
あくまで「欠点を欠点とするか、別の才能として活用する」という考え方の話の例です。
このケースでは自分の体の欠点や特徴を知ってこのように活用してるよっていうだけで、 人それぞれケースがあるのでそのままうのみにはしないでいただければ幸いです!
ちなみに補足すると、社会人になったころから体の傾向は感じていましたが、 しっかり気づいたのは自分の血液をいろいろ調べたときのことでした。
症状がでてきるときは元気でも献血できないそうです。 白血球値が異常値になっているためです。
なので、口頭では下記のように伝えてしまいましたが、
・皮膚に症状がでる → 風邪になりそう → ケアして風邪をひかないようにする。
正しくは↓なわけですね。
・免疫が落ちる → (早いタイミングで)皮膚に症状がでる
・免疫が落ちる →→→→→→→→→ 風邪などの体調不良になる
↑ この辺でケアして風邪をひかないようにしている。
*繰り返しますが、私の体のケースの話ですw