【教員志望の学生は塾で働いてはいけない!その理由】

皆さんは「学校」という施設をどのようなものと捉えているだろうか。

皆さんの年齢によって感じ方もそれぞれだとは思うが、
今回は、元・塾の先生だった私が、4年間の勤務の中で、
教員志望の学生に感じていたことを書こうと思う。

前談の話に戻るが、皆さんは「学校」という施設をどのようなものと捉えているだろうか。

勉強を教わるために行く場所?
友だちと遊ぶために行く場所?
単なる義務として通わなくてはならない場所?
色々あるだろうし、それらは恐らく全て正しい。が、その正しさは部分的だと考える。

端的に言うと、学校という施設が存在するのは、「子どもに社会通念を教える為」である。
もっと簡単に言ってしまえば、「人としての一般常識を身につけてもらう」場所なのだ。
それは、勉強を通じてなのか、自分とは違う人と触れ合ってなのか、先生にメチャクチャに叱られてなのか、色々なポイントから学んでいくもので、これは個人の学力とは遠いところにある。
別に勉強が出来るから良い奴ではないでしょ?という理屈だ。

対して塾という施設が存在する理由は、「学力のみ」にある。
塾における正義は学力であり、いかに素行不良であろうが犯罪歴多数であろうが、そこは何ひとつ関係ないのだ。
生徒が不正に学力を捏造(カンニングなど)さえしなければ、学力が正義。まるで世紀末のような話だが、それが塾のルールである。

既に言わんとしていることは分かるかもしれないが、数値としての学力を測る場所で、数値では測れないものを教える施設の事を学ぼうとすればどうなるか?
もちろん上手くいくわけがない。塾で学んだことを学校で行えば生徒からは反感を買うだろうし、保護者からは信用を勝ち得ない。当然、教育実習の場で学んだことを塾で行えば、逆もまた然りである。

果たして、塾で教員を目指して学んでいった結果、「教育者」でもなく、「講師」でもない存在が生まれてしまう。

例えば、同期で塾の講師を始めた教員志望の女性は、目を輝かせて教育の現場に飛び込んでいき、半年後に退職をしていた。
曰く、「私が考えていた教育の現場はここには無い」とのことだったが、当たり前である。
そもそも塾は「学力を上げるために、学習意欲を持って通う学生」が大多数を占めている環境なのだから、そうではない場所の学生に意欲を期待する方がおかしいのだ。
学校は、「意欲がない学生に意欲を出してもらうためにどうするか」を考える場所なのだから、初めから意欲MAXで臨んでくれると考えているのは勘違いもいい所なのである。

ここまでの内容で、「なにくそ、それでも私は教育に希望を持ちたい」と考えられる方がいるとしたら強情な人だな、と思う。
教育の現場には棲み分けがあり、教育と勉強には明確な考え方の違いが存在するからこそ、塾で働くことはおすすめ出来ない。

もしあなたが教育者になろうと本気で思うのなら、生徒から信頼される人間になるべく、自分の人間力を高める方向にシフトした方が良い。
今すぐ塾に退職届を出し、ボランティアでも始めるのが吉だ。

「そうはいってもお金を稼ぎたい」という教員志望の学生には、介護の仕事などの「人のために役に立つ仕事」をオススメする。人として成長できる職場なら人間力も高まるし、一石二鳥である。

それでも塾で働きたい、塾講師を目指すというのなら、徹底的に「売れる先生」を目指すと良い。そのための秘訣を伝授しようと思う。

前提として、売れる先生=生徒から好かれる先生であることは間違いない。が、生徒から好かれる先生になりたいなら、教え方の上手い先生になってはいけない。
結局必要になるのは親からの信頼で、「教え方が上手い=親から好かれるではない」ことに注意してほしい。
生徒(子ども)を良く見てくれて、なおかつ子どもがそれを宣伝してくれる先生が一番人気の出やすい先生。
特に私の担当していた小~中学生の親は、子どもの話を聞いて先生の印象を決める。
講師は家で簡単に唱えられるようなゴロを生徒に仕込み、家(食卓や風呂の時間など、家族と共有する可能性の高い時間)で喋らせると親との接点が出来て分かりやすく人気が出る。
保護者会などで、自分の話で熱心にメモを取る親が現れ始めたら、ほとんど勝ちパターン。
最終的に目指すのは「親御さんから個人への崇拝に近い信頼を得る事」なので、ここが出来るかどうかで収入は、まさに雲泥の差となる。(塾講師正社員、スタートの賃金は年収300万円以下くらいが多いです。売れれば稼げる世界。)


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